1970年代末のポーランド。自然の美しい田舎町に住む12歳の少年ピョトレック(マックス・ヤスチシェンプスキ)は、平穏な夏休みをおくっていた。母親のヴィシャ(ウルシュラ・グラボフスカ)とのふたり暮らしで、父親のイェジ(ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ)は出稼ぎのため家にいない。ピョトレックは、母と一緒に自転車で出かけて池で泳いだり、家でチェスをしたりして過ごす、ふたりだけの時間が楽しくてたまらなかった。
だが、あるときを境に、ヴィシャが毎晩のように家を空けるようになってしまう。化粧をして身なりをととのえ、自分を置いて出かけていく母親に対して、ピョトレックは次第に寂しさと不安をつのらせていった。自分を顧みない彼女に対して、彼は、やがて反抗的な手段をとるようになっていく。
一方でピョトレックは、夏の間だけ祖母のもとで過ごすために、家族とともに町へやってきたマイカという少女と親しくなった。しかし、それもつかの間、子ども同士のコミュニティでも思わぬトラブルが起こり、彼の日常は穏やかさを失っていった。
そんな折、父親から月に1度の電話がかかってきた。元気かと尋ねたあと「家はどうだ?/ママのことさ/夜は退屈だろう」と息子に妻の様子をたずねる父親に対し、ピョトレックは押し黙ってしまうのだが――。
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本作は、ポーランドの自然にかこまれた田舎の町で、12歳の少年が経験したひと夏を抒情的に描いた作品だ。事情を抱えている大人たちの状況がほとんど説明されないのは、まだそれらをじゅうぶん把握できない子どもの眼差しで物語がすすむからだ。登場人物たちのむき出しになった感情やそれぞれの葛藤が、強く肌をやく夏の陽射しの痛みに似たものを、見る者の心に色濃く残す作品である。
劇中には、いくつものエピソードとともに「意味深な小道具たち」も数多く登場する。真っ白なテーブルクロスに、グラスに入った飲みもの。母親の着るワンピース。チェスや、琥珀のペンダント。不安をあおる電話のベルと、激しい雷雨。そして、1970年代末のポーランドの流行歌(原題はここから取られている)。もちろん、冒頭とラストに出てくる汽車と遮断機もそうだ。未消化の感情や、少年の手に余る関係をうめる小道具たちが、サスペンス映画のそれらのように雄弁に物語を語る。
大人たちの問題にふり回されたり、あたかもそれが自分のためであるかのように、かれらの嘘やごまかしに加担させられて、ひどく傷ついた経験がある人は少なくないと思う。身近な大人たちのエゴに挟まれて苦しむのはたいてい、そこから逃げることのできない子どもたちだ。
本作では、ピョトレックと母親の関係を中心に物語がすすむが、後半に父親が帰宅するところから、この家族の不健全さがいっそう露呈していく。じつに美しく、印象的な遊園地でのシーン(上の写真)。そこでの両親はこれ以上ないほど仲睦まじく見えるのに、ふたりは向き合って本音を語らない。母親が息子に共犯関係をせまるシーンも怖いけれど、帰宅した父親が、ピョトレックから妻の不貞を聞きだそうとするときの平静をよそおった表情(からの恫喝!怖いんですけど…)や、嘘がばれたピョトレックに見せる、失望と軽蔑のいり混じったような表情の不気味なこと!息子と母親役のふたりの好演はもちろんだが、父親を演じたロベルト・ヴィェンツキェヴィチ(『ワレサ 連帯の男』『ソハの地下水道』)の演技も、恐ろしいほど巧みで思わず唸らされる。
母親に失望し、母を投影したマイカとも離れ、再び出稼ぎに行く父親のふるまいを静かに見つめていたピョトレックが最後に見せる涙は、見る人によって解釈が分かれるところかもしれない。わたしは、そこから母親との距離が生まれる涙になればいいと、心から、祈るように願った。公式ウエブサイトはこちら(中村奈津子)
全国順次公開中。7/27(土)~8/9(金)まで、名古屋シネマテークでも上映!
監督・脚本:アダム・グジンスキ
出演:マックス・ヤスチシェンプスキ、ウルシュラ・グラボフスカ、ロベルト・ヴィェンツキェヴィチ
撮影:アダム・シコラ 音楽:ミハウ・ヤツァシェク 録音:ミハウ・コステルキェビッチ 衣装:ドロタ・ロケプロ 美術:グジェゴジュ・ピョントコフスキ 編集:マチェイ・パヴリンスキ
制作:マグダレナ・マリシュ プロデューサー:ウカッシュ・ジェンチョウ、ピョトル・ジェンチョウ
原題:Wspomnienie lata/2016年/ポーランド/83分/カラー/DCP
提供:グランマーブル 配給:マグネタイズ 配給協力:コピアポア・フィルム
© 2016 Opus Film, Telewizja Polska S.A., Instytucja Filmowa SILESIA FILM, EC1 Łódź -Miasto Kultury w Łodzi
公式サイト:http://memories-of-summer-movie.jp/