静岡市の中心部から少し離れた住宅地に、静かにたたずむ老舗酒蔵がある。明治9年創業、140年以上の歴史をもつ萩錦酒造。富士山を望む静岡の風土のなかで、この蔵を次代へつなぐ中心に立つのが、5代目当主で取締役杜氏の萩原綾乃さんだ。

 庭に湧き出る水の前に立つ綾乃さん

足元の文化を発信できる場が酒蔵

 萩原さんは1986年、静岡市生まれ。萩錦酒造の一人娘として育ったが、幼いころから家業を継ぐよう強く言われたことはなかった。高校卒業後は上京し、女子美術大学で油絵を学び、大学院まで進学。その後は神奈川で助手や非常勤講師として、美術教育に携わっていた。

「18歳で家を出てから、ずっと美術の世界にいました」

 学生時代には、新潟や長野など全国各地の地域アートプロジェクトにも参加。土地に入り、人と出会い、地域文化と向き合うなかで、次第にある思いが芽生えていった。

「訪問者として地域に入ることは多かったけれど、自分の地盤として文化活動をする場がほしいと思うようになった。そのとき、酒蔵って一番いい場所なんじゃないかと思ったんです」

“会社を継ぐ”というより、“この場所で何かを生み出したい”。その思いが、29歳のとき静岡に戻る決意につながった。

酒蔵に戻り、酒造りの世界へ

 萩錦酒造は1876年創業。初代・萩原新吉が、豊かな稲作地帯と湧水に恵まれたこの地で、雇用を生み出す場として酒蔵を開いた。当時の写真を見せてもらうと、周辺は田園地帯だ。
 現在も敷地内には豊富な湧水が流れ、安倍川伏流水が酒造りを支えている。萩原さんは、この水こそ蔵の命だと語る。

「戻ってきて最初に感動したのは、この水でした。常に湧き出ている水を見ると、ここでならできる気がする。お酒は水がなければ何も始まりません」

 左:開業したころの写真  右:敷地内の安倍川伏流水


 萩原さんが蔵に入ったのは2016年冬。きっかけは、20年以上蔵を支えてきた南部杜氏・小田島健次さんが引退を考えていると知ったことだった。

「今、この人から学ばなければ、この蔵の酒造りは分からないと思いました」

 最初は神奈川で非常勤講師を続けながらのダブルワーク。経営を継ぐ意識より、「まず酒を造ってみたい」という純粋な好奇心だった。
 朝早く米を蒸し、夜は麹作業をし、蔵人たちと寝食をともにする生活。初めて自分たちで造った酒を飲んだときの感動は、今も忘れられないという。

「こんなにおいしいものが、自分たちの手で作れるんだ、と感動しました」

 夫、知令さんと綾乃さん

夫婦で継ぐ、新しい酒蔵のかたち

 現在、萩原さんとともに蔵を支えるのが夫の萩原知令(とものり)さん。
 熊本県出身で、一級建築士。筑波大学大学院で建築デザインを学び、設計事務所勤務を経て、結婚後に萩錦酒造へ入った。実は熊本の実家もかつて酒蔵「菊の城」を営んでいたという。
 綾乃さんは、知令さんとは、友人を介して知り合った。

 夫婦で杜氏から一から酒造りを学び始めた矢先、2018年、父であり社長だった先代が大動脈解離で急逝する。まだ60代の突然の別れだった。

「まさか、でした。何も準備できていませんでした。もともと私の母も、製造の補佐をずっとしてて、2018年の時は母が杜氏になって、それをみんなでサポートするような形でやるところから始まりました」

 父が担っていた営業、仕入れ、経営判断。そのすべてを突然引き継ぐことになり、夫が社長、綾乃さんが酒造りの責任者となった。

「いちばん大変だったのは、“この蔵をどういう蔵にしていくのか”を、自分たちで決めなければならなかったことです」

 2020年、萩原綾乃さんは正式に杜氏となる。

女性杜氏として、仕組みから変える

 酒蔵の設備は、長年“男性が扱うこと”を前提につくられてきた。重い蒸米道具、大きなタンク、力仕事中心の工程。だが萩原さんは、そのまま続けるのではなく、自分たちに合うやり方へ変えていった。

「同じやり方を続けていたら、続かなかったと思います」

 たとえば重い蒸米道具には滑車を導入。仕込み量も小ロット化し、600キロ単位の小仕込みへ変更した。

「女性だから不利、ではなく、自分たちに合う形に変えればいい。それだけなんです」

 水を生かし、土地を醸す酒へ

 萩錦の酒の核にあるのは、蔵に湧く水だ。

「水を飲むみたいに、体に自然になじむ酒を造りたい。主張しすぎず、食に寄り添う味わいが理想です」

 その思いは新しい商品にも表れている。代表例が「一反の田んぼから」。南伊豆で農薬を使わず育てられた一反分の米を使った酒である。食の安全を守りたいという一人の女性の思いから始まった企画だった。

「個人が“守りたい食”を持続させようとしている。その思いに共感しました」

 現地を訪れ、田植えにも参加し、土地の記憶ごと酒に込めた。

酒蔵もまた、暮らしの延長にある

 萩原さんは5歳の子どもの母でもある。冬場は朝5時半から夫が蔵に入り、綾乃さんは子どもを園に送り届けてから7時過ぎに蔵へ向かう。8時に蒸米が上がり、一日が本格的に始まる。

