2014.06.10 Tue
女ぎらい ニッポンのミソジニー
著者 上野千鶴子
紀伊国屋書店
2010年10月 出版
本書によって世に出る言説をもって、男は「男であること」、女は「女であること」に和解し解放される。性別二元性のジェンダー秩序の今世に深くふかく埋め込まれた核が、白日の下にさらされる。潜在意識のなかで眠っている「それ」と知らず、男は女ぎらいを片時も手放すことなく生き、女は生きづらさを生きている。
ミソジニーは女ぎらい、女性嫌悪と訳される。あるいは、女性蔑視、女性憎悪とも。男のミソジニーは、他者に対する差別であり、侮蔑である。男は女になる心配はないから、安心して女を他者化し、これを差別することができる。だが、女にとってのミソジニーは、自分自身に対する嫌悪となる。自己嫌悪しながら生きつづけるのは、つらい。
この本を読んで「へええ、信じらんなーい。こんなばかげた時代があっただなんて、と読者が驚き呆れてくれたら・・」と、上野さんは願う。そうして本書に書かれた事実が過去に属するものとなった時、私たちは近代、ながく重く背負ってきた「人」としての荷物をおろすことになるだろう。
この本をちょうど読み終えた時、「草食男子0.95の壁」という本の著者、竹内久美子さんの記事が私の目にとまった。これは、草食男子が増えたことを動物行動学の知見から考えた恋愛科学エッセイだそうだ。記事はこう謳っていた。『草食男子のおかげで、人類は動物本来の姿からかけ離れていく。このままでは日本の少子化はますます進む。これはなんとかしなきゃいけません。』と。
動物本来の姿より、私は「人」としての姿を望みたいと思った。だれも差別、抑制されない人の世の時代を切望している。
堀 紀美子
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