毎年、繰り返す年の瀬とお正月。今年もまたお節づくりに励む。京都四条の藤井大丸地下の「タベルト」(ギリシャ語のTavernaに由来し、家庭的なギリシャ料理やお酒を楽しめる店という意味)で材料を買う。ところが、このビルが2026年、改築されるとか。次の年末の買い物はどこへ行こうかと迷ってしまう。

 娘といっしょに2日かけてつくる。数の子は塩抜きをして薄味に。たらこ、伊勢エビも甘みのあるお醤油で薄口に仕上げる。サワラのみそ漬け。昆布巻き。田作り用にフライパンでゴマメを煎って甘辛くからめる。黒豆は鉄鍋にクギを入れてつやを出し、じっくり火を通す。大根と人参をスライスして干柿と橙と柚子で柿ナマスをつくり置きする。栗きんとんは、さつまいもと栗で甘く。蒲鉾と厚焼き卵と近くのフロマージュ・ドゥ・ミテスのシェーブル(ヤギ)のチーズを添えて。たたき牛蒡は日持ちよく。お煮染めは野菜を数種入れて柔らかく煮込む。お雑煮は小大根、人参、かしら芋を茹で置きして元旦に京風白味噌仕立てでいただく。寺町三条の三嶋亭に並んで買った牛肉と糸こんにゃく、九条ネギで「牛肉のしぐれ煮」を仕上げて最後に、お重の飾りにセンリョウを添えて出来上がり。毎年のことだけど、ちょっと疲れる。年越し蕎麦と「とらや」のお菓子と昆布茶、お屠蘇と鏡餅を用意して、あとは三が日、みんな揃って祝うだけ。

 元旦はお屠蘇とお節料理とお雑煮をいただき、孫娘にお年玉をあげて、娘と孫は近くの元夫の家へお年賀に向かう。少し腰を傷めているらしい彼も、何とか無事に過ごしているようだ。その後、娘と孫と待ち合わせて街へ出かける。

         八坂神社

 2日は御所西の「菅原院天満宮神社」へ。菅原道真が、ここで生まれて産湯をつかったという平安時代から続く「初湯の井戸」。今でも地下から良質の水が湧き出ている。知恵を授かるお守りをいただき、高校受験を迎える友だち3人に孫は届けにゆく。彼女自身は中高一貫校の公立中学に通うので幸い、受験はせずに済む。そのあと四条通りをぞろぞろと歩いて八坂神社へ初詣に向かう。引いたおみくじは「吉」だった。帰りはぼつぼつ歩いて夕刻、同じマンションの男友だちの部屋で囲炉裏を囲んで、みんなでお祝い。今年2月に99歳(白寿)を迎える叔母も元気に過ごしてくれて、ほんとにありがたい。

        コリアタウン


 3日はK-POPに夢中の孫に誘われ、新快速・大阪環状線に乗って大阪鶴橋の「コリアタウン」へ。店先でトルネードポテト(竜巻ポテト)やトッポギ(おもち)、キンパ(海苔巻き)など韓国のファーストフードを少し買って食べ歩く。昼食は徳山(韓)食堂でソルロンタン麵、石焼ビビンパ、ヤンニョムチキン、チヂミ、キムチをいただき、お土産にキムチとキンパを買って帰る。どれもみんな、とってもおいしくて安い。

       ゴースト&レディ


4日は大阪の劇団四季劇場へ「ゴースト&レディ」を見にゆく。原作は藤田和日郎の漫画『黒博物館ゴーストアンドレディ』のミュージカル。

 1853年~1856年のクリミア戦争(ロシア帝国とオスマン帝国・フランス・イギリス・サルディーニャの連合軍との戦争)で野戦病院に派遣されたフローレンス・ナイチンゲールの活躍とドルーリー・レイン劇場に棲むシアター・ゴースト(灰色の男)グレイとの愛の物語。演技も歌も照明も装置も、ほんとにすばらしく、俳優たちの力演に息をのみ、舞台に釘付けになって見入ってしまう。

 そして1月7日、七草粥をいただき、お正月はおしまい。さあまた、いつもの日常が戻ってきた。


 さて1月末は「高齢社会をよくする女性の会・京都」の読書会。上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想 ボーヴォワール『老い』を読む』(みすず書房、2025年4月)の第一章「老いは文明のスキャンダルである」の当番が待っている。しっかりと読まなくちゃ。

 いつもながら上野さんの文章は、どこを読んでも論理的で的確。研ぎ澄まされた名文が続く。

 ボーヴォワールは、この本を1970年、62歳の時に書いた。『第二の性』は1949年、41歳の時。
 「老いた人たちに対して、この社会はたんに有罪であるだけでなく、犯罪的でさえある。それは発展と豊富という神話の背後にかくれて、老人をまるで非人(パリア)のように扱う。しかしだからこそ、私はこの本を書くのである。凶暴の沈黙を破るために。人間たちがその生涯の最後の時期に老いて人間でありつづけるように要求することは、決定的な変革を意味するであろう」とボーヴォワールは書く。

