陽の当らなかった女性作曲家シリーズV第7回は、イギリスのマリア・へスター・パーク(Maria Hester Park)をお送りします。イギリス国内で1760年に生まれ、1813年に亡くなりました。あいにく具体的な生誕地も、亡くなった土地も明確な記録は残っていませんでした。

 1772年から1779年の間にオックスフォード地方で演奏を始めた記録が、彼女の名前が出た最初でした。12歳から19歳の時です。プロとして活躍した初の女性音楽家だったという記述があり、これほど古い時代で、ましてや女性作曲家にもかかわらず、なぜプロとして活躍できたのか? なぜ作品が多く残されているのか? そこから彼女の人生に興味を持ちました。

 22歳でオックスフォードのハノーバースクエア・コンサートシリーズで、クレメンティ作曲の2台のハープシコード用協奏曲を演奏しました。相方は、やはり女性作曲家として記録のあるジェーン・マリー・ゲスト(Jane Mary Guest)でした。1773年にはイタリアの作曲家・サッチーニの歌曲を歌った記録も残されています。コンサートはオックスフォードミュージックルームを舞台に行われ、パークは専属オーケストラの鍵盤楽器担当でもありました。

     ハノーヴァースクエアルーム

 ちなみにオックスフォード地方は、ロンドンより約90キロ、オックスフォード・アポン・エイボン等、観光地として人気の土地で、何よりイギリス最古の歴史を持つオックスフォード大学のある街です。このミュージックルームは、現在のオックスフォード大学に併設するHollywell music room の前身と考えられます。

 イギリスは、大作曲家ヘンデル(1685-1759 )がドイツから移り住んで生涯暮らした土地であり、またオーストリア出身のハイドンも2度に渡る滞在記録があります。ふたりはイギリスの音楽界に大きな影響をもたらしました。

 マリアは1785年までのいずれかの時期にロンドンで生活を始めており、1790年にはトーマス・パーク氏と(Thomas Park、 1759-1834) 結婚しました。パーク氏はエングレーバー(彫刻士)として活躍した職人であり、イギリス滞在中のハイドンと親しい友人関係にありました。ハイドンも夫も社交界に幅広い人脈を持っていました。

 結婚の前後で演奏活動からは一線を引きましたが、引き続き指導者としての活動と作曲活動は旺盛に続けました。夫婦は仲睦ましく、ひとり息子と四人の娘に恵まれ、息子は若くして亡くなりましたが、それでも陪審員やリーガルヒストリアンとして活躍しました。娘たちは母親亡き後、父親が亡くなるまでの約20年は傍で世話をしました。

 なお、同時代を生きた近隣の女性作曲家をご紹介しますと、オーストリアのM・マルティヌス(1744-1812)は、並外れた才能で多方面に活躍し、女帝マリア・テレジアのお気に入りで、同業のモーツアルトは彼女の書式を参考にモテットを書きました。これほどの活躍でも、宮廷音楽家の地位は男性のみに与えられた特権でした。

 同じくイギリスのC・バルテレモンは(1767-1859) ロンドンで名の知れた音楽家の両親に育ち、ハイドンに薫陶を受けました。尚、イギリス滞在中のハイドンに関しては、このエッセイに詳しく書いてありますのでご参照ください。

 パークは、この時代の女性作曲家としては多作でした。大方はあいにく紛失していますが、鍵盤楽器用ソナタや、バイオリンと鍵盤楽器のソナタ等、作品番号のある作品は13曲存在し、単独の作品は2曲残されています。多くの作品は複数の楽章から成り立っています。各作品には献呈者が存在しました。きわめてサロン的で、それほど技巧的ではなく、英語のwikiにはイギリスの作家J.オースティンの小説に登場する女性たちが好んで弾くような作品と記載があります。オースティンはパークとちょうど同じ時代を生きた作家で、「分別と多感〜Sence and Sensibility」「高慢と偏 見~Pride and Prejudice」は筆者も親しみがありましたので、演奏するにあたって想像の助けになりました。

         ハイドン

 音楽活動には、ハイドンや夫を通して培った貴族や王族との人脈が役立ちました。そして何より、ハイドンが夫パーク氏の作品を所有していたことが記録として残っており、彼女を知る上で貴重な資料となりました。指導に当たっても貴族などのハイソサエティの生徒たちに恵まれ、作曲活動と生徒指導で収入を得ていました。

 ちなみに、エングレーバーの社会的地位や影響力に実感が持てなかったので調べを進めますと、もともとはイタリアより入って来た彫刻(Engraving )は、石板、金属板、ガラス素材等にポートレートや風景画などを彫り、印刷する美術作品に発展します。イギリスでは18世紀後半から人気を博しました。

 ハイドンがイギリス滞在中に書いた有名な3曲の鍵盤ソナタの中、ニ長調Hob.XVI:51番 はマリア・パークに献呈した記録が、ハイドンからパークの夫への手紙に残されています。ハイドンは夫パーク氏の作品を所蔵する親しい間柄でした。もっとも一般的には50番から52番はBartolozziに捧げられたとされており、筆者のウィーン原典版ソナタ集にもその明記があります。イギリス滞在中のハイドンは、社交界で華麗な人脈に生きており、Bartolozziはアートディーラーを夫に持つ女性でハイドンの生徒でもありました。

 マリア・パークは1813年52歳でかねてよりの不治の病で亡くなりました。夫は身体の半分が奪われたような深い悲しみと喪失感に、追悼の詩をしたためました。参考文献: Inviting Historyからご紹介します。

By skill and science highly was she grac'd
In music's melting art, and with such taste
And touch of feeling did she sounds convey,
Her heart appear'd more than her hands to play;
Yet what did most the hearts of others win,
All was sweet harmony, sweet peace within;
Whence I may say, who best have claim to know,
She never lost a friend, she never made a foe.
Take this remembrance, dear departed Worth!
Till Heav’n do more make known what once
thou wert, on Earth.

  この度の演奏は作品7の鍵盤ソナタ、ハ長調第1楽章です。様々な作品を試しましたが、この作品がいちばんしっくり来ました。楽譜は参考文献にダウンロード先を置いていますのでご参照ください。

参考文献
D.Hayes. Maria Hester Reynolds Park
Wiki, Maria Hester Park - Wikipedia
イギリスの彫刻の歴史 Engraving | History of Science Museum
楽譜ダウンロード先 パーク マリア・ヘスター - IMSLP/ペトルッチ楽譜ライブラリー: パブリックドメインの無料楽譜
Inviting History. このサイト内で夫パーク氏による妻への追悼の詩をご覧いただけます。
Inviting History: Women's History Month: Maria Hester Park: "By skill and science highly was she grac'd/In music's melting art"