2016年1月14日、日本出版文化会館で第31回梓会出版文化賞授賞式が開催されました。わたしは10年近く前からこの賞の審査員。お正月ですから、年に一度だけ、和装コスプレで出席します。この賞、出版業界が健闘している中小の出版社を顕彰するためにお金を持ち寄ってつくったという奇特なもの。本の著者にはあまたの賞がありますが、編集者や出版者には顕彰の機会がほとんどありません。そういえば少し前まで、すぐれた編集者を顕彰する「金の麦賞」というのがありましたっけ。よい賞だと思っていたのに、いつのまにかなくなりました。
書き手としてのわたしは、本は読者に届いてなんぼ、と思っているので、著者と読者のあいだをつなぐ編集者と出版者の役割を、高く評価しています。この賞の授賞式、まさか生涯のあいだに自分が顕彰される機会があるなどとは思ってもみなかった出版社の方々が、金屏風の前に立ってスピーチなさる「受賞の辞」が、いつ聞いても感動ものなんです。社の歴史をせつせつと振り返ったり、創業者に感謝を述べたり、家族経営の妻の労をねぎらったり...時には脱線したり、とまらないで長いスピーチになったりもしますが、それも含めて、涙なしには聞けません。
で、このすてきな授賞式の様子を、HPに動画でアップなさってはいかが?と提案してできたのがこの梓会HPの画面です。アップされているのは、昨年第30回の授賞式動画。今年の第31回の動画は、編集次第、近くアップされる予定です。
出版梓会HP http://www.azusakai.or.jp
第30回授賞式動画 http://www.azusakai.or.jp/douga.html
そんなことを思いついたのも、わたしがWANの仕事をして動画の威力にめざめたせい。何も音声を記録して、音源から文字興しをして、校正して文書にする...なんていうしちめんどうくさいことをしなくても、固定カメラで淡々と動画にしてかんたんな編集を加えてそのままアップすればじゅうぶん。臨場感満点で、会場の雰囲気も伝わります。事実、このHPで動画配信をしてから、受賞各社のなかには、当日出席できなかった社員に、あとから授賞式の様子を動画で見てもらう機会をつくっているところもあるようです。受賞の辞は、対外的なメッセージであると共に、社員や関係者に向けた対内的なメッセージでもあります。「これまで、支えてくれてありがとう!」をメッセージのなかで伝える代表や経営者の方もいらっしゃいます。
今年の審査員講評は、上野が担当いたしました。以下はそのスピーチの原稿です。公開します。いずれHPでコスプレ動画もごらんになってください。
ちなみに今年度の受賞各社は以下のとおり。
大賞 (株)花伝社
特別賞 (株)青弓社・(株)群像社
新聞社学芸文化賞 勉誠出版(株)
審査員講評***************
大賞の花伝社は審査員満票ですんなり決まりました。戦後70年、戦争を意識した意欲的な書物がラインナップされています。鳥居英晴『国策通信社「同盟」の興亡』は、戦時期最大の影響力を持った国策通信社「同盟」の克明な研究を通じて、メディアの戦争責任を衝いています。NHKが国策放送になっている今日、ふりかえられる必要のある歴史でしょう。『引き裂かれた青春』も戦時下にスパイ容疑で拷問史した北大生の冤罪事件をとりあげたもので、特定秘密保護法への警鐘を鳴らしています。林博史『日本軍「慰安婦」問題の核心』と村田忠き『資料徹底検証 尖閣領有』の2冊は、「慰安婦」と「尖閣」という日韓、日中関係の争点をめぐって書かれた時宜を得た出版ですが、どちらも資料の検証にもとづいた重厚な研究で一朝一夕に準備できるものではありません。長きにわたって準備してきた成果が実ったものです。戦後70年にふさわしい歯ごたえのあるラインナップで、評価したいと意見が一致しました。印象的なのはどの本も価格が高いこと。初版の刷り部数が想像されますが、どのくらい売れるものかと気にかかります。
特別賞の青弓社は設立以来長期にわたってユニークな出版活動をつづけてきた出版社で、これまで受賞しなかったのがふしぎなくらいです。いつか受賞するだろうと先送りされながら、この年度に、という決め手を欠いたのでしょう。今年のラインナップは映像とメディアを中心にした異色のものでした。
早稲田大学坪内博士記念演劇博物館編(こういう博物館があることも知りませんでしたが)の『幻燈スライドの博物誌』は古いテクノロジーとなった幻燈のコレクションをフルカラーで収録した貴重な資料です。大久保遼『映像のアルケオロジー』と石田あゆう『戦時婦人雑誌の広告メディア論』はいずれも若手のメディア研究者の労作です。高橋明彦『楳図かずお論』も、広い意味で映像メディア論といえます。