「仕事と家庭を切り分ける感覚はあまりないんです。全部、暮らしの延長にあります」

 かつては蔵にベビーベッドを置いていたこともあったという。現在、家族は、蔵のすぐ近くに祖母と暮らしている。

「仕事は、冬場と夏場でだいぶ違うんですけど、冬場だとだいたい6時前ぐらいから、夫が5時半ぐらいから。ボイラーをつけたりとか、準備をしなきゃいけないので、先に蔵に来ていまして、私が7時ぐらいに子供を送り届けてから蔵に行きます。大体、お米の蒸し上がりっていうのが8時なので、その準備までは主に今は夫が行ってます。その準備を手伝い始めて、8時に仕込みであるお米が蒸し上がったら、それを取って、仕込むものは仕込んで、麹米にするのは麹米にしたりとかいう作業が始まっていきます」

萩錦酒造の酒米・酒造り工程をみてみると

 酒米の調達(品種選定・仕入れ)
 萩錦酒造では、酒米は主に以下のルートで調達している。
 主な酒米品種。令和誉富士(静岡県産)、山田錦(兵庫県産・静岡県産)、美山錦(長野県産)、五百万石(富山県産)、雄町(岡山県産)、きぬむすめ(契約農家直取引)など。
 調達方法は、多くの酒米は酒造組合を通じて仕入れている。
 米は、それぞれの地域の精米所を通じ精米(米を磨く工程)されて届く。玄米の外側を削り中心部分のみを使用する。例えば、60%精米(純米酒「駿河酔」)。また酒の種類によって50%、65% など精米されて届く。
 精米後、蔵に届いた米をまず洗う。特徴は蔵敷地内の湧水(安倍川伏流水)を使用することだ。ポンプで各設備へ送水される。水圧式洗米機を使用。

「まず洗米するっていうところから始まっていきます。お水が豊富にあるので、敷地内から湧き出ているお水を各箇所にポンプで引っ張っている。水圧で洗米する機械をつなげて洗米します。浸漬(しんせき)洗米後、米に水を吸わせます。時計で秒単位で管理します。前日に洗米+浸漬完了→ 吸水率が酒質を左右する重要工程となります」

 洗米された後、蒸し、粗熱を取って麹室(麹を育成する温度を管理した部屋)に入れ、そこで麹菌の種を振って、 2日間から3日間くらいかけて、麹菌を育成させて麹米を作る。麹米ができたら、次に酒母が作られる。麹、水、蒸米、酵母を小さなタンクで仕込み、乳酸の働きで雑菌を抑えながら、酵母だけを増やした「酵母の培養タンク」が作られる。これが後で大きなタンクに入れる「酒母」となる。

「今使っている酵母が静岡酵母と協会9号酵母という全国的に使われている酵母を使っているんです。その選択も、私が静岡の出身だから。協会9号酵母は熊本酵母なんです。もともと熊本から出た酵母。夫の地元である熊本の由来の酵母は、私たちの世代に代わってから使うようになった。ルーツがあるものをということで選択して製造を行っています」

「一反の田んぼから」静岡県南伊豆町二條産きぬむすめ100%・静岡酵母・精米歩合90%(左)。「純米酒駿河酔」静岡県産令和誉富士100%・静岡酵母New-5(中)「土地の詩おぼろおぼろ」酵母・協会9号


「酒母自体も酵母を増やすスターターの役割なので、蒸し上がったお米と麹と、あとお水ですね。仕込み水。湧き出ている安倍川の伏流水を使って、酵母を増やす小さいタンクで始めて、その後三段仕込みって呼ばれる米麹、掛米、水を3回に分けて入れていき仕込んでいきます。冬場の時期にタンク24本程度仕込む。 今は1週間に2回、2本分のタンクを仕込んで、搾りの時期をずらして、お酒ができたその後の瓶詰めの処理もできるように、 10月から3月まで続けて、仕込みを行っていくような形でお酒を造っています」

 発酵終了後、もろみを搾る。そして 日本酒が完成する。 瓶詰め・出荷となる。年間で約150石(こく)となる。(一石は約180㎏)。これらの酒造りを、夫婦二人と、パート2名で行っている。

 左:仕込みのタンク  右)火入れをする知令さん

 左:長いこと使われている瓶詰の機械  

和醸良酒――和やかな場から、よい酒は生まれる

   萩原さんが大切にしている言葉がある。

「和醸良酒(わじょうりょうしゅ)です」

 杜氏から教わったその言葉は、いまも酒造りの中心にある。

「お酒は、人の空気も映すものだと思うんです。だからまず、場を整えることが大切なんです」

 美術の世界を歩み、遠回りしてたどり着いた酒蔵。その経験すべてが、今の萩原綾乃さんの酒に生きている。現在は特に「静岡県産酒米比率を増やす方向」で進めている。
 酒を醸すことは、文化を育てること。
 萩原綾乃さんは今日もまた、静かに次の時代の酒蔵を醸している。