田島友里子さんは三重県四日市出身。大学院で美術を学びつつ、教員も経験。しかし「会社の歯車として働く人生」に違和感を覚え、「一番シンプルな仕事=食をつくる農業」を選び、北海道で研修&就農。大規模畑作や酪農の現場で「日本の食糧基地」としての北海道と、輸入に依存した種・肥料・農薬の危うさを体感し、有機農業・自立的な農業に希望を見出す。
 結婚をきっかけに、ご主人の実家がある埼玉へ。埼玉県農業大学校で有機農業を学び直し、研修制度を経て、さいたま市で「こばと農園」として新規就農。有機JASを取得。現在1.5ha・6カ所ほどの分散畑で、自然栽培をベースに20~30品目の野菜を栽培。種は一部自家採種。販売先は、スーパー・直売所・野菜セットでの販売、カフェやパン屋・飲食店・学校給食など。
 さいたま市内の小中学校・保育園へ有機給食用の野菜も納めている。

畑で収穫した野菜を抱く田島友里子さん


多くの人たちが買い物に訪れた浦和駅前「さいたまオーガニックシティフェス」
 2025年11月8、9日の2日間「さいたまオーガニックシティフェス」が、JR京浜東北線浦和駅東口の広場で開催された。多くの人が訪れた。このフェスタが始まったのは2020年。主催したのは農家の田島さんたちが立ち上げた「さいたま有機都市計画」という生産者グループ。26戸の農家がメンバーになっている。都市農業が盛んなさいたま市で、新規就農者を中心に結成された団体だ。立ち上げメンバーには、元教師、サラリーマン、音楽関係者など、多彩なキャリアの持ち主が並ぶ。

「さいたまオーガニックシティフェス」のポスター

「最初は、さいたま市のマッチングファンド(地域活動の補助金)を活用して企画しましたが、企画から運営まで基本的に農家側が中心です。1回目は畑の中でマルシェとお弁当イベントをやったら、知名度もほとんどないのに、畑が人でパンパンになるくらい来てくださって。『都市と有機農業って、こんなに相性がいいんだ』と実感しました。今年のフェスは2日間開催で、1日目・2日目で出店者も入れ替えました。出ている有機農家の多くは、新規就農して3~5年くらいの若い農家たち。技術的にはまだ発展途上でも、人生をかけて有機農業に飛び込んできたエネルギーがすごくて、その場全体がハッピーな空気で満ちていました」

 フェスには、朝から人があふれてにぎわっていた。

「売上も、普通のマルシェの数倍。1店舗で15万円くらい売る農家もいます。でも、売上以上に大事なのは、『あなたの街には、こんなに有機農家がいて、こんなに頑張っているんだよ』と、市民に知ってもらうこと。フェスで出会った人が、後日スーパーで『こばと農園』の野菜を見て、『あ、あの人の野菜だ』と手に取ってくれる。その積み重ねが、地域の幸福度を上げていくと思っています」

浦和駅前広場。市の土地であることで連携して大きなイベントに

出展した農家のブース。多くの人が訪れた

夫婦で新規就農し、田島さんのお隣で農業を始めたKADO FARM嘉戸由佳さん(左)



「さいたま有機都市計画」というゆるいネットワークを仲間と立ち上げ、有機農家同士や市民、NPO、家庭菜園グループなどをつなぐ場をつくる。

「有機農家って、地域の中で孤立しがちなんです。新規就農しても、近くに同じ志の仲間がいない。畑もうまくいかない、売り先も苦しい、でも相談する相手がいない……そういう人をたくさん見てきました。そこで、新規就農者の交流会で知り合った仲間たちと、『点じゃなくて線でつながろう』と話して、2020年に立ち上げたのが『さいたま有機都市計画』です。
 最初は5軒の農家からスタートして、今は25?26メンバーまで増えました。運営は、大学のサークルみたいにゆるい感じです。『有機給食やりたい人』『土づくりに興味ある人』『映画上映やりたい人』……やりたいテーマがある人が手を挙げて、その指に興味ある人が集まるだけ。月1回みんなで飲み会をするだけでも、すごく救われるんですよ。そこに、NPOや家庭菜園グループ、学生さんなども関わってきて、良い混ざり具合になってきたと思います」

