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最近の性暴力をめぐる司法の動き 講座報告 さんずい
2011.08.09 Tue
【2011年5月・性暴力を許さない女の会 公開講座】
『最近の性暴力をめぐる司法の動き』段林和江さん(弁護士)を講師に迎えて
なんでだろう…?
「ここ3ヶ月くらいの性暴力を扱った裁判で、立て続けに無罪判決が出ているのが気になる…」と、メンバーの一人がつぶやきました。
「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」からの情報でも、「客観的な証拠が無い」「被害者の供述が疑わしい」「犯行時に暴行・脅迫がなく、強姦罪が成立しない」などの理由で、各地で無罪判決が何件も出ていることを知りました。裁判に関して、私たちは裁判員裁判制度導入による影響に注意を向けていたので、思いがけない展開に驚きました。これまでと同様の裁判官による裁判に「何がおきているのか?」という疑問が湧いてきました。
しかしながら、法律の専門家ではない私たちには、司法の現場を窺い知ることすら出来ません。そこで、段林弁護士に「『何がおこっているのか?』という疑問に答えてもらいたい、それもできるだけ分かりやすく」と、無理なお願いをして、今回の公開講座の講師を引き受けていただきました。
段林弁護士の話
最初に1つ断っておきたいこと。弁護士というと、恐らく法律の専門家だとみなさんには思われているだろうが、実は民法に基づく民事事件と刑法に基づく刑事事件のどちらを専門にするのかで大きく2つに専門が分かれる。私の専門は民事事件なので、刑法や刑事事件は専門でなく不慣れなところがある。これから語ることは、あくまでも推測を交えた個人的見解であり独断と偏見の域を出ないものであって、刑事事件を専門とする弁護士や他の司法関係者と共通認識を得ている訳ではない、ということを予め踏まえて聞いていただきたい。
今日の話のポイントとしては、①法律の解釈や判決を出すときに判例というものが影響していること、②性犯罪被害者の供述の信用性が厳しく問われる最近の傾向、この2点について、いくつかの事例を挙げながら考えてみようと思っている。
2009(平成21)年におきたこと
2009(平成21)年 4月:最高裁による痴漢無罪判決
5月:裁判員裁判制度の施行
この2つは、リンクしていない様だけれども、やはり大きく影響しあっている、と私は思っている。もちろん、それには理由がある。
裁判員裁判の対象となる犯罪は、強制わいせつ致死、強姦致死傷、集団強姦致死傷、強盗強姦の4つ。要するに、死なしたり殺したり強盗したりという重大な犯罪である。また法定刑に死刑、無期懲役、無期禁固がある犯罪に性犯罪が合さっているもの。なぜ、そのような犯罪を裁判員裁判の対象にするのか。その目的は、司法に対する国民の理解の増進と信頼の向上に資するため。言い換えれば、刑事裁判に市民の感覚を入れるということ。
この制度の導入に当たっての最も大きな方向性としては、「裁判を分かりやすくする」ということ。そのために、これまでの裁判官による裁判では無かったパネルを使ったり、裁判員に説明用の資料をカラー印刷で配ったりするなど、裁判員が分かるための資料を懇切丁寧に作っている。ある意味、図式化しているところがある。また、集中審理を(3~7日)するために、公判前整理というのをやる。これは、裁判の前に裁判官と検察官と弁護人だけで、どんな証拠を出すとかどの点で争うのかとか、話し合って準備をする。そのための時間をものすごく長く取るので、その間、容疑者が身柄を拘束される期間も長くなる。結局、裁判員裁判では、審理期間は短くなっているけれども、容疑者が身柄を拘束されてから判決が出るまでの期間は、むしろ長くなっているという事態がおきている。
裁判員裁判制度が導入された1年目で、審理された全体の裁判の中で性犯罪事件の割合は、15.7%。決して少ないとは言えない。また、判決で懲役が平均2年長くなる、複数の余罪がある場合は無期懲役という判決が出るなど、重罰化の変化が見られる。市民の感覚が入ったことで、性犯罪の刑が妥当に判断されるようになったことは、肯定的な変化だと言える。ただし、これらは加害者の有罪を疑う余地のない事件であることを、見落としてはならない。
裁判は判例の影響を受けるもの
裁判員裁判は一審だけで、高裁はこれまで通りの裁判官による裁判になる。裁判員裁判を重視する傾向があり、一審による有罪判決を高裁で覆すことは「余程のことがない限りできない」という暗黙のルールがある。
