2011.02.20 Sun

機関誌ファイトバックより
WAN:今回の「突撃!となりのフェミニズム」は、関西で活動している「性暴力を許さない女の会」の周藤由美子さんにお話しをおうかがいします。まず、「性暴力を許さない女の会」の設立の経緯などをお話しいただけますか?
周藤:1988年に地下鉄御堂筋事件というのがありました。地下鉄御堂筋線というのは、痴漢が多いと評判だったんですけれども、ある女性(仮にA子さんとしておきましょう)が、以前自分に痴漢をした男性二人が別の女性に痴漢しているのを偶然見て、かばおうと思って痴漢に注意してその被害者を逃がしたのです。ところが、その二人組の痴漢が逆上してA子さんをつかまえて(正確にいえば、いったんは逃げようとしたんだけれど、またつかまってしまって)、電車から降ろされて、沿線の工事中のビルの中でレイプされた、という事件です。
WAN:恐ろしい話ですね。でも、そういう状況って、駅員さんとかが気づかないものなんでしょうか。
周藤:改札を出た時には、A子さんも怖くって助けを求められない状況だったそうです。
私たちはそれを新聞記事で知って、ショックを受けました。痴漢にNOと異議申し立てをした女性に対して、報復としてレイプするというようなことがまかり通ったならば、痴漢を注意することもできない、イヤっていうこともできないということになってしまいます。「これはえらいことや」「おかしいよね」ということで、すぐに大阪の活動をしていた女性たちが集まって、まず大阪市交通局や私鉄に痴漢防止のための取り組みについての申し入れを行い、また同時に性暴力にNOの声を上げるための集会をしようということになりました。
それで、翌年に作家の落合恵子さんを招いて500人が入る朝日生命ホールで集会をやったところ、満員になったんです。当時でも女性たちの運動に関わる集会で500人集まるということはそう多いことではありませんでした。この集会には、ハイヒールをはいた会社帰りの女性たちが駆けつけてくれました。女性たちの関心が非常に高かったんですよね。
そしてまた、集会があることを新聞に掲載してもらったところ、連絡先に、性暴力被害についての相談の電話がかかってくるようになりました。その当時、東京には強姦救援センターはありましたが、大阪では性暴力についての相談を受け付けるようなところがまだなかったのです。女性たちの中に、性暴力被害を相談する窓口がほしいというニーズがあったわけです。
500人規模の集会が成功して、多少収益があがったので、電話をひいて継続して相談を受けましょうということになって、活動を始めたのが「性暴力を許さない女の会」ができた経緯なんです。
WAN:とすると、会設立当初から性暴力の被害者からの相談を受けるというのが、「性暴力を許さない女の会」のメインの活動になっていたわけですね。会としてのミッションというとどのようなことになるんでしょうか。
周藤:相談活動と、公開講座などで社会に対して性暴力の問題を訴えていき、性暴力についての認識を変えていくという二つが活動の柱です。
WAN:具体的な活動についてお伺いしたいと思います。
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周藤:他にないから、ということで始めた相談ですから、私たち自身どうやって相談を受けるべきなのか、勉強する必要がありました。東京の強姦救援センターの方に、性暴力被害者の相談の受け方を教えてもらったり、法律について弁護士さんを読んで学習したり、相談を受けるにあたってどういうことに気をつけるべきなのか、学びながら相談を受けてきたのです。勉強した成果については、機関誌「ファイトバック」でも報告していますし、また、改訂して「サバイバーズハンドブック」として発行されている「泣き寝入りしない女のハンドブック」としてまとめられています。
相談電話で、必ず気をつけているところは「あなたは悪くない」ということを一番に伝えるようにしています。
WAN:相談してくる人は自分が悪かったと思いがちなのでしょうか?
周藤:やっぱり被害者は自分に責任がなくても、そういう気持ちにはなりがちですね。ですから、「あなたは悪くありません」「あなたは一人ではありません」「そして、あなたは立ち直る力をもっています」というのを伝えたいと思っています。
と同時に、受け手の私たちもあんまり無理をしないように、というのを心がけています。相談は二人一組で受けます。相談も、一人で受けると抱え込んじゃってしんどくなってしまうから。
実際には、私たちの電話相談は週一回火曜日の19時~21時、夜2時間という限定があるものです。
ですから、現在ではそんなに多くの相談を受けているわけではありません。始めた当初は、相談する窓口がまったくなかったのですが、その後、女性に対する暴力についての相談に関しては、女性センターとかDV相談窓口とか、徐々に行政対応もされるようになってきたので、相談は少なくなってきたのかな、と思っています。それはそれで、いろいろなところに相談できるようになったということであれば、相談件数が少なくなったということを一概に悪いことだとは思っていないのです。
WAN:「性暴力を許さない女の会」は、裁判での被害者のサポートもしてきましたよね。相談だけでなく、裁判でのサポートもするようになったいきさつについても教えていただけますか?
周藤:会ができる前にも、会員の何人かは性暴力被害の裁判支援をしてきた経験をもっていたのですが、会として裁判において被害者のサポート活動をするようになったきっかけは、京大矢野事件だと思います。
京大矢野事件や横山ノック事件、瑞穂さん(仮名)監禁事件など、社会的にも注目を集めた裁判の被害者サポートを行ってきました。
WAN:裁判における被害者サポートというのは、具体的にはどのようなことをやるんでしょうか?あるいは、その際に気をつけている点などはありますか?
