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第24回「女性史青山なを賞」受賞 荻野美穂さんインタビュー

2010.01.31 Sun

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 荻野美穂さんの『「家族計画」への道―近代日本の生殖をめぐる政治』 (岩波書店、 2008年10月刊)が、第24回(2009年度)「女性史青山なを賞」を受賞されました。

 もう読まれた方も多いと思いますが、重厚な学術書であるにもかかわらず、面白く読み進めることができる魅力あふれる作品です。

 そこでブックストアB-WANでは、荻野さんへのインタビューを行いました。

 本特集のインタビュアーは、伊賀みどり、千田有紀、林葉子です。

『「家族計画」への道―近代日本の生殖をめぐる政治』 の目次と概要について知りたい方は、本の表紙をクリック!

伊賀:
 このたびは「女性史青山なを賞」の受賞、おめでとうございます。多くの資料を収集し、かつ緻密に分析することは、大変な仕事だったと思います。受賞の感想をお聞かせください。

荻野: 
 ありがとうございます。女性史の研究を始めて20年以上たちますが、これまでとんと賞には縁がなく、そんなものなのかなあと諦めていたので、受賞の知らせをいただいた時はとっても嬉しかったです。とくに今回の本は、研究者としてスタートした最初からずっと暖め続け、調べ続けてきた、近代日本における避妊と中絶の歴史というテーマをようやく1冊にまとめることができたものだったので、それを認めていただけたことが、余計に嬉しかったですね。

千田:
 今回の御本、内容もとても素晴らしく面白かったんですが、それと同じくらいに「あとがき」が面白かったです。

林:
 同感です。読者としては、テーマも内容も面白いだけに、著者である荻野さんのお人柄にも興味を持つし、この本が書かれた背景についても知りたい、と思うわけで、この「あとがき」は、そうした読者の期待に応えてくれていますよね。でも、本特集は、もっとそのあたりを詳しく伺おうということで企画したインタビューです。

千田:
 荻野さんが女の身体をめぐる政治にどうして関心を持ったのか、教えてください。

荻野:
 最初は、やはり自分自身が女で、妊娠・出産を経験しているし、その過程では避妊も中絶もとても身近で切実な問題だったことが、いわば原体験としてありますね。1980年代に30代半ばで女性史を勉強し始めた時も、女にとっては一生を左右するようなこんなに重大な問題が、なんで歴史研究のテーマにはならないんだろうと不思議でした。

 でも調べてみたら、欧米では私の訳したアンガス・マクラレンの『性の儀礼―近世イギリスの産の風景』 (人文書院、1989年)をはじめ、生殖や女の身体をめぐる新しい研究がたくさん出ていることがわかって、その面白さにやみつきになりました。

 もう1つ大きかったのは、やはり80年代の終わりに、当時京都にあったウィメンズブックストアの仲間たちと一緒に、アメリカのフェミニズム運動から生まれたOur Bodies, Ourselvesという本を翻訳し、『からだ・私たち自身』 (ウイメンズブックストア松香堂、1988年)として出版したことです。

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 この日本版は残念ながら今はもう絶版になっていますが、女の自由や解放にとって身体の問題、とくに産む・産まないを自己決定できるかどうかがいかに重要かを教えてくれたのが、この本です。それを裏返せば、だからこそ女の身体はどこの社会でもつねにさまざまな権力から管理や介入の対象になり続けてきたわけで、私は、そのあたりのせめぎあいを歴史的にいろんな角度から見てみたいという一心で、研究を続けてきたと言えます。最初の著作である『生殖の政治学―フェミニズムとバース・コントロール (歴史のフロンティア)』 (山川出版社、1994年)から、ずっとそれは変わりません。

林:
 『からだ・私たち自身』 は、私も興味深く読みました。その続編である『愛!?―私自身を生きるために』 (ウイメンズブックストア松香堂、2001年)も、荻野さんの監訳で出版されましたね。『からだ・私たち自身』 は、日本だけでなく、たくさんの国で翻訳されて、ずいぶん大きな影響を与えた本なのですよね?

