温泉地として知られる静岡県熱海市と神奈川県湯河原町。海の印象が強い土地だが、背後には山が広がり、ミカン畑などの農地がある。その山と畑の間では、イノシシやシカによる農作物の被害を防ぐため、野生動物の捕獲が続けられている。
 捕獲された動物を、どうするのか。食べられる肉であっても、解体や精肉には技術と手間がかかる。受け入れる施設がなければ、命は食につながらずに終わってしまう。
 その間をつないでいるのが、熱海市泉にある「熱海♨湯河原ジビエ工房 山の恵」だ。実際の作業を中心になって担うのは、岩本優さんと山口ひろ子さん。解体、精肉、販売、会計と仕事を分け合いながら、地域の山の恵みを食卓へ届けている。

  「山の恵」の仕事を支える岩本優さん(左)と山口ひろ子さん(右)。湯河原町の角屋の店先で。


餅つき大会のイノシシ肉がきっかけ
 山口ひろ子さんは埼玉県三郷市出身。結婚後は東京で暮らし、その後、熱海に土地を買い、家を建てて移り住んだ。ジビエを食べることがもともと好きだった山口さんが、工房に関わるようになったきっかけは、別荘地の餅つき大会だった。
 餅つきの会場なのに、肉を焼く匂いがする。聞けば、女性が自分で捕ったイノシシを七輪で焼いていた。その人が「山の恵」を立ち上げた代表者だった。
 「もしかしてお手伝いに行ったら、ちょこっとお肉もらえたりするのかなと思って」。山口さんの言葉には、食べることが好きな人の率直さがある。「そんな軽い気持ちでお手伝いしますよって言ったらこうなりました」と、工房との出会いを振り返る。
 工房は2017年に始まった。当初は、捕獲した動物を解体する場所がほしいという仲間たちが、お金を出し合ってつくった施設だった。維持にも費用がかかるため、肉を販売できるように許可を取り、運営を続けてきた。
 山口さんは、その立ち上げの年から関わっている。会計を手伝い、運営を支えるようになった。今も会計などの仕事を引き受け、岩本優さん一人では扱いきれない大きな個体や、複数の搬入がある時には解体や精肉作業にも加わる。

 こんなイベントも。「ジビエとワインとBBQ@鎌倉」のキャンプにて。右は猪ソーセージのホットドッグ


地域とつながりたくて猟友会へ
 解体・精肉・販売を主に担う岩本さんは、岩手県一関市出身。就職で神奈川県へ出た後、スノーボードに熱中し、長野県白馬村へ移った。冬は雪山、夏は富山県のホテルで働く暮らしを、およそ8年間続けた。熱海出身の夫との結婚を機に、熱海で暮らすようになった。

  長野県白馬村(左)と岩本さんが働いていた富山県のホテル(標高2450m)(右)


 それまで山に親しんできた岩本さんだが、移住したばかりの頃は知り合いも少なく、新しい土地になじめない思いがあった。そんな時、テレビで「山の恵」の活動を知った。農作物への被害や、猟友会の高齢化についても調べるようになった。
 「地域のために私も何か役立てることがあれば良いな。そこで繋がりを持てば、この土地を少しずつ好きになれるかな」。岩本さんは、狩猟を始めた時の気持ちをこう話す。 「ちょっと変わったことやってみたいなっていうのもあって」
 わな猟の狩猟免許を取り、猟友会に入った。その後は銃を使うための資格や許可も取得した。
 免許取得について尋ねると、岩本さんは、事前の講習を受け、筆記試験に向けて勉強して受験した経験を話してくれた。最初に取得したのはわな猟の免許。その後、捕獲した動物の止めさしに銃を使えるようにしたいと考え、銃猟の免許と、別に必要な銃の所持許可の手続きも進めたという。
 狩猟免許は、使う猟具に応じた種類があり、都道府県の試験に合格して取得する。試験には、法令や鳥獣などの知識、視力・聴力・運動能力などの適性、猟具の取り扱いや鳥獣の判別などの技能がある。猟銃を使う場合は、狩猟免許とは別に公安委員会の所持許可が必要だ。さらに、通常の狩猟を行うには、狩猟する都道府県での狩猟者登録も必要になる。
 岩本さんは、免許取得後も仲間と山に入っている。
「一応、猟期には。でも月1回行ければいいかなぐらいで」
 一人で出かけるのではなく、グループでの猟だ。多い時で10人ほどが集まり、猟犬3頭ほどとともに山に入る。猟友会の人数については、取材時に30人に満たないと話していたが、ここ2~3年で若い会員が増えた。
 仲間たちは基本的に毎週末、猟をしているという。ただ、岩本さんは夫との共通の趣味であるスノーボードも大切にしている。休日には長野などへ出かけることもある。
「やはり夫との趣味、共通の趣味で、そちら優先になってしまう」山での活動と家族との暮らしを、自分なりに組み合わせている。
 当時勤めていたのは、隣の函南町にある農業関係の職場で、野菜などを使った加工や調理に携わっていた。農作物がイノシシの被害に遭うこともあり、自分でわなをかけ、捕獲した動物を工房に運んで解体する経験を重ねた。
 やがて工房の存続が課題になった。せっかくある施設がなくなれば、捕獲したイノシシが、また捨てられるだけになってしまう。岩本さんは、それをもったいないと感じた。
 「じゃあ今の仕事を辞めて、解体の方をやろうと思って入りました」地域との接点を求めて始めた狩猟が、工房の仕事を引き受ける選択につながった。

