2012.02.11 Sat
『ポエトリー アグネスの詩』 清水馨[学生映画批評]
英題:Poetry
「見つめる」ことの覚悟 Readiness for “looking” Text by Kei Shimizu
「本当に難しいのは、詩を書く決心をすること」。主人公が放ったこの言葉が忘れられず、なかなか文章を書くことが出来なかった。
「映画が死にいく今、映画を撮るということにどういう意味があるのか」。詩を書くことの意味と共に、イ・チャンドン監督が私たち観客に、そして自身に問いかけながら描いていった本作に向き合う為には、私は余りにも未熟な人間なのではないかと思っていたからだ。
遠く離れた釜山で働く娘に代わり、中学生の孫息子を育てている初老の女性ミジャは、いつもおしゃれに気を遣い、突拍子もない言動で人を驚かす、まるで少女のような存在だ。
ある時、医者から「アルツハイマー病」であることを宣告され、同時に悲惨な事件とその真相を知らされることから、物語は動き出す。何気なく申し込んだ「詩」の教室で「人生で一番大切なのは“見る”こと、世界を見つめること」だと教えられた彼女は、台所のリンゴを様々な角度から眺めてみたり、道端に咲く花を手に取ってみたり、ベンチから、風に揺れる木々の葉を見上げてみたり、日常の、目に見えるものの中から「真の美しさ」を見出そうとするようになる。そのようにして、「見つめる」ことを始めてしまったミジャは、やがて、自身や回りの世界と向きあうこと、「詩」を書くことの決心を迫られていくようになる。このミジャの姿は、監督自身の姿でもあり、監督が私たち観客に与えた問いであるとすると、私たちはそれに対し、どのような「詩」を、言葉を紡ぐことができるだろうか。
物語は、「言葉」による説明を徹底的に廃し、さらに、人間の感情の激しさをも押し込めて、坦々と進んでいく。孫息子と「別れる」、夜のバトミントンのシーン、求められたミジャが「女」として描かれる場面、ミジャ役のユン・ジョンヒの表情ひとつで全てが語られていく強烈な演出に、私たちは、考えることも泣くことも忘れて、ただ「見る」ことしかできなくなっていく。
少しずつ失われていく彼女の記憶や言葉とは裏腹に、感情ばかりが溢れ出していく様子に胸を締め付けられながらも、事件の被害者である「少女」に自身を重ね合わせて辿り着いた「詩」を、少しでも多くの人に聴いて欲しいと思った。
冒頭とラストシーンで映される川には、「生死」を思わせるような、よどみない流れがいつまでも映される。同じ川であっても、全く別の意味を持った存在であるということを体感することができれば、監督の「問い」にひとつ答えることが出来たと言えるかもしれない。
(日本大学芸術学部 映画学科三年 清水馨)
『ポエトリー アグネスの詩(うた)』
(イ・チャンドン監督/2010年/韓国/139分/提供・配給:シグロ/キノアイ・ジャパン)
2月11日(土)より、銀座テアトルシネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次公開
(C)2010 UniKorea Culture & Art Investment Co. Ltd. and PINEHOUSE FILM.
公式HPはこちら http://poetry-shi.jp/
カテゴリー:新作映画評・エッセイ