東京国立近代美術館 ポスター展示


 東京国立近代美術館で「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」展が開催されている(10月26日まで)。今年はアジア太平洋戦争において、日本が敗戦を迎えて80年の節目を迎え、全国各地のミュージアムで関連した展覧会が催されている。そうした展覧会のなかでも本展は、異例尽くしの展覧会として新聞やウェブメディアで報道されていた。展覧会のタイトルが一見して戦争を主要なテーマにした企画だということがわかりづらく、チラシも図録も制作されず、積極的な宣伝もない。
 

 この展覧会は、コレクションを中心とした特集と銘打っているが、実質的には他館から多くの作品を借りてくる企画展で、「戦争」の文字はタイトルに入っていなくても、アジア太平洋戦争期を核に1930年代から1970年代にかけての創作物を展示している。特に敗戦後GHQによってアメリカへと輸送され、1970年に「無期限貸与」という形で戻り、同館に収蔵された戦争画153点のうちのべ24点が展示されている。これらの戦争画はまとまって展示されたことはなく、同館の常設展に数点ずつしか展示されてこなかった。同展の構成がここ30年の戦争美術の研究成果をほぼ踏まえていることも併せてこのタイミングで実現できたことは、ひとつの成果だったと思う。また常設展にも本展と同時代に制作されたものが多数展示されていて、館を挙げてひとつながりの展示をつくっている。確かに展覧会のタイトルにある「記録」と「記憶」は、戦争を直接的に想起させる言葉ではない。しかし実際に展覧会を見て、この記録と記憶をキーワードに、ミュージアムで何かを見るということ、そして見ることができないということについてじっくりと考えてみたくなった。

 視覚的表現物は記録や記憶と関わる。歴史的に何かの記録の一環として視覚的表現物はつくられてきた。記憶を頼りに何かを表現することもある。だが特に記録について言及するなら、視覚的表現物とは現実の記録ではない。かつて千野香織は「戦争のイメージ」と題された文章のなかで次のように書いた。

    戦争のイメージとは、狭義には、「戦争画」あるいは「戦争の状況を表わしたイメージ」であるが、広義には「戦争遂行のために作り出されて機能した、あらゆるイメージ」である。この場合の「戦争」とは「暴力によって他者を蹂躙し、支配しようとする行為のすべて」であり、また「イメージ」とは「人工的な視覚的表現物・表象のすべて」であると、ここでは定義する。戦争のイメージとは、したがって、その時代にその地域を支配し、イメージを作り出すほどの権力をもっていた者たちのあり方と、深く関わっている。(中略)作り出されたイメージは、「ありのままの歴史的事実」の「画証」などではなく、それをそう見せたかった/見たかった者たちの、一方的な視線(gaze ゲイズ)の記録である。
 イメージに込められた「視線の政治性」あるいは「不均衡な力関係」に、私たちは常に敏感でありたい。なぜなら、その政治的不均衡に気づかずにイメージを分析しようとすると、そこに込められた強者の視線にコントロールされ、彼らの視線と自らの視線を知らず知らずのうちに重ね合わせ、その結果、私たちも彼らの共犯者として、弱者を抑圧し、支配する側にまわってしまうことになるからである。
(千野香織「戦争のイメージ」『歴史学事典 3巻 かたちとしるし』弘文堂、1995年7月)