これは私の大胆な推測になるが、一審で冤罪を生みたくない、と裁判所が考えているのではないか。一審での有罪が高裁で無罪になったら、裁判員裁判制度存続の障害になることを、裁判所は恐れているのではないか。最高裁の痴漢無罪判決が、なぜ裁判員裁判施行の直前に出たのか。その背景には、「証拠法則を示す」という意図があったのではないか。
1年前の公開講座「判例から見る性暴力」(ファイトバックvol.81参照)で、養父弁護士も資料に基づいて指摘しているが、裁判員裁判の導入が決まってからの裁判で、性犯罪の無罪判決が高くなっており、証拠能力の判断の厳格化や自白の任意性や証言の信用性の評価の厳格化によって、検察官が立証するハードルがより高くなってきている。被告人が捜査段階で自白していても、それが本当に任意に自白したかどうかの審理や被害者供述の信用性の判断が、ともに厳しくなっている。
裁判員裁判制度が施行される前月の2009(平成21)年4月14日に、最高裁で痴漢裁判の無罪判決が出された。判決文は、証拠の評価の仕方について一定の基準を示したとも読み取れる。これは、裁判員裁判を意識してのことではないか。被害者と加害者の供述しか証拠がない性犯罪での被害者の供述の信用性について、ルールや経験則を示した、と私は考える。この最高裁判決が下級審に相当の影響を及ぼしていると思う。
最高裁の痴漢無罪判決の意味
2006(平成18)年、女子高校生が登校途中に乗車した電車内で痴漢被害を受けた事件は起訴され、事実審である第1審も第2審も女子高校生の供述の信用性を認め、事実を認定して懲役1年10ヶ月の有罪判決を下した。にもかかわらず、最高裁(法律審)では覆り無罪判決が出された。
この無罪判決で注目すべきは、以下の2点。
判旨1 :
当審における事実誤認の主張に関する審査は、当審が法律審であることを原則としていることにかんがみ、原判決の認定が論理則、経験則に照らして不合理といえるかどうかの観点から行うべきであるが、本件のような満員電車内の痴漢事件においては、被害事実や犯人の特定について、物的証拠等の客観的証拠が得られにくく、被害者の供述が唯一の証拠である場合も多いうえ、被害者の思い込みその他により被害申告がされて犯人と特定された場合、その者が有効な防御を行うことが容易ではないという特質が認められることから、これらの点を考慮したうえで特に慎重な判断をすることが求められる。
判旨2 :
被告人は、本件当時60歳であったが、前科、前歴はなく、この種の犯行を行うような性向を伺わせる事情も見当たらない。従って、A(被害者)の供述の信用性判断は特に慎重に行う必要がある。
①Aが述べる痴漢被害は相当に執拗かつ強度なものであるのに、Aは車内で積極的な回避行動をとっていない。②そのことと、Aのした被告人に対する積極的な糾弾行為(駅に着く直前、ネクタイをつかみ『電車降りましょう』と声を掛け、『あなた痴漢したでしょう』と応じ、駅で開いたドアから押し出されるとホームにいた駅長に対し、被告人を指さし『この人痴漢です』と訴えた)は必ずしもそぐわない。③Aが成城学園前駅で一旦下車しながら、車両を替えることなく、再び被告人のそばに乗車しているのは不自然。 などを勘案すると、成城学園前駅までAが受けたという痴漢被害に関する供述の信用性に疑いを入れる余地がある。そうすると、その後に受けたという公訴事実記載の痴漢被害に関する供述の信用性にも疑いを入れる余地がある。Aの供述の信用性を全面的に肯定した第1審判決及び原判決の判断は必要とされる慎重さを欠くものというべきで是認できない。
判旨1の最初の下線部分は、「原判決の認定が論理則、経験則に照らして不合理といえるかどうかの観点から」判断するという意味。判旨1の二番目の下線部分については、19~20世紀の証拠法則、「女性は強姦されたと嘘をつく。男は『強姦された』と嘘をつかれたら防御できないから、女性の証言は客観的な物証がない限り認められない」という考えと同じ。1~2世紀過去に戻ったような解釈を最高裁が支持したことに、驚かされる。
また、判旨2の最初の下線部分は、被告人の証言の信用性を全く判断していない。これは奇妙で、無罪判決を出すために意図的に無視した、とも思える。判旨2の二番目の下線は、被害者の言動について3つの疑問を示している部分。①は、痴漢事件で必ず言われることで「被害者は逃げてない」ということ。②は、過激な糾弾と①の積極的に逃げていない行為とは一貫性がなく、「虚偽の証言ではないか」ということ。③は、犯人を被告人と認識していたのなら、一旦下車して同じドアから乗り込むということはないはずで、同じドアに乗ったということは、痴漢行為が一旦下車する前からあったということと矛盾する。
