日本相撲協会・八角理事長 様
日本相撲協会「土俵の女人禁制」に抗議し要望します!
各メデイアの報道によると、4月4日午後2時過ぎ、京都府舞鶴市で開かれていた大相撲の春巡業「大相撲舞鶴場所」で、土俵上で挨拶をしていた多々見良三舞鶴市長が倒れた。そのとき、二人の女性が土俵に上がり、心臓マッサージをしていたところ、少なくとも3回にわたって「女性の方は土俵から降りてください」という場内アナウンスがあったという。その後、救急隊員が土俵に上がり、女性に代わって救命措置を始めた。その間にも複数回、「女性は降りてください」と場内アナウンスがあったという。市長は救急車で病院に運ばれ、くも膜下出血の手術を受け、一命をとりとめた。
アナウンスをしたのが、行司だったことは、当日夜、日本相撲協会の八角理事長が「行司が動転して呼びかけたものでしたが、人命にかかわる状況には不適切な対応でした。深くお詫び申し上げます」とのコメントを出したことでわかった。人命より「女人禁制」を優先した行司の態度に多くの人が怒りをもったし、わたしたち「大峰山女人禁制」の開放を求める会も同様である。行司自身のなかに「女人禁制」が染み込んでいる体質の恐さを感じる。さらに、女性を含む救護にあたった人たちが土俵から降りた後、相撲協会関係者が大量の塩をまいていたと報道された。大相撲では力士がけがをしたときなど、塩をまくことがよくあるが、「女性は降りてください」の発言のあとにまかれた塩は、女性に向けられたものであり、「女人禁制」の名のもと、救助にあたった女性をはじめ、すべての女性を貶める行為である。日本相撲協会の「土俵女人禁制」にわたしたちは強く抗議する。
大相撲の土俵上に女性が上がることができない問題は、「女人禁制」として、これまでにも問題になった。
1978年5月、小学生の「わんぱく相撲」東京場所・荒川区予選で小学5年の女児が優勝したが、蔵前国技館で開かれる決勝出場を日本相撲協会が拒否した。1991年には徳島県美馬郡予選で小学5年の女児が優勝したが、決勝へ進んだのは予選2位の男児だった。1990年、官房長官の森山真弓氏が初土俵の優勝力士に内閣総理大臣杯を手渡したいと申し出たが、日本相撲協会は遠慮してほしいと拒否した。2000年から8年間、3月の大阪春場所で当時の太田房江大阪府知事が府知事賞を手渡そうとしたが、これも拒否された。また、直近では、大相撲地方巡業「宝塚場所」で中川智子市長が、日本相撲協会実行委員会に「土俵上であいさつしたい」と申し出たが、日本相撲協会は「土俵下でのあいさつをしてほしい」と断った。いずれも日本相撲協会が「土俵上は女人禁制」という考えから、拒否したものである。土俵上の「女人禁制」は、そのときどき「伝統」か「差別」かとの物議を醸し出している。土俵上の「女人禁制」は、「女性は穢れた存在」という理由が大きい。しかし、日本相撲協会は、そのことを伏して、「伝統」「文化」として標榜している。
今回の「女性は降りてください」事件を、わたしたちはけっして見過ごすことができない。男女共同参画社会をめざす日本で、「女人禁制」が人命より大切といったことが許されていいはずがない。
日本相撲協会はこの事件を機に、科学的な根拠がない女性蔑視の「女人禁制」を根本から見直すことを抗議するとともに要望する。
2018年4月6日
「大峰山女人禁制」の開放を求める会
共同代表 畑 三千代
源 淳子
2018.04.06 Fri