学校給食への有機野菜の提供も始まった
「さいたま市内の小中学校7校と、保育園1園に関わっています。うちだけで賄うことを基本にしつつ、足りない分は『さいたま有機都市計画』の仲間にヘルプをお願いしています。やり方としては、こちらから一年分の『出せる野菜リスト』と、おおよその数量・価格を栄養士さんに事前にお渡しして、その範囲でメニューにはめてもらう形です。学校によっては朝7時半に持っていく必要があったりして、配達は正直かなり大変ですが、子どもたちの食卓に有機野菜が並ぶと思うと、とてもやりがいがあります」

有機農業の楽しさを語る田島友里子さん。畑にある育苗ハウスの中で

 とても意欲的な農業の取組をする田島さん。消費者の視点もしっかり踏まえながら、子供たちにも、新鮮な野菜を届ける仕組みまで手掛けている。田島さんは三重県四日市の出身。もともとは美術を学ばれていた。

「大学院では美術専攻でした。高校が進学校で、勉強に少し疲れてしまったところを、美術にすごく救われたんです。もともと好きだったし、『絵を描きながら学校の先生になれたらいいな』と思って、大学院に進みました」

 実際に講師もされていたという。

「週2回、学校で教える仕事をしていました。でも、やってみて分かったのは、『子どもの成長を心から喜べる人じゃないと、先生は務まらない』ということ。自分はそこに全力で向き合い切れないかもしれない……と感じてしまって。同時に、いわゆる会社員として働くイメージも全然わかなかったんです。人生で一番長い時間を『会社という歯車の一部』として過ごすことに、ものすごく違和感があって。そこで『もっとシンプルに働きたい』と考えたときにたどり着いたのが、『食をつくる=農業』でした」

*食と農業を学ぶ場として目指したのは北海道だった

「そうです。北海道です(笑)。三重県にも農業はありますが、『独り身の今ならどこでも行ける』と思って、思い切って北海道に飛び込みました。北海道上川郡新得町にある、独身女性だけが入れる農業研修施設『レディースファームスクール』に入所したんです。表向きは女性の就農支援ですけど、実態は『農家の息子さんのお嫁さん候補』的な側面もある、という話もあって(笑)。
 全国から毎年10人ほどの独身女性が集まって、農家さんのもとに住み込んで研修します。私は野菜専攻で、小麦やビート、じゃがいも、ブロッコリーなどの大規模畑作農家に夏のあいだ入り、冬は酪農や肉牛の牧場へ。1日8時間、農家さんのパートさんと同じように働きながら現場を学びました。
 北海道は本当に『日本の食糧庫』です。日本人の命を支えている現場を間近で見る一方で、種も農薬も肥料も、ほとんど輸入に頼っている現実も知りました。『これはすごく危うい』と感じたのが、有機農業に興味を持った大きなきっかけです」

新得町ホームページ
https://www.shintoku-town.jp/

 北海道で牧場に就職。そのあと結婚、そしてさいたま市へ。もう一度農業の「学び直し」へと向かうことに。

「一度は北海道の牧場に就職しました。ただ、牛の仕事は想像以上のハードワークで、『30代になったら独立したい』という自分の希望とのバランスを考えると難しいな、と。そこで畑作の農業法人に転職しました。大樹町にある、ジャガイモがメインの大きな農家です。その後、北海道で出会った夫と結婚しました。夫は林野庁の国家公務員で、全国転勤がある仕事です。彼の実家がさいたま市にあり、『職業人生の半分は東京勤務になるだろう』と考え、東京に通える場所で新規就農しようと、さいたま市に移ることにしました」

収穫した野菜をお得意さんに配達する時は車で

 そこで埼玉県農業大学校に入り直した。

「そうです。さいたま市で新規就農するには、『埼玉県農業大学校を卒業して、埼玉県の『明日の農業担い手育成塾』という研修制度に入る』のが一番早い道だったんです。北海道では現場で学んできましたが、有機農業を体系的に勉強したことはありませんでした。埼玉県にはちょうど『有機農業専攻』があって、ここでしっかり学び直したいと思って。娘がまだ1歳で、東京の官舎から高速で通う忙しい一年でしたが、今思うとあれで土台ができた気がしています」

