京都でも映画「女性の休日」をめぐって女性たちが感想を語り合う会があると聞いて、意を決して(人見知りの私としてはドキドキ状態で)行ってきました。
参加者は20人程度でしたが、4つのグループに分かれて話し合ったり、3つのグループに分かれて話し合ったり、話し合いのルールを共有化しつつ、各グループに運営スタッフがファシリテーターとしてつくなど、運営に工夫がされていて知らない人同士でも話しやすくてとってもよかったです。

参加者の年代もかなり幅広く、職場でお茶くみ経験をしたことを話してくれる人に若い世代からびっくりされたりして、徐々に社会は変わっているんだな、と改めて思ったこともありました。一方、長年アメリカで暮らしていたという方からは「アメリカへ行った40年前と今の状況があまりにも変わっていなくて愕然とした」という声もありました。
変わらなさと言えば、「フェミニズム的疑問を持ってしゃべろうとしても分かってくれる人がいないので孤独だった」という若い(年齢を確かめたわけではないが20代かしら?)方の発言もあり、「自分もそうだったな…」と思い出しつつも、いつの間にか「友だちはフェミニストばかり」という環境に生きているのだなあ…と感慨深かったりしました。

私がおしゃべりしたグループでは、船の乗組員の3人の女性たちが女性の休日に参加するため仕事をボイコットしたシーンに話題が集中しました。私もあのシーンは印象深かったです。女性たちが仕事をボイコットするために籠っている船室の扉をドンドンとたたいて働くように要求していた男性船員たちの姿も描かれていたけれど、それでも最終的?には通信士が電報を送ってくれて、それが女性の休日の集会の場で披露されたのです。感動的なシーンでした。しかも、その3人のなかから初代の女性大統領が登場するわけですしね。
実は当時も「女性の休日」の運動に協力的な男性、ジェンダー平等に賛成する男性も実はいたんじゃないか、って話も出てきて、一人では思いつかなかったことにも気づけるというのは、みんなでしゃべる醍醐味ですね。

ただ、私としては「女性の休日」という言い方でよかったのかどうか、はもう少し議論したかったかな…。
「女性の休日」という行動呼びかけだったからこそ多くの立場の違う女性たちが団結できたのだ、という側面は十分理解できるのですが、「ストライキ」ということばを使うことの意味もあるんじゃないかと思いました。
特に、現状の私たちの社会では、デモもストライキも「暴力的」な行為だとみなされがち…個々人の抗議活動を「暴力」とみなそうとする文化が強くなっていくなかで、あらためて個々人が参加する有償・無償労働の「ストライキ」は法で保障された人権としてあることを主張していくことも大事なのではないかな…とは思ったのでした。
世界ではストライキは珍しいことではなさそうですしね。
こちらの記事もぜひ参照してもらえたらと思います。

ともあれ、「女性の休日」の映画について、まったく知らない人としゃべってみるというのはなかなかに得難い経験でした。新しいネットワークもできていきそうで楽しみ…
各地でも行われるみたいですし、機会があればぜひ参加されることをお勧めします。

この映画に関連して進行中の「女性の休日」プロジェクトでは、映画の感想や皆さんのモヤモヤを募集中。こちらのフォームからどうぞ。

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【映画『女性の休日』】
監督:パメラ・ホーガン  
出演:ヴィグディス・フィンボガドッティル、グズルン・エルレンズドッティル、アウグスタ・ソルケルスドッティル他 
エンドクレジットソング:ビョーク
2024年/アイスランド・アメリカ/アイスランド語・英語/71分/原題:The Day Iceland Stood Still 
後援:アイスランド大使館 
提供・配給:kinologue 
公式サイト:kinologue.com/wdayoff  
公式SNS X: @wdayoff_1975 Instagram: @shw_wdo Facebook:@shousewives.wdayoff