一頭の動物を料理の材料にする仕事
<  二人はともに狩猟免許を持つが、工房で受け入れるのは、主に地域の猟師から。地域の猟師から連絡を受けて搬入してもらい、岩本さんが現場に出向いて対応することもある。近年の扱いは、イノシシが年に約50頭、シカが約40頭という。以前は少なかったシカの搬入も増えている。
 工房では、搬入された個体を解体し、皮をはぎ、部位ごとに精肉する。真空パックにして冷凍するほか、飲食店の注文に合わせ、冷凍せずに出荷する場合もある。取引先は東京、神奈川、静岡の飲食店などだ。

  鹿皮剥き(左)  猪脱骨(右)


 料理人によって、欲しい部位も状態も異なる。特定の部位を指定する人もいれば、幅広い部位を使う人もいる。二人はその注文に応じて肉を整えていく。捕獲した一頭を、料理人が使える食材へと仕立てるところに、工房の仕事がある。
 脂がない個体の肉などは、専門の製造工場に委託してソーセージやジャーキーに加工する。骨の一部は料理のだしやペット用に、皮の一部は専門業者になめしてもらい、革小物に利用している。すべてを使い切れるわけではないが、使える部分を少しでも生かす工夫だ。

革製品

 仕事の面白さを尋ねると、山口さんは「ただ食べるのが好きです。そう、本当にそれだけです」と話す。自分たちが扱った肉が、料理人の手で一皿になることも楽しみだ。 「シェフといろいろつながりを持ってできるのは愉しみ」店に食べに行けば、次はこんな部位が欲しい、この前の肉はこうだった、と感想も聞ける。料理人とのやり取りが、次の仕事につながっている。
 岩本さんにとっても、捨てられたかもしれない肉を必要とする人がいて、おいしく調理され、食べた人が喜ぶことが励みになる。搬入した猟師に、どの店で使われたかを伝えると喜んでくれるという。山の仕事と、料理をする人、食べる人との間に、顔の見える関係が育っている。
「工場に直接購入に来る一般のお客様との会話も面白さのひとつで、こちらからもお伝えしたり、逆に教えてもらうこともある」と岩本さん。

無理なく続けることを大切に
 個人的な事情で代表者が工房を離れることになり、2022年5月、「山の恵」は合同会社角屋のジビエ事業部として再スタートした。メンバーの一人が会社の設立に関わっていたことが、この形につながった。
 この工房を受け入れた角屋は、どのような店なのか。合同会社角屋の相原幸典さんに話を聞いた。店を開いたのは2022年4月。かつて土産物店だった、シャッターの閉まっていた店舗を活用した。町とともに観光拠点の高付加価値化に関わる補助事業に取り組む中で、自ら店をつくることになったという。

