エッセイ

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会田誠氏安吾賞にNO!:シンポ報告

2014.08.13 Wed

会田誠氏への新潟市安吾賞授与にNo!  芸術といえば何でも許されるのか連絡会から、
シンポジウム「ほうっておけない第8回安吾賞――人権の視点から」(6月22日・新潟市)と、シンポジウムその後を報告します。

【シンポジウム報告】
このシンポジウムは、「犬」シリーズなど女性への暴力を描いた作品で知られる芸術家・会田誠氏に対して、新潟市が第8回安吾賞を授与したことを疑問視する新潟市内外の人びとによって企画された。パネリストは西山千恵子(青山学院大学非常勤講師)、澁谷知美(東京経済大学准教授)、北原みのり(ラブピースクラブ代表)、牟田和恵(大阪大学教授)の4人、司会はにいがたジェンダーゼミのメンバーが務めた。参加者は40名余り、東京など市・県外からの顔ぶれも何人かあった。
残念ながら、4人のパネリストに肝心の新潟市民は含まれていない。開会挨拶で澁谷はこのことに触れ、新潟市の表彰行為に対して、地元市民が顔・名前を出して正面から批判することの難しさを伝え、安吾賞批判を地元で展開していく際の「壁」に言及した。

各パネリストの発言内容は以下のとおり。
西山は「検証:第8回安吾賞の作られ方・語られ方」と題し、会田誠展の街頭広告写真や「犬」シリーズ等の作品、安吾賞の概要、市のHP情報などを紹介、次いで授賞直前に新潟日報紙に掲載された、新潟国際情報大学のシンポジウム報告記事のフェミニズム批判を再批判した。そして同氏の性暴力作品や便所のぞきについての言動を市民に知らせることなく、その「生きざま」を「偽悪」として称揚した新潟市・安吾賞の白紙撤回を訴えた。

澁谷は「性犯罪経験があるかもしれないと人に思わせる『汚れたイメージの作家』を市が表彰することはなぜ問題なのか」というテーマに即し、過去の便所のぞきについてほのめかし、過去の行状が明らかになったとしても「ま、どうせこちらは汚れたイメージの作家、痛くも痒くもありませんが」と述べる会田氏自身の現在のツイッターでの発言を紹介した。続いて、問題は過去の行状ではなく、それを悪びれることなく自身の作家イメージに取込む現在の行為だと指摘した。また、行政の役割は「あらゆる人が、同等の自由をもった尊厳ある人だと認められる状態」を推進するものであり、新潟市による表彰はその役割を放棄するものと主張した。そして忍従への慣れに甘んじることなく、今こそ怒りの声を上げるべきと力強く呼びかけた。

北原は会田誠作品に関連して、現在の日本でロリコン商品が深刻なまでに流通している状況を批判した。アマゾンのアダルト商品の売れ筋上位をロリコングッズが占め、ジュニア・アイドルビデオでは女児らが5歳くらいから水着で登場、性的に消費され、秋葉原では毎週、小中学生の女児の水着イベントが開催されている。そんな男たちの性欲に寛容な日本社会では、女性からのポルノ批判は会田批判と同様、無効化されがちだが、女性たちが声を出し、ポルノを議論していけるネットワークを作りたいと結んだ。

最後に牟田は「女性を沈黙させる性暴力表現・性犯罪」と題して、ミソジニー社会の中で、ポルノや性犯罪において女性が沈黙を強いられる構造を取上げ、性の「タブーからの自由」が常に一方的に女性の性を利用する形で設定されてきたことの非対称性を指摘した。そして私たちにできること、したいこととして、①ふつうの感覚を大事にする、②作品をしっかりと見つめる、③「女性として」見てみる、④自分の気持ちを表してみる、の4点を提案した。
 地域に密着した、現在進行中の問題を取り上げたシンポジウムということもあり、会場からは質の高い感想、質問が20件近く(参加者の約半数)寄せられ、密度の濃い質疑が続いた。閉会時間を迎え、議論は場所を変えての懇親会まで持ち越された。

【シンポジウムのその後についての報告:新潟日報報道、新潟市文化政策課および新潟市長のコメント】
新潟日報(6月26日付朝刊)は「新潟市の安吾賞選定 シンポで批判の声 『性暴力の肯定』を危惧」と題した記事で当シンポジウムを報じた。当会のメンバーである西山、澁谷は上記の通り、会田氏による女子便所のぞきの自身の「作家イメージ」への取込みを問題視し、市行政によるその生きざまの表彰を告発した。しかしながら新潟日報の報告記事は、この論点を消し去り、澁谷の登壇の事実にすら触れなかった。そして、作品論のみに焦点をあてた形でこのシンポジウムを市民に伝えた。これは明らかな情報操作である。この記事の末尾には、会田氏について、「現代を的確に見据える批評的な精神を選考委員会が評価した」という市文化政策課のお定まりのコメントが紹介された。

また、新潟市長は、6月27日の記者会見で、6月22日シンポジウムの安吾賞批判を受け、「無頼をテーマの一つとしているので、さまざまな摩擦が生じることはやむを得ない。(批判の声があることで賞の選定には)今後影響はない」、「批判には真摯に耳を傾ける。選考委員が選んだ方には異議は唱えない」などと述べた(新潟日報・6月28日付朝刊記事)という。
最後に何度でも強調したいことであるが、会田氏の便所のぞき(実際には女性器のぞき)の言動について、私たちは「過去に便所のぞきをしていた人間に賞をやるな」と主張しているのではない。女子便所のぞきという性加害の経験をほのめかし、これを「作家イメージ」の一つとして「痛くも痒くも」ないといいながら取込み、便所のぞき小説を刊行し利用し続けている作家に対し、市が「無頼」として褒め称えるな、賞をやるな、と言っているのである。
現在、議会の性差別・セクハラやじが厳しく問われている。同様に市行政による性差別・セクハラ表彰も断じて許されるものではない。新潟での闘いはこれからが本番である(文中、一部敬称略)。

カテゴリー:団体特集 / シリーズ

タグ:性表現 / アート / 芸術 / 性暴力 / 会田誠