この最高裁判決については、その後、様々な論文や判例解釈が出されている。多数派の意見としては、「裁判員裁判導入を見据えて、判旨1が示されていることは意義ある」こと、「判旨2については、5人の判事からそれぞれ賛成意見(3)と反対意見(2)が付されていることで、多角的な視点を与えていることは意義がある」というもの。しかし、賛成意見と反対意見の両方を読んで、「反対意見の方が説得力がある」と個人的には思う。
この無罪判決によって、判旨2の①②③が合理的な経験則として、被害者の(あるべき)行動を示したことになる。今後、同様の事件で被害者の行動が争われたときには、最高裁で示された論理則、経験則に照らし、被害者の行動が合理的といえるかどうかが、下級審でも判断されるだろう。また、被害者供述の信用性判断が詳細かつ厳しく問われることになったため、一点の矛盾もないことが被害者には求められる。これは、とても厳しく高いハードルを架せられたということ。だから、補強証拠(例えば、目撃者がいる)とか、客観的証拠(例えば、DNA鑑定とか繊維痕など)が無ければ、被害者と加害者の一対一の痴漢裁判では被害者の方が負けてしまう。つまり、これからは被害者が自分一人で加害者を捕まえて警察に連れて行っても、相手にされないということ。検察は、立件しても無罪になることが分かっているから起訴しない。
その後の性犯罪の裁判官裁判例
最高裁の無罪判決の影響は、痴漢被害だけに留まらない。判決文を入手できなかったので、報道からの情報になるが、いくつかの裁判について注目してみた。
2011(平成23)年2月22日、神戸地方裁判所で行われた裁判は、報道によると、内縁関係にあった女性の娘(高校生)に対する強姦罪を問われた男性に対して、無罪判決が出された。無罪の理由は、娘は「抵抗することが著しく困難だったとはいえない」ということと、男性と娘が上半身裸で一緒に移っている写真があることや2人で外出し買い物していたことなどから「男性に極度の恐怖心を抱いていたという被害者の供述の信用性に疑問が残る」ということ。
一方で、養父から養女(中学生)に対する強姦事件でも2007(平成21)年12月の同じ神戸地方裁判所で行われた裁判では、懲役14年の有罪判決が出ている。【判決文を資料として添付】この事件は、強姦だけでなく、被害状況をビデオに撮って児童ポルノを製造していたことでも立件されており画像に日時が記録されていたこと、姉の手紙があったことなどが客観的証拠となった。また、原因不明の発熱と頭痛で入院した病院で、被害者を担当した医師が性虐待を疑ったことを証言したことも、補強証拠となった。被告人の弁護人は、被害者供述の信用性に疑問を示す反論を中心に行ったが、最終的に裁判所は、性虐待の被害の特徴が合理的なものであり、被害者にもそれが見られるとして、弁護人の反論を退けた。
この2つの裁判の判決を分けたのは、証拠の強弱だと考える。証拠が弱ければ、弁護人の反論を覆すことは難しいだろう。
次に、2011(平成23)年3月2日の大阪地方裁判所での裁判は、報道によると、少女にナイフを示して強姦罪に問われた男性に対して、無罪判決が出された。「被害の核心部分なのに、犯人の言動やナイフをどちらの手で持っていたのかなどについて具体性に欠ける」という、被害者供述の信用性が認められなかったということ。客観的証拠が無く、被害者と加害者の供述が対立していて、どちらを信用するかという構造だった。
2009(平成21)年10月22日、札幌高裁で強制わいせつ事件が第1審の有罪判決を破棄し、無罪判決を出した。【「季刊刑事弁護61号の解説を参照」】
被害者供述の信用性について、基本的な認識が大きく違っている。例えば、第1審では「『細部はともかく、大筋においては』その証明力に問題はなく、『たやすく信用性を否定するのは相当ではない』」としていた。しかし、控訴審では「被害者供述だけが事件性の立証を支えるような証拠構造にある事件においては、細部についても客観的事実との関係を検討し、矛盾や不合理が積み重なれば、供述全体の信用性を否定すべきであろう」というもの。この控訴審の考え方は、まさに最高裁の痴漢無罪判決の見解である。原審の判決が出たのは最高裁の痴漢無罪判決が出た3日後の平成21年4月17日であり、控訴審の判決が出たのは半年後の平成21年10月22日であることを考えると、最高裁の痴漢無罪判決の影響が高裁の審理に影響を与えたと思わざるを得ない。
まとめ
