
書 名 森瑤子の帽子
著 者 島崎今日子
発行日 2019年2月27日
発行元 幻冬舎
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ジェンダーの視点から数多くの評伝やルポルタージュを発表してきた島﨑今日子の新刊『森瑤子の帽子』(幻冬舎、2019)は、構想4年、執筆1年半を経て完成した大著である。著者の島﨑は、「AERA」の「現代の肖像」などで、綿密な取材とインタビューに裏打ちされた、読む人の心を揺さぶる文章を書いてきた。『この国で女であるということ』 (ちくま文庫、2006)、『〈わたし〉を生きる――女たちの肖像』(紀伊國屋書店、2011)、『安井かずみがいた時代 』(集英社文庫、2015)などの著作は、現代を生きる人を鼓舞し、背中を押し、支えてくれる。本書『森瑤子の帽子』では、1978年に「情事」で第2回すばる文学賞を受賞して華々しくデビューした作家・森瑤子の人生を鮮やかに描き出した。
米国籍を持つ35歳の男性レインとイギリス人の夫と娘がいるヨーコとの愛を描いた「情事」は一躍脚光を浴びた。この小説は、私生活でも、イギリス人アイヴァン・ブラッキンと結婚し、長女を出産し、専業主婦として暮らしていた作者の森瑤子の生活を一変させた。六本木のバー、洒脱な会話、ちりばめられた固有名詞の煌びやかさ。女性たちが欲望を解き放ち、自己表現をはじめた時代に書かれたこの小説が時代の賜物であることは確かだろう。自分の実存をかけて、「伊藤雅代」から「森瑤子」へと変貌を遂げた彼女は、書くことに一生を捧げた。森は、生涯に100冊を越える本を出版し、ベストセラー・リストの常連となった。森瑤子は、本書のタイトルにもなっている豪奢な帽子をトレードマークに、作家としてバブル時代を疾走した。
1940年に生まれ、敗戦までは中国の張家口に住んでいた森は、その時点で戦争と戦後の証人でもあった。また、高度経済成長の最中に東京藝術大学に入学し、ヴァイオリンを学び、作家や画家たちと交流した森は、1950年代、60年代、70年代の新しい文化を体現した人でもあった。
島﨑が本書で明らかにするように、森が選んだテーマはどれも、最先端であり、鮮烈だった。「情事」におけるセクシュアリティや女性の自立をめぐる問題はもちろん、エッセイ『叫ぶ私』(1985)などでは母娘関係を真正面からとりあげた。本書で、島﨑は、森の家族や友人への膨大なインタビューを行い、母との葛藤に苦しんだ娘としての森の苦悩を浮き彫りにした。また、妻であること、母であることとどう折りあいをつければよいか迷いながら、小説を書く覚悟を決めてゆく過程において、母となった森と三人の娘たちとの関係にも焦点があてられる。森の小説やエッセイは、母娘関係という点で読み直すとき、現在においても、また新しい視点をくれるだろう。
本書において、母との確執に思い悩んでいた少女時代の森が、空想の世界に心を逃そうとする場面が鮮烈な印象を与える。森は、長女のヘザーにも、「ひとりぼっちで淋しくなったときに没頭できるものがあることが大切」と話していたという。想像力は追いつめられた人の心を、「いま・ここ」とは違う世界へと逃してくれる。現代において森の小説を読み直すとき、その想像力を小説という言語表現として結実させ、自分が抱えている苦しみや渇望と向かいあいながら、別の生のあり方を手探りした作家の軌跡が読みとれる。そして、森がそうした言葉を得るためには、彼女に決定的に影響を与えた女性たちの存在があったことも、本書は証言している。彼女の小説の世界を最後まで守ろうとした本田緑。そして森が憧れた友人たち。彼女たちとの関係性は決して平坦なものではなく、すれ違いもし、対立することもあった。けれども、自分を生きようとした彼女たちは、懸命に、「いま・ここ」と対峙しながら、新しい生き方を見つけて行った。本書が持っている最大の魅力は、彼女たちの時代を複数の証言によって浮かびあがらせた点だ。一人の作家が生まれるとき、そこには一つの時代があったのである。
彼女たちの時代は、こうして次の世代に伝えられる。
◆岩川ありさ(いわかわ ありさ)
法政大学国際文化学部専任講師。
主な論文に、「前未来形の文学―小野正嗣『獅子渡り鼻』論」(『現代思想』2019年3月臨時増刊号「総特集・ジュディス・バトラー」)、「変わり身せよ、無名のもの―多和田葉子『献灯使』論」(『すばる』2018年4月号)など。
インタビューに、「吉本ばななインタビュー 32年目の名人芸」(『ユリイカ』2019年2月号)など。
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