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周藤:大きな裁判だと弁護士さんが複数いて弁護団会議というのがあります。弁護士さんと被害者がともに弁護方針・戦略について相談していく会議です。そこに同席して、弁護方針に被害者の意思がきちんと反映されるように、サポートします。また、裁判の進行途中で、弁護士さんが主張していることを、その意義や法的制約などについて被害者に説明したりもします。いわば、弁護士さんと被害者との通訳的な仕事をしているんだと思います。あるいは、被害者と弁護士さんの間をコーディネートする、と言ってもいいかもしれません。ですから、弁護団会議の前に、被害者はどうしたいか、どう裁判を進めていくかについて、方針を一緒に考えたりします。また、裁判ごとに広く支援を呼びかける機関誌をつくったりもしています。たとえば、京大矢野事件の甲野乙子さんの支援の際につくった機関誌「ゆりかもめ」の記事は甲野乙子さんが書かれた本の中にも入っています。
私たちがやっている裁判における被害者サポートは、基本的に被害者本人の気持ちを一番大切にしたいと思っています。ですから、「やめたかったらやめてもいいよ」というような、通常弁護士は決して言わないようなことも言います。裁判では弁護士は勝つためにどうすればいいのかということを強く主張するけれども、私たちは「被害者であるあなたがどうしたいかが大切だからね」という形で関わってきました。裁判には勝ったけれど、被害者がないがしろにされて、裁判なんかしなければよかった、と思うのは残念だからです。時々、裁判支援ということで、周りの支援者が、加害者の責任を追及する方に夢中になって、被害者の気持ちを置き去りにすることが起こることがあります。私たちはそうならないような支援をしたいと思っています。被害者が回復するために何をしたらいいのか、を一番に考えたいと思うのです。
WAN:たしかに、被害者の回復ということが本当に大切なのに、そこが置き去りにされる傾向というのはあるようにも思います・・・
周藤:ただ、「性暴力を許さない女の会」は、皆仕事をもった女性たちによるボランティア活動をベースに行っている活動なので、実際には、裁判支援の依頼がきても、すべてをお引き受けすることができません。けっこう断っているのが現状です。
WAN:会が発足してすでに20年以上になりますが、この間変化していったことはありますか。
周藤:学習会を積み重ねて活動してきたので、結果としてそれが仕事になってしまったという人も多くいます。
WAN:周藤さん自身も、被害者支援をしている間にフェにニストカウンセラーにお仕事を変えられていますよね。
周藤:私以外にもカウンセラーになった人もいますし、大学や行政のセクハラ専門相談員になった人もいます。もちろん支援活動を仕事としてやっていない人もいますが。私自身は、このような相談や裁判支援だけでは回復できない被害者もいるので、回復には心理的サポートが必要だと思うようになったのですが、当時はフェミニスト・カウンセラーの数も少なかったので、それなら自分がやろうということで、自分がカウンセラーになったのです。
私たちは、ミーティングが月2回、電話相談が毎週1回。公開講座が3カ月に1回、機関誌発行も3ケ月に1回という感じで活動しています。
ずっと公開講座や勉強会を続けてきたので、会から発信している内容については自負があります。たとえば、2010年には、20周年記念イベント「性暴力禁止法をつくろう」の報告集をつくりましたが、「性暴力禁止法をつくろうネットワーク」のメンバーからも、「これが一番分かりやすい」と言われたこともありました。機関誌「ファイトバック」もクオリティが高い記事が掲載されていると思っています。
WAN:そうですね。「ファイトバック」の記事はときどきWANにも転載させてもらっていますが、勉強になる記事が多いですよね。それも20年間の勉強のたまものなんですね。
周藤:また、20年間の間に、ネットワークも広がって行きました。
コアメンバーもそれぞれの活動もしていますし、勉強会を通じて、弁護士さんや他の運動団体ともネットワークが広がっています。昨年始まったSACHICOにも、「性暴力を許さない女の会」もネットワークとして参加しています。
WAN:最後に、今後についてもお伺いしたいと思います。今後会をどう発展させていきたいとか、どのような展望をおもちでしょうか?
周藤:展望・・・そういうのは、あんまりないです。確かに20年もやっているんですが、「できることはできるけれど、できないこともあるよね」というのを基本的スタンスにして、マイペースにやってきました。そこが続いた秘訣だと思います。
また、何かしんどいことがあっても、スタッフみんなで温泉に行く計画を立てて「温泉に行くためにがんばろう」というようなことで、続いてきています。
20年間、コアメンバーは変わっていないけれど、新しく若い人も関わってくれてもいます。けれども、「だから彼女たちにはどうしても続けてほしい」と思っているわけでもありません。私たちは、いろいろな活動をしながら、「よくやった」とお互いにほめながら活動し続けてきたように思いますし、マイペースだからこそ続けてこれたんだと思います。
WAN:サポートされた人がサポートに回るというようなことはあったんでしょうか。
周藤:裁判でサポートをしてきた当事者とは、裁判が終わってからはつかず離れずという感じでのお付き合いをしています。サポートを受けたから、それを生かしてとか、それを忘れないで、とはあんまり思いません。裁判も終わったら自分の好きにしてもらったらいいと思うんです。やってもらったんだからカンパしないといけないとか、そう思う必要ないじゃん、と思っています。そういう意味では、既存の運動団体とは違うのかもしれないですね。私たちは会の永続が目的だとは思っていないのです。「続けられれば、続けたらいいよねー」という気持ちでいます。
WAN:とはいえ、20年続いてきたんですよね。性暴力関係のすごく重要な裁判も支えてきたわけです。今日は、お忙しい中、本当にありがとうございました。
(インタビュアー・構成 古久保さくら)
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