ちなみに社会学者としての立場から受け加えさせていただければ、青弓社はこれまでもきわもののテーマを扱う若手の社会学者の発掘に熱心で、多くの若手研究者を世に送り出す役割を果たしてくださいました。そのことに感謝しています。風俗に「特殊浴場」という用語がありますが、それに倣って下ネタを扱う研究を「特殊系社会学」と呼びならわしていますが、今後とも「特殊系社会学者」を世に出していただきたいと思います。
なお、青弓社と最後までせりあったのは、青灯社でした。青弓社とは一字違いのこの青灯社も、「集団的自衛権」「普天間移設」など時宜にかなったテーマを機動力よく集中的に刊行している意欲的な出版社です。
今年度は特別賞にもう1社、群像社を付けくわえることになりました。審査委員のひとりが、応募にない群像社を強力に推し、あとから群像社に応募書類を提出してもらったという例外的な経緯をたどりましたが、こちらも審査員全員の合意で受賞が決まりました。それというのもご存じのとおり、今年のノーベル文学賞受賞者のロシア人作家、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの作品を?年前から継続的に刊行しつづけてきたという実績があるからです。日本では無名のこのアレクシェーヴィチという女性作家がノーベル賞を受賞したとき、翻訳書が群像社刊の3冊を含めて計5冊あり、日本語でそれが読めるというのは希有なことです。日本は翻訳大国で、各国語の作品が日本語で読めるというすばらしい国ですが、アレクシェーヴィチがノーベル賞を受賞したとき、その作品が5冊も自国語で読める国はそう多くはないでしょう。それというのも三浦みどりさんというロシア文学者が彼女の作品に惚れ込み、次々に翻訳したものを、ロシア語圏の書物を細々と出し続けてきた群像社が引き受けたというものです。翻訳者、編集者、出版社のトリオの連携がなければできない仕事です。ノーベル賞受賞など予想もしない昔から出版を続けてきて、それが今年突然脚光を浴びたわけですが、ノーベル賞人気に便乗しての受賞というだけでなく、作品の価値を信じて継続してきた出版活動に敬意を表しての評価とお受け取りください。
アレクシェーヴィチは『戦争は女の顔をしていない』や『チェルノブイリの祈り』でソ連の赤軍女性兵士の聞き書きやチェルノブイリの被害者の聞き取りをしてきたジャーナリストですが、いわばロシアの石牟礼道子ともいうべきひとです。石牟礼道子もこれまでノンフィクション作家と思われてきましたが、池澤夏樹が個人編集『世界文学全集』の日本編に日本からただひとり選んだことで「文学者」としての評価を受けるようになりました。石牟礼道子の作品は聞き書きのように見えてそうではありません。石牟礼作品のプロデューサーというべき渡辺京二は、『苦海浄土』にあるのは「水俣弁」ではなく、どこにもない「道子弁」というほかないものだと証言しています。石牟礼作品は「世界文学」というべき達成ですし、もし次に日本人がノーベル文学賞を受けることがあるとしたら、村上春樹より前にまず石牟礼道子でしょう。アレクシェーヴィチも聞き書きと見せながら、おどろくべき文学的達成をなしとげた作家です。ロシア通の佐藤優さんは、アレクシェーヴィチを「凡庸なノンフィクション作家」と呼んでいますが、彼女の作品の価値を佐藤さんは理解できないのでしょう。その作品を5冊も日本語で読めるというのは、群像社のような志の高い版元があればこそです。アレクシェーヴィチの作品は目下品切れ状態だそうですが、契約の更新をしなかったために、増刷もできなければ、在庫を販売することもできない状態だとお聞きしました。アマゾンでは『戦争は女の顔をしていない』の古書が高い値段で売られていましたが、だからと言って版元にはびた一文も入りません。梓会出版文化賞にはわずかですが、副賞がついています。以前受賞した零細な出版社の方が、そのお金を「干天の慈雨」と呼んだことを忘れられません。せめてこの賞が、群像社の功績にいくらかでも報いるものであることを願っています。
ちなみにアレクシェーヴィチさんはご自分のHPで作品の全文を公開しています。いまのところロシア語版とフランス語版のみ、日本語版はありませんが、こういうウェブ公開の方法は出版流通のしかたを今後大きく変えるでしょう。たとえコピーライトが得られなくてもより多くのひとに読んでもらいたい、というのは著作者の本能のようなもの。アレクシェーヴィチさんのやりかたにはこの点でも感銘を受けました。
他にも候補社として八木書店、玉川大学出版部、ひつじ書房、社会批評社、世界思想教学社、誠文道新光社、太郎次郎社エディタス、英治出版、ありな書房が挙げられたことを付け加えておきます。
2016.02.11 Thu
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