2012.12.20 Thu
障害児・者たちよ、「そよ風のように街へ出よう」。彼らの自立を妨げるものには「迷惑をかけていけばいいのだ」。自立は「孤立」ではない。「周囲」を必要とする。
70年代末、養護学校義務化阻止の運動が吹き荒れていた頃、私は、がんに倒れた義母の看護のために自ら望んで東京から京都へ戻ってきた。病院と家との往復、看護という役割期待を果たすことに甘んじ、一歩も家を出られない「主婦的状況」に何の疑問ももたずに暮らしていた。
ある日、病院の前で、ひらひらと風に吹かれて落ちてきた一枚のビラに、ふと目を止めた。「『さよならCP』上映会」の呼びかけ文だった。行きたいと思った。
映画「さよならCP」(1972年 疾風プロ制作)は、歩行不可能な障害者が、街なかを身体をねじまげ、ひざで歩くという行為を、そのままカメラでとらえた映像記録だ。「同質」な街の空間に「異質」な存在を白日のもとにさらけ出す。歩いたのは横田弘さん(青い芝神奈川県連合会会長)、撮影は原一男さん。
その後、私は同志社チャペル・アワーで出会ったT君の介護グループに誘われて参加。学生たちに混じって障害のある人たちと街に出るようになった。彼ら、彼女らの自立生活を支えるために、24時間介護を分担して。
旧国鉄の乗車拒否やレストランの接客拒否が、まだ当然のようにあった時代。怒りのあまり本気で喧嘩をする私に、彼らは「そんなに怒らんでも、ええやん」と、ゆったりとやり過ごしていた。
家や施設から「出たい」という思いだけを頼りに、地域で一人暮らしを始めた女性障害者が、やがて結婚し、子どもをもうけるまでの数年間、個人的にもかかわった。
当時はまだ学生運動の名残があった頃。黙々と働き、実に優しい学生たち。一風変わった、愉快な人たちだった。
「思いやるというのは健全者に遠慮することではない。思いやった上で、それでもなおCPとしての主張を通さねばならない。時と場合によれば健全者がぶっ倒れるのを承知の上で、健全者を使いきらなければならないのだ」と横塚晃一さん(青い芝の会初代会長)は、『母よ!殺すな』(すずさわ書店)の中で語る。
『歎異抄』の「よきひとのおほせをかふりて信じるほかに別の子細なきなり」という親鸞の言葉を好んだという彼は、障害者と介護者のぎりぎりの緊張関係を、親鸞と法然との関係に重ねあわせたかったのではないか。
よく小学生の娘をつれていった。ある日、お風呂で「神さまは、どうして障害のある人をつくったの?」と聞く。「障害児は、ある一定の確率で生まれてくるの。世の中には強い人も弱い人も、自分とは違う人たちがいてあたりまえなの。それに障害をもつことは不幸ではないよ」と答えると、娘は「ふーん」と、じっと考えこんでいた。
その娘も、もう40代。結婚15年目に、たまたま授かった子どもを41歳で高齢出産。出生前診断の羊水チェックは、もちろん拒否。そして1歳半の子どもを抱えて、自ら離婚を選択した。今はシングルマザーとして、自己主張を始めた2歳半の子を相手に、毎日が葛藤の日々。
優生保護法改「正」案は中絶許可条件として「経済的理由」と「胎児条項」を掲げ、1972年、73年と二度、国会上程されたが、障害者と女性からの激しい反対運動で、74年、審議未了、廃案となる。10年後の82年、前回の「胎児条項」にはふれないまま、「経済的理由」の削除を求める自民党村上正邦議員(生長の家政治連合)が法案提出を目論んだが、全国的な反対運動と地方議会の請願採択の結果、時期尚早との慎重論が多数派を占め、83年3月、法案提出は見送られた。
82年の優生保護法改「正」案に「胎児条項」がのぼらなかったのはなぜか。76年から着々と進められてきた母子保健法改「正」の中に、すでにそれが組み込まれていたからだ。母子保健法改「正」の本来の目的は、優生保護法第1条「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」ことにあったのだ。70年代後半の家庭基盤充実構想も伴って。しかも「経済的理由」と「胎児条項」を分けることで、女と障害者の共闘関係を分断までして。
そして今、新・出生前診断が義務化されようとしている。
「妊婦の血液から、胎児のダウン症など3つの染色体異常がほぼ確実にわかる新しい出生前診断の臨床研究が、国内の10施設程度で10月から始まる。妊娠10週から検査可能で、35歳以上の高齢妊婦などが対象。ダウン症の場合、99.1%の精度で検出する。従来の検査法と違い、妊娠初期に採血だけで診断できるため、中絶という「命の選別」につながる懸念がある。その背景には急速な晩婚、晩産化がある。2011年の人口動態統計では初産の平均年齢が初めて30歳を超えた。同年に生まれた子のうち、35歳以上の高齢出産は約4分の1を占める」(『東京新聞』)。
さらには東日本大震災後の放射線被曝も、この動きの背後にあるのではないか。一番弱い立場にある「胎児」が最大の犠牲者となる。しかもその選択を強制されるのは「女」なのだ。
リブの運動の中で、「産む・産まないは女の自由」と、「中絶」の自己決定権を求める女たちと、「胎児条項」をめぐって「母よ、殺すな!」(その反語として「男よ、逃げるな!」と言いたい)と叫ぶ障害者たちと。女と障害者は、なぜ対立させられねばならなかったのか。二度の反対運動の中でも、結局、答えは出ないまま。そして新・出生前診断義務化は、行政機構と科学・医療機構の一体化の中で、女と障害者の上に日常的に重くのしかかってくる。
2012年12月23日、「新しい出生前検査について語ろう」(主催・『ハイリスク』な女の声を届ける会・SOSHIREN女(わたし)のからだから)の集会が東京で。同日、大阪でも「血液検査だけで子どもの「障がい」がわかるって、それっていいこと? わるいこと」(主催・生殖医療と差別――紙芝居プロジェクト。協賛・京都ダウン症児を育てる親の会(トライアングル))が開かれる。
12月16日、衆議院総選挙が終わった。結果は予想どおり。最悪だ。かつてのドイツ・ワイマール末期の様相にも似て、日本は今、優生思想を根底にファシズムへの道を着々と歩みつつあるのでは、と。若い人たちの未来を思うほどに、暗澹たる気持ちになる。
連載「旅は道草」は、毎月20日に掲載の予定です。以前の記事は、以下でお読みになれます。
http://wan.or.jp/reading/?cat=12
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