 視覚的表現物は、現実そのままを写し取ったものではなく、それをそのように見せたかった者(その仕事を発注した権力者、それを作り出した者、あるいはその両者)たちの視線の記録なのである。本展ほどそれを痛感した展覧会はない。
 日本兵の勇ましい戦いを凛々しく表した戦争画、死が待っていることを承知で戦いに行く日本兵をドラマチックに演出した戦争画、日本兵の「玉砕」をまるで殉教図のように表現した戦争画――どれも画家があるいは軍部が、それを見た人々にそのように受けとめてもらえるように再構成しているのである。描くための資料として写真をみたり、そこに実際にいた人々に話をきいたりしたのは本当であったとしても、そこから何を選び、どのように描くのかは画家や軍部次第だ。私たちは、まず見る前にそれをよくよく自分のなかに落とし込んでおかないと、あっという間に彼らの術中にはまり、コントロールされてしまうかもしれないのである(一緒に見に行った友人は「すべての作品に『これはフィクションです』とテレビドラマのように一言付け加えた方がよい。」と言っていた。)。実際に当時これらを見た人々の多くは、物資が日に日に乏しくなり日本本土への空襲が始まって戦況を肌で感じるようになっても、これらの作品に鼓舞されていたのである。

   こうした戦争画をある程度の数でもって実見できるようになるまで、あまりにも長い時間を使ってしまった理由について、本展のキャプションで一通り説明されている(作品の芸術性をめぐる評価への議論、画家とその遺族への配慮、絵画に描かれた当事者(交戦国や戦地となった国や地域)への配慮、冷戦下という国際情勢など。これに加えて私は作品の「美」や「質」に執着する美術史研究者の怠慢でもあると考えている。)。遅れそのものは取り戻せないとしても、展示の不在によって何が起こるのかという点については、しっかりと考えた方がよいだろう。
 千野は2000年当時の国立歴史民俗博物館において、近代の戦争にかかわる展示がないことに触れ、見解をまとめることが非常に難しいことは承知しつつも、ハンナ・アーレントの「忘却の穴」を援用しながら次のように語っている。

    日本政府の関与するミュージアムが戦争と植民地の『非展示』を続けていることについて、次のように分析することができるであろう。ミュージアムにおける非展示とは、いわば、忘却を強いるシステムである。それは、ミュージアムの訪問者に強い力で働きかける。その展示されなかったものは、存在を否認される。存在はしていたが展示されないのではなく、はじめから存在していなかったことになってしまう。戦争と植民地の記憶を忘却させ、その忘却さえ忘却させるという、記憶の完全な抹消が起こる。何も起こりはしなかった、ということである。(中略)マスメディアの責任も重い。現在の日本の国境の外側で(しかしかつては『日本』の内側であった地域で)戦争がどのように遂行されていたのか、それを視覚的に学ぶ機会が奪われているのだということを、彼らは報道しない。それによって日本のマスメディアは、戦争の記憶を忘却させるシステムに参加しているのである。みながひたすら、戦争から目を背けようとする。多くの人々が参加して徹底的に、だがじつにさり気なく目立たない方法で、現在の日本では、戦争の記憶の抹消が行われているのである。
(千野香織「戦争と植民地の展示――ミュージアムの中の『日本』」栗林彬ほか編『越境する知1 身体―よみがえる』東京大学出版会、2000年7月)

 図らずも本展の概要に「美術館という記憶装置」という言葉がある。モノを収集し展示・保存する美術館を含むミュージアムは記憶装置であると同時に、そこで展示されなかったものを忘却し、そして記憶さえも抹消していく装置でもあろう。ここ数年は時代の証言者が少なくなっている報道をよく目にした。モノも有限ではあるがしっかりと管理すれば、人間よりはるかに長く記録や記憶を伝える。だがモノを展示しなければ、「何も起こらなかった」ことになってしまう。

 今回本展が非常に慎重な建付けになっている理由のひとつは、視覚的表現物はそれが置かれた文脈次第でいかようにも解釈できてしまうことに、自覚的だったからではないだろうか。今回展示されたような戦争画において、そこに日本兵が傷つく悲惨な場面がどれだけ展開されていようとも、「聖戦」や「玉砕」のような物語がメディアなどを通じて用意されていれば、人々はそれに従って作品を読む。アジア太平洋戦争がどのような結末を迎えたか知っている現代の私たちの目には、そうした作品のなかに戦争自体の愚かさをとらえたとしても、当時は「国に殉じた英雄」をそこに見て取ったのである。だとすれば、そうした過去の読みが新たな文脈とともに復活する可能性は、誰にも否定できない。現に排外主義が広がる社会のなかでそれらが展示の意図とは異なる解釈をされることを避けたかったのかもしれない。
 

