エッセイ

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食べさせてもらう才能  牟田和恵 (晩ごはん、なあに?14)

2012.01.30 Mon

 このコーナーでは、WANの皆さんの料理自慢が続いていますが、私はその例外。おいしいもの好きなのは皆さんにひけをとらず、料理がキライなわけでも苦手でもないのだけれど、手抜きで簡単なもの以外は、ほとんどしません。それでも人並みをはるかに超える食生活を享受できているのには秘訣があって、それは、料理好き・人に食べさせること好きの人をいつも身近に確保する才能を持っていること!

彼女が出版した料理本。懐石料理等の専門家向けの料理本編集にも携わっていました

  まず、高校時代からの親友が、長じて料理の専門家になった、筋金入り。彼女の家に入り浸っては、同じくらい料理好きのお母さんと一緒に作ってくれるご馳走をたらふく食べてました。それからウン十年、あちらこちらで彼女に食べさせてもらった料理の数々、、、。無念なことに彼女は三年前に病を得て逝ってしまいましたが、彼女の思い出は美味しい料理とともにあります。

 20代後半からの同居人がこれまた、マメな料理好き。毎日の料理、弁当、何でもOKです。元々料理はそれなりにはしていた私ですが、これで一気に作らなくなりました。それに同居人は、大勢を招いてご馳走するのが好きな宴会好きで、狭い台所しかなかった頃でもしょっちゅう宴会、おかげで自宅での宴会の楽しさとセッティングのコツを身に付けました。

 1995年にボストンに一年住んでいたときルームメイトだったリンダも、これまた料理好き。ルームシェアをするのに食事に関する取り決めなどは何もしなかったのですが、私が帰宅すると台所には彼女のつくった料理がお鍋にいっぱい。当たり前のようにしょっちゅう食べさせてもらってました。

 リンダは、人を招いて一緒にご飯を食べることのポリティカルな意味を教えてもくれました。父方が中東からの移民だった彼女は、パレスチナの人権抑圧に反対する運動に関わっていましたが、グループの集まりはいつも地下鉄ハーバードスクェア駅そばの、彼女と私の住むアパートのリビングで。たいてい夕刻から始まる会議の日は、彼女はいつも、大量のパスタとサラダを作って準備、集まるメンバーはまずそれを食べてから、会議です。それぞれに忙しいメンバーが、時間を工面して集まっていたのは、少なからず「餌」に釣られて、に違いありません。

 それまで女性の運動に関わってきて、会合をするとなると、場所を取るところからして大変なことを経験していた私には、家で会議ができればそんな苦労はない、と目からウロコ。次に引っ越すときは、交通の便が良く人の集まりやすいところに住もうと決心、そして、運動は単にまじめに会議しているだけではなく、共に飲み食べなくちゃ、と再認識しました。[リンダとのシェア生活の思い出を拙著『実践するフェミニズム』のコラムに書きました。]アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.

 それが実現したのが99年。複数の主要駅から徒歩数分、大きな道に面してわかりやすく、リビングとベランダが広い家に住むこととなりました。そしてここで、またまた私の才能が発揮されます。料理好きの同居人に加え、なんと、今度の住まいには、数階下に、料理自慢・パーティ大好きのフェミニストが住んでいた! あっという間に親しくなり、うちのキッチンで彼女が腕をふるって仲間をもてなすことがしょっちゅうとなりました。実を言えば、このWANの発足のときも、うちで会議をしては、彼女の料理で宴会、というパターンがしばしばでした。それは現在も続いており、WANサイトにも紹介されている通りです。

WANには、その上、事務所での会議のたびにメンバーの胃袋を自慢のおばんざい料理で満たしてくれる事務局長も。「餌」に釣られるのは洋の東西を問いません。

 料理が好きで得意なのは、もちろん素晴らしい才能ですが、いつも人に美味しいものを食べさせてもらえるのも立派な才能。その才能をフルに生かし、これからも、仲間作りは胃袋から!








カテゴリー:晩ごはん、なあに?

タグ:料理 / 食べる