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荻野:
 はい。1973年の初版以来、何度も改訂版が出され、20以上の言語に訳されて、現在でも世界各地の女たちの手でその地域にあった新しいヴァージョンが作られ続けている、フェミニズムの生んだロング・ベストセラーです。2007年には、この本がアメリカで生まれてどのように世界に広がっていったか、その軌跡をたどったKathy Davis,『Making of Our Bodies, Ourselves: How Feminism Travels Across Borders (Next Wave: New Directions in Women's Studies)』(Duke University Press)という本まで出版されました。この本には、日本語版と、それを作った松香堂店主の中西豊子さんや私も登場するんですよ。

林:
 B-WANは中西さんのウイメンズブックストア松香堂の発展形ですから、WANとも縁が深い話ですね。

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林:
 ところで荻野さんは、性の歴史を学ぶときに固有の難しさって、あると思われますか? 私は二十代のはじめ頃に『制度としての「女」―性・産・家族の比較社会史』 (平凡社、1990年)を初めて手に取ったのですが、当時は、荻野さんが書かれた「女の解剖学窶萩゚代的身体の成立窶煤v(『ジェンダー化される身体』 に再録)を直視できなかったんです。図版が過激すぎて(笑)。

それで、私は自分の出産の体験を経て、ようやく性や生殖にかかわる図版や用語に接してもドキドキしなくなったのですが、なんというか、この性的事象に対する精神的動揺の問題を一度乗り越えないと、性や生殖については、冷静に考えたり論じたりするためのスタートラインにさえ立てないという困難があると感じています。荻野さんご自身は、その難しさをどのように乗り越えられたのでしょうか?

荻野:
 マクラレンの本や『からだ・私たち自身』 を訳している間に、自然に免疫ができたのかも(笑)。生物学や医学など、性や身体について即物的に扱った本を読むのは、昔からわりと好きでしたし。

伊賀 :
 『「家族計画」への道』 に戻りますが、この研究で最も訴えたかったことは何ですか? また、苦労したことは何ですか?

荻野:
 う~ん、私はどちらかというと自分が納得したいがために研究をしてきたので、あんまり意識的に特定のメッセージを「訴えたい」というふうには考えないですね。ただ、私の本を読んでくださった方々が、かつての私と同じように、自分は近い過去のことについてさえ何て無知で、勝手な思い込みを持っていたんだろう、歴史って、知ってみるとこんなに意外性に富んでいて、複雑で面白いものだったのか、と思っていただければ、とても嬉しいですけど。

 苦労としては、研究対象が近代から現代なので、集めはじめると史料がありすぎて、どこまで行っても「十分に調べました」とはならないことでしょうか。沢山集めた史料の中からどれを取ってどれを捨てるかも、悩みどころでした。

林:
 荻野さんのこれまでのお仕事を再読して、あらためて素晴らしいと思うのは、研究の中心軸に全くぶれが生じていないという点です。歴史研究って、調べているうちに面白い資料が次々に出てくるから、その面白さに捕らわれて、つい、脇道にそれてしまいがちです。でも、荻野さんは長年にわたって、一貫して性と生殖の「政治」について追究してこられました。私自身は一本の論文を書くだけでも、資料を集める過程であちこちに関心が分散してしまって、なかなかまとまらなくて困ることも多いので、いつも「荻野さんのような芯の強さを持ちたい」と思っているのですが、これまでに、性と生殖以外のテーマの“誘惑”はありませんでしたか?

荻野:
 性と生殖という領域の中だけでも、「男」という性の問題や新しい生殖医療技術をめぐる問題、優生学と生命の選別の問題、あるいはトランスジェンダーや性転換の問題など、興味をそそられるテーマがごろごろしているので、それらを追いかけるだけで忙しく、なかなかそれ以外のところまで浮気しに出かけていく余裕がないですね。

千田:
 ところで、歴史研究のだいご味とは何でしょうか?

荻野:
 今回の本の「あとがき」にも書きましたが、こつこつと集めた古い史料になるべく虚心坦懐に向き合っていると、過去のシーンやその場の空気、人々の話し声などを体で感じとれるように思えて、ぞくぞくっとすることがあります。錯覚と言えば錯覚なのですが。それと、自分自身や周りの現象について、「ああ、なるほど、こういう歴史的なプロセスの結果として、いまこうなっているんだな」と、ちょっと距離を置いて見られるようになるのも楽しいですね。

林:
 今のお答えをお伺いしていても思ったのですが、荻野さんの作品の表現って、映画的ですね? WANって、なぜか記事の全体数に対して映画評の割合がすごく高いと思うのですけど(笑)、荻野さんも映画は大好きで、ずいぶんたくさん見ておられて、そのことは、歴史研究の内容や表現の方法にも影響していますか?