岡田三郎助《民族協和》

 私が本展において最も恐ろしい作品だと思ったものは、戦闘図としての戦争画ではない。今は原画が失われてしまった1枚の絵葉書である。洋画家の大家岡田三郎助による《民族協和》(本展のウェブサイトにも掲載されている。)は、満州国国務院総務庁玄関壁画として制作された。着物を着た日本の少女を真ん中に両脇に、漢、満、朝、蒙の民族衣装を着た少女たちが手をつないで楽しげに踊る。右脇には漁業、農業、牧畜業を表わす柔和なアジア人男性らが控えている。一見何でもない牧歌的な絵だが、「大東亜共栄圏」の力関係がそこに仮託されている。アジアの少女たちを従えた日本の少女と近代性をはぎ取られた力のないアジア男性の存在が、日本の優位性を視覚的に示している。ここに日本人男性たちはいない。なぜなら彼らはこの光景をまなざす目に他ならないからである。遠景に広がる近代的な工場や建物は、日本のおかげで建設されたことも暗示している。これが公的建築物に掲げられ、絵葉書となって社会に流布し、そのまなざしは正当化されて、植民地主義を日本人の心のうちに知らない間に根付かせていく。  

女流美術家奉公隊による《大東亜戦皇国婦女皆働之図》秋冬の部(部分)

 その意味では1962年を最後に長らく別場所に保管されていた2枚組の共同制作作品、女流美術家奉公隊による《大東亜戦皇国婦女皆働之図》も、視覚的表現物の恐ろしさを示すものだろう。近代戦は総力戦であり、女性の戦争支援や労働力がなければ破綻する。銃後の女性たちの働きを描いた女性画家たちは美術教育や美術界での差別に抵抗しながらも、戦時には国家に取り込まれていった。戦争は彼女たちに活躍の場を提供したのである。現代そうした状況はまた起こりえないといえるだろうか。この作品に「女性の活用」をうたう女性活躍推進法などがオーバーラップしてしまうのは、深読みのしすぎだろうか。

 1回だけの企画展示ではできなかったことも、改善していくべき点もある。もし展示を見て、またいつの日か再びこうした展示を見て考えていきたいと感じたならば、どうかその声を館に届けてほしい。忘却の忘却となることのないよう、長期的な視点に立って定期的にこの種の企画展を続けてほしいと私は考えている。なぜならば、本展に展示された視覚的表現物がいかに過去に制作されたものであっても、それは現在までそこに存在し、実際に見てどう読んでいくかは、現代の私たちの問題であるからである。 

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コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ / 東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー / 展覧会のウェブサイトは https://www.momat.go.jp/exhibitions/563

吉良 智子氏の著作『女性画家たちと戦争』のご紹介と、インタビュー記事は、下記のURLからお読みいただけます。
「第二次世界大戦下の女性たちの労働を描いた《大東亜戦皇国婦女皆働之図》が伝えること——『女性画家たちと戦争』著者インタビュー(前篇)」
https://book.asahi.com/jinbun/article/14977723

「第二次世界大戦下の女性たちの労働を描いた《大東亜戦皇国婦女皆働之図》が伝えること——『女性画家たちと戦争』著者インタビュー(後篇)」
https://book.asahi.com/jinbun/article/14977728

WANサイト掲載関連記事:
女性たちによる戦争画(ETV特集「女たちの戦争画」)/ 女性と戦争 知られざる陸軍・女子通信隊(クローズアップ現代)
https://wan.or.jp/article/show/10212

女性画家たちと戦争

著者:吉良 智子

平凡社( 2023/07/14 )