最高裁が、なぜ痴漢無罪判決を裁判員裁判制度施行前に出したのかを考えると、裁判員裁判で客観的証拠がほとんど無く被害者と加害者の証言で判断するしかない事件を、裁判員に判断させて冤罪が生まれたら困る、という意向が働いたからではないか。分かりやすい証拠のはっきりしている事件は、性犯罪でもどんどん罪が重くなっていくだろう。それは、性犯罪の重罰化というイメージを作るだろう。しかし、証拠の微妙な事件は「起訴されません、裁判できません」となって、表に出なくなってしまうということを、私はとても危惧している。
質疑応答
Q1)なぜ、最高裁は「差し戻し」にせず判決を下したのか。
段林)上告を破棄して差し戻す場合は、「もっとこの点の事実を審理しなさい」というところがあるから。この場合は、事実の審理は十分に為されているという認識のうえで、証拠の評価が1審2審で誤っていたのだから、その評価をきちんとすれば無罪だ、と判断されたということ。
Q2)状況は厳しいかもしれないけど、その中で、何とか起訴されて有罪になる方法はないものか。
段林)やっぱり捜査をしっかりやるしかない。強姦だったらDNA鑑定をするために、被害直後に警察やSACHICOへ行って、証拠採取する。痴漢の場合は、目撃者の確保や加害者の手を掴むとか。
Q3)検察は、性犯罪の冤罪事件が続くのは、ものすごく気になったはず。最高裁も司法制度の根幹が揺らぐような危機意識があって、無罪判決を出したのではないか。
段林)痴漢は刑が軽いから、警察も容疑者を呼んで認めさせたら略式罰金で対応しているのに、否認されたために捜査したけどズサンな捜査で無罪になったということは過去にはある。懲役が何年にもなるような事件なら、警察も慎重に捜査する。事件直後に痴漢加害者の爪や指の証拠採取するようなことをしていない。それをすれば、客観的な証拠になるはず。強姦も初動捜査が重要である。慎重で厳格な捜査をする、ということに尽きるのでは。被害者も、治療もケアも含めて証拠採取もできる、被害直後に飛び込めるところが必要だと思う。
Q4)性犯罪は、密室や他人のいないところで起こるものがほとんど。それで被害者の証言が信用されず、起訴されにくくなり、有罪になりにくいというのは、問題だと思う。
段林)1年前の公開講座で養父弁護士が用意した資料を見ると、微妙に無罪率が上がっているし、強盗と比べると性犯罪の無罪率は2倍になっている。ただ、裁判員裁判になるのは重大犯罪なので、ここまで無罪になることは無いと思う。二極化にはなるだろう、分かりやすい事件で起訴されるものとそうでないものになるだろう。
Q5)検察官の起訴状や検事の法廷戦術が、痴漢無罪判決の経験則を覆すものでないことが問題ではないか。
段林)裁判員裁判が始まって、そっちの方にベテランや優秀な検察官が動員されて、それ以外の裁判には手薄になっていた、という情報もある。検察官も負けたいと思ってはいないから、必要なことはやっていると思うが、見込みが甘いところもあるかもしれない。
Q6)被害者参加制度を利用して、刑事裁判で被害者が積極的に闘えないものか?
段林)制度としては、そのとおり。だが、現実には、ほとんど制度が利用されていない。性犯罪の被害者は、裁判に積極的に関わることへの抵抗感があるせいではないか。情報を知らない訳ではなく、検察官から説明を受けても利用しようという気持ちになれないのではないか。
段林弁護士の話を聞いて思ったこと
冤罪を生まないことが重要なことは、解ります。しかし、それが「被害者供述の信用性を疑うことだ」と多くの裁判官が考えることが、私には理解できません。
性犯罪が親告罪である現在、被害者供述の信用性を疑われてしまうと、被害者が告訴する意志を持つことが難しくなります。そうでなくても、性犯罪被害者は様々な「強姦神話」や二次被害で他者から責められたり自分で自分を責めたりする状況にあります。証拠を重視するなら、警察の捜査方法や加害者供述の信用性など、見直すべき点が他にもあると思います。
最高裁の痴漢無罪判決が、これから判例として様々な性犯罪裁判で適用されるということは、今まで以上に被害者の声を無視し、性犯罪の定義を加害者の都合の良いように変えることだと思います。最高裁の裁判官5人中2人が無罪に異議を唱えたということを、最高裁で再度検討する方法はないのでしょうか。
7月、大阪高裁での痴漢無罪判決や京都地裁での京都教育大学の男子学生に対する処分の無効判決が続けて出ています。段林さんの危惧が現実化していることに衝撃を受けています。
性暴力を許さない女の会ニュースレター『ファイト・バック』vol.86より転載
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