荻野:
 どうなんでしょう。抽象的な議論ばかりで読者を退屈させないためにも(笑)、できるだけ具体的で、イメージの喚起されやすいエピソードを探す、といった工夫はしていますが。

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千田:
 荻野さんは前に『中絶論争とアメリカ社会―身体をめぐる戦争』 (岩波書店、2001年)で、詳細に女の身体をめぐる「戦争」を追われていましたが、今回の『「家族計画」への道』 は、その日本版だと思って読みました。

林:
 日本の歴史が国際的な文脈との関係で描かれている点は、『「家族計画」への道』 という作品の魅力の一つですね。

荻野:
 国際的な比較や関係性の視点というのは、ものごとを多面的に見るために必要だと思っています。ただ、中絶問題にかんしては、アメリカはかなり特殊な展開を見せている社会かなという気がしていて、本当は日本とアメリカだけでなく、もっと多様な社会について見ていくことが必要なのだと思います。

千田:
 その日米の比較において、同じ近代社会だけれども、女の身体をめぐるまなざしについての相違点を感じておられたら、その点をもう少し詳しく教えて欲しいなぁって思いました。

荻野:
 それはとっても重要だけど、いま答えるのは難しい問題ですね。日本とアメリカのフェミニズムの言説を見ても、「身体的自己決定権」とか「リプロダクティヴ・ライツ」とか、同じような言葉を使っていても、言おうとしていることは違うんじゃないかと感じることがあります。でも、どこがどう違うのか、それはなぜなのかは、もうちょっと考えてみないと。

千田:
 あと『「家族計画」への道』 では、個人的には避妊のところが面白かったです。最近のできちゃった結婚の流行るご時世と、避妊が忌避されていた時代と重ね合わせて、何かお考えをお聞かせいただければ。

伊賀:
 たとえば、現代の若い男女に対して、出産や中絶に関する助言などがありますでしょうか?

荻野:
 助言なんて、おこがましいことは苦手なので……。できちゃった婚というのは、昔のように性と生殖を切り離すのはとんでもないという発想から避妊をしなかったわけではないでしょうから、避妊への忌避感というよりは、性知識の不足や怠慢の産物という性格が強いのだろうと思います。でも、あまりに生殖が意識的・意図的に管理されすぎる時代になったために、もしかしたら潜在的にそれに対する反発があって、「運任せ」の行動に結びついているのかな? ちょっと、うがちすぎた解釈かもしれませんが。

林:
 最後に、荻野さんは今後、どのような研究課題に取り組まれるご予定でしょうか?『「家族計画」への道』 のあとがきでは、現在進行形のテーマ、たとえば生殖補助医療技術などの問題を挙げておられますが、現在、荻野さんが最も関心を寄せておられるテーマについて教えてください。

荻野:
 これまで取り上げてきた避妊や中絶の問題と不妊治療に代表されるような新しい生殖技術の問題を、それぞれ別々の問題としてではなく、同じ歴史的なプロセスの延長上に位置する問題として関連づけながら、新しい生殖技術の何がどう問題なのかについて論じられればいいなと考えています。いま、日本とアメリカのフェミニストたちが生殖技術をめぐってそれぞれこれまでにどんな議論を展開してきたか、改めて整理してみたいと思っているところです。

 それと、ポスト構造主義の登場以降、フェミニズム理論は「脱身体化」したと批判されることがありますが、そういうふうに身体の意味が希薄化する現象も含めて、フェミニズムが女の身体の問題をどのように扱ってきたのかについても、関心を持っています

千田:
 新しい生殖技術が、女の身体を置き去りにしたまま、どんどん進展していっている現実を考えると、荻野さんの新しい仕事からますます目が離せませんね。また、ポスト構造主義によって「脱身体化」した側面もあるかもしれませんが、ただこれまでとはちょっと違った角度から女の「身体」を見直すことを可能にした部分もあると思います。そのような潮流のなかに荻野さんの研究も位置づいていると思いますので、これからもいっそう女の身体の問題を考えていく必要性は深まっているのではないかと思います。今日はどうも有り難うございました。とても楽しかったです。








カテゴリー:ジェンダー学 受賞情報