合同会社角屋の相原幸典さん。ビールを提供する店内のカウンターで。

 角屋は、地元をはじめ各地のクラフトビールを味わい、ジビエの加工品などを楽しめる店だ。カウンターの向こうにはビールの注ぎ口が並ぶ。旅館の宿泊客も訪れ、周辺の店や地域の催しを案内するチラシも集まってくる。
 クラフトビールの店にしたきっかけは、地元で醸造するヒューマンズビールとの出会いだった。「地元のビールを応援したいね」と飲みに行き、そのおいしさに驚いた。相原さんにとって、ビールはそれまで、宴会の最初に皆で飲むものという認識だった。それが、香りや味わいを楽しむ飲み物に変わった。近隣の商いと競合しにくいことも、店づくりを後押しした。
 相原さんは、地域の歴史を調べ、温泉街の物語を客に伝えることも大切にしている。2階では飲食に加え、ライブや芝居なども行うという。食と酒を入口に、地域や文化に触れられる場所になっている。
 その角屋の事業部として工房を受け入れた理由の一つが、会社組織に入ることで福利厚生などを利用できることだった。工房の運営や経理は、現場を知る二人に任せている。
 相原さんによれば、工房は黒字を続けている。その利益をほかの事業に回すのではなく、将来、工房や設備に費用が必要になった時のために備えておくという考えだ。「赤字になれば助けますけどね」とも話す。二人の裁量を尊重しながら、必要な時には会社として支える。その関係が、工房の継続を支えている。  店でジビエを提供すると、地元の人からはおいしいと喜ばれ、観光客には珍しがられるという。ジビエに抵抗がある人にも、食べてもらうことで、おいしさを知ってもらえる。相原さん自身、料理人が一皿に仕上げると人々が喜ぶ、その変化を実感している。

角屋で提供されるジビエのソーセージ。

 湯河原町の角屋の店では、工房のソーセージやジャーキーがビールとともに提供されている。私もジビエのソーセージを味わった。味わいが豊かで、うま味も申し分ない。山の恵みを身近に楽しめる一皿だ。  二人が手がける仕事の先に、こうして楽しめる一皿がある。生の肉を買って調理するのは難しくても、加工品なら口にする機会をつくりやすい。ジビエに親しむ入口になっている。
 ただし、二人は急いで事業を大きくしようとは考えていない。冷蔵庫にも作業する人数にも限りがあり、搬入が重なれば、すぐにいっぱいになる。販売を増やしても、それに見合う量を処理できるわけではない。
 取材で私は、各地のジビエ事業や販路づくりの例を紹介した。二人が大切にしているのは、いま受け入れている猟師の個体をきちんと処理し、必要とする人に届けることだ。
 山口さんは言う。「大きくしようとして潰れちゃったら、搬入者さんや農家さんたちは困るし、お店の方もいきなり仕入れられなくなったら困るわけじゃないですか」「いい規模で、細々とでもいいから、潰さないように続けていきたいと思っています」と話す。

 岩本さんは、自分の暮らしについても話した。「家族との時間も、ちょっとプライベートの時間も確保したいので」「やっぱり家での時間を大切にしたい」。工房を続けることは、二人の生活と切り離せない。
 地域の産業祭などにも出て、しし汁などを通じ、ジビエを身近に感じてもらう機会をつくっている。まだ「臭いのでは」と思う人もいるからこそ、食べてもらう接点を増やしたいという。
 ジビエを身近に感じてもらう機会として産業祭の他に未就学児の支援センター給食で年に数回ジビエ給食(地産地消給食)を提供している。岩本さんは週2日給食調理のパートをしている。
 肉の日SALEは、気になってはいるもののなかなか行く機会がないという地元の方が買いやすいようにと始めたSALE。在庫状況によるが、なるべく毎月開催している。
「イベント参加、地産地消給食、肉の日SALE。このような事を、細々とでも続けて行けたら」と岩本さん。

直売限定肉の日SALEのポスターと、 地産地消給食(工房で処理した猪肉と農家さんから直接仕入れた野菜・果物)


 食べることが好きで関わった山口さん。地域とのつながりを求めて猟友会に入った岩本さん。入口は違っても、二人は、捕獲された命を食につなぐ仕事を担っている。
 その仕事を、誰かの無理に頼らずに続けるにはどうすればよいか。小さな工房で二人が日々選び取っている働き方は、地域の食を支える仕事のあり方を、私たちに問いかけている。

「山の恵」の仲間たち。左から「山の恵」立ち上げメンバー林晋也さん(漁師)、川合涼子さん(飲食店経営、角屋共同代表)、山口ひろ子さん、岩本優さん

◆熱海♨湯河原 ジビエ工房 山の恵 https://yamanomegumi.y-d-h.info/
◆ビールスタンドかどや https://y-d-h.info/