 さいたま市初の有機JAS農家「こばと農園」をスタートさせる。

「正式に新規就農したのは2020年です。もともとここは研修用の畑だったんですが、研修が終わるとそのまま就農用の畑として使わせてもらえるしくみがあって、そこからスタートしました。  面積は現在1.5ヘクタールほど。6カ所くらいに分散した畑を借りています。賃料は1枚(1反=10アール)1万から1万5千円くらいのところが多く、なかには無償で貸していただいている畑もあります。  さいたま市で初めて有機JAS認証を取得した農家でもありますが、自分が特別という感覚はなくて。『戦いやすいから有機を選んだ』というのが正直なところかもしれません。何も持たずに新規就農する身として、もともと土地も販路も技術もある慣行農家さんと、同じ土俵で競うのは難しい。だったら、有機という違いを持っていた方が戦いやすいし、将来性もあると考えました」

  「こばと農園」という名前の由来は、埼玉県の県鳥から。

「最初は『ことり農園』にしようと思っていたんです。響きが好きで。でも、埼玉県の県の県鳥がシラコバトだと知って、『ことり』じゃなくて『こばと』にしよう、と。私は地産地消をすごく大事にしていて、『経済圏が広がりすぎていることが、今のいろんな不幸を生んでいるのでは』と思っているんです。だから、できるだけ地域のなかで、顔が見える関係の中で循環させたい。さいたま市で農業をしている以上、基本的に市外には出さない、配送業者も使わず、自分で行ける範囲で届ける。そんなイメージを『こばと』という名前に込めました」

*理念は「働きすぎない」農業

 自然栽培で20から30品目の野菜を育てる。

「年間で20~30品目ですね。今の季節だと、にんじん、大根、ネギ、里芋、さつまいも、さといも、かぼちゃ。夏は空芯菜、つるむらさき、ナスなど、みんながふだん食べている野菜はだいたい作っています。オクラやナス、ネギなどは自家採種もしていますし、もちろんF1種も使います。栽培は有機農業の中でも、うちは『自然栽培』に近い形です。肥料を入れず、堆肥も作っていません。全部露地栽培。『これくらいでちょうどいい』と思っています」

 自家採取とは、自分で育て野菜から種までとり、そこからさらに野菜を作るもの。F1とは( hybrid; Filial 1 hybrid)雑種第一代のこと。異なる種を交配させて、育ちのいい種で収穫をよくするもの。日本の販売されている種の多くはF1品種が使われている。
 田島さんは、もっと規模を広げたいと思った時期もあるという。

「一度、2ヘクタール以上に広げたこともあります。法人化して、どんどん大きくしていこう、と。だけど、規模を広げるとそれに応じて機械も必要になるし、燃料も増えるし、どうしても“大量生産・大量消費”のリズムに乗らざるを得ない。私たちがやりたいのは、資本主義の効率重視のリズムじゃなくて、自然のリズムの中で生きることなんだ、と気づいて。「働きすぎないこと」を自分の中の重要な価値に置きました。パートさんたちにも、一番大事なのは楽しんでもらうこと。シフトも、基本的には「来たい時間に来て、帰りたい時間に帰る」スタイルです。好きで選んだ仕事なのに、オーバーワークで苦しくなってしまうのは本末転倒だと思っていて。120%でやりたい人はそうすればいいけれど、10%で関わりたい人が10%で関われる余白のある農業でありたいんです」

 これからの「こばと農園」を「農の価値」をひらく仕事へと計画している。

「食料生産の量を追うよりも、『農の価値をもっとひらく仕事』にシフトしたいと考えています。たとえば、貸し農園やコミュニティファーム、学生の体験受け入れ、職業体験、中学校の子たちの受け入れ。農業と一般の人のあいだに立って、農のハードルを下げる役割です。これから社会全体がますますスピードアップし、AIもどんどん進化していく中で、土に触れ、自分の手を動かし、自分の思い通りにならない自然と向き合う時間の価値は、もっと高まるはずです。時間に余白ができたとき、人はきっとこうした場所に戻ってくると思うんです。
 私は、農業で本当に幸せになれた人間なので、その楽しさを、できるだけ多くの人と共有したい。そして、『さいたま市といえば有機農業』『有機といえばさいたま市だよね』と誰もが思う未来は、決して夢ではないと信じています」

「こばと農園」ホームページ
R6syokuikuseminar-1.pdf

「こばと農園」で収穫された野菜たち。綺麗に包まれた大根には青々とした葉が