 階級差別(classism)と性差別(sexism)との闘いから年齢差別(ageism)との闘いへ。「老いに抗うアンチエイジズムの思想こそ、エイジズムそのものにほかならない」と上野さんは言う。

 老いは「他者」の経験。老いはなぜ忌避されるのか?
 『第二の性』は「女として」書かれ、『老い』は「老女として」書かれるという女の「当事者性」。『第二の性』では女性は「第一の性」としての男性にとっての「他者」となる。だが「老い」は、ほかならぬ自分が「他者化」してきた「老人」に自分自身が変化していく。「この他者は、私なのだ」と知る。この死ぬに死ねない社会で誰もが「老い」という経験から逃れることはできない。どんな強者も、いずれは老いて弱者になるのだから。

 老いが惨めなのではない。老いを惨めにしているのは文明の方なのだ。だからこそ「老いは文明のスキャンダルである」とボーヴォワールは言った。上野さんは、その時まだ30代だった。

  1983年、全米女性学会でレズビアン・フェミニストのバーバラ・マクドナルドの演説に上野さんは出会う。「70歳、80歳、90歳がどんなものか、歳をとることは、それを新しく発見する過程である。高齢女性がこの経験について語れば語るほど、私たちを否定する社会に住む私たちは、それがどんなに革命的なことかが、わかってくる。私たちはセクシズム(性差別)の被害者でもあるけれど、エイジズム(年齢差別)の被害者でもある」。この言葉を聴いて上野さんは壇上のバーバラ・マクドナルドに掛け合い、彼女の著書の日本語訳の許可をもらったという。

 即ち、若さを維持するための「アンチエイジング」ではなく、「アンチエイジング」に抗う「アンチ・アンチエイジング」を知らしめるために。

 「超高齢社会」の日本。65歳以上の高齢者の人口比7%以上を「高齢化社会」と言い、14%以上を「高齢社会」と呼ぶ。日本は、2015年、高齢化率26.6%、2025年、29.4%に達した。2025年、平均寿命(2024年データ)は女性87.13歳、男性81.09歳の長寿国となった。

 「超高齢社会」は、死ぬに死ねない老後が待ち受けている。そこで日野原重明は「サクセスフル・エイジング」、死の直前まで壮年期を引き延ばす思想を主張する。樋口恵子の「ピンピンコロリ」の思想だ。上野さんは、それを「自分が老い衰えることを、見たくない、聞きたくない、考えたくない思想のことだ」と翻訳する。だけど、そんな「アンチエイジング」を、果たして私たちは迎えられるのだろうか?

 「1970年のボーヴォワールが予想もしなかった時代を生きている私たち。4人に一人が高齢者、人生の最後に長期にわたる要介護期間を過ごす。ボーヴォワールが見ることのなかった超高齢社会の現実の中で、彼女が解けなかった問いにどうやって立ち向かえばいいのか? 彼女の不屈の挑戦のバトンを受け取りたい。これが私の課題である」と上野さんは結んでいる。

 ああ、そうなのだ。私たちは今、この時代、リアルに「老い」を生きている。「昨日できたことが今日できなくなり、今日できることが明日できなくなる、という確実な衰えの経験」を「それならこの経験を新鮮な思いで味わい、自分の新しい現実をありのままに受け容れたい」と上野さんは書く。

 「老い」に抗う「アンチエイジング」なんて「エイジズム」にほかならない。ならば私も老いるからこそ「アンチ・アンチエイジング」をめざしていこう。

 ここで私の過去の思い出の独り言。
 今から60年前の1966年、サルトルとボーヴォワールが人文書院の招きで来日した時、ボーイフレンドに誘われて岡崎の会場へ長い行列を並んで参加した私。だけど、その時の講演の中身はちっとも覚えてないのだ。

 その2年後の1968年、パリ5月革命が起こる。当時、ソルボンヌ大学に学んでいた女友だちは「カルチェラタンの私の下宿に警官に追われて逃げてきた学生を匿ったことがあるのよ」と語ってくれた。

 1995年、パリを旅した時、パリ・モンパルナスの墓地にサルトルとボーヴォワールの二人がいっしょに埋葬されている墓を訪れ、ふと感じたことがある。結婚制度にとらわれない自由な関係(契約結婚)を続けた二人が、なぜ同じ墓に入っているんだろうと不思議に思ったことを。

 私は今、リアルに「アンチ・アンチエイジング」を生きている。もう若さなんていらない。ありのままに歳を重ね、そのままに生きていくしかない。それもなかなかに難しいことなのだけど。

 でも歳を重ねることは年々、手帳にメモを書き続けるように、ささやかだけど、大事な私の歴史、自分史を紡いでいくことかもしれないと思ったら、なんだか少し気が軽くなり、ちょっとだけ、うれしくもなったよ。