2013.08.17 Sat
夕焼けとタコスと取材対象者
坂上 香(ドキュメンタリー映画監督)
ストーリーは影から照明の下へと移動する。大抵の場合、舞台は私たちの力のなさを強調するが、影は私たちに秘められた力を表現する[1]。
レベッカ・ソルニット(ノンフィクション作家)
現在制作中の映画「トークバック 女たちのシアター」(仮題)は、サンフランシスコの女性短期刑務所で生まれたマージナルな女たちの劇団「メデア・プロジェクト:囚われた女たちの劇場(The Medea Project: Theater for Incarcerated Women) 」についてです。2006年から2013年現在まで8年に渡って取材を続けてきており、秋には完成を予定しています。今回は、数日前に試写で久しぶりに訪れたサンフランシスコのこと、メデアが刑務所から拠点を外に移し、HIV/AIDS陽性の女性たちとのプロジェクトに移行した時期(=映画企画の開始)などについて綴ります。
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2013年8月10日午後6時過ぎ、私は女性だけの演劇集団メデア・プロジェクトの一員であるカサンドラのアパートの前に立っていました。ここで、ワーク・イン・プログレス試写を行う予定なのです。
ワーク・イン・プログレス(work-in-progress)試写とは制作中の作品を意味し、一言で言うなら中間試写です。国内では6月から7月にかけて、米国でも7月末からこの日までにそれぞれ3回ずつ実施してきていたのですが、映画に登場する取材対象者に向けて行う試写には、特別な緊張感が伴います。
私はドキドキしながら見慣れたアパートのベルを押しました。突然ドアが開くと、赤く染めた髪にタンクトップのカサンドラが満面に笑みを浮かべて現れます。腕を大きく広げ、「コーリー(私のニックネーム)、待ってたわ!」とハスキーな声で抱きついてきました。
彼女とは半年ぶりの再会です。でも、まるでしょっちゅう会っているかのよう。というのも、彼女とはFacebookやメールで日常的にやりとりをしているので、日米と遠く離れていたような気がしないのです。前日まで彼女が友人たちとキャンプに出かけていたこと。同居している6歳の孫のバシディが、帰る際に駄々をこねたこと。今もバシディは友人家族とキャンプ場に残り、子どもたちと川で泳いだりして過ごしていることまでFacebookを通して把握していましたから!
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カサンドラはアフリカ系アメリカ人で、HIV陽性者です。50代後半の彼女は10代から薬物依存症で、窃盗罪や家宅侵入罪などに問われ、刑務所の出入りを繰り返してきました。1980年代半ばに刑務所でHIVの告知を受けましたが、つい最近まで感染の事実を周囲に明かせずにいました。最初に告げた母親や姉から差別的対応を受けたからです。特に姉は自分の子どもたちとの接触を禁じたり、カサンドラにだけ紙の食器を与えるなどの態度をとったため、「血のつながった家族でさえこれだから、他人には絶対明かせない」と彼女は自分に誓ったのでした。
カサンドラがメデアに関わるようになったのは2008年のこと。メデアは1989年から20年間、サンフランシスコ短期刑務所を拠点に活動を続けていましたが、様々な理由から現場を移し、病院と演劇のコラボレーションという新しい取り組みをまさに始めようとしていた矢先のことでした。「カリフォルニア大学病院サンフランシスコ校のHIV/AIDS女性プログラム(UCSFWHP)」のディレクターでありHIV/AIDS専門医であるエドワード・マッティンガー医師が、患者のウェルネス(単に疾病や病弱ではないということではなく、身体的、精神的、社会的に良好な状態)を目的としてメデアのアプローチに注目し、受刑者に対する演劇のアプローチをHIV/AIDS陽性者にも適用できないだろうかとメデアの代表者であるローデッサ・ジョーンズに話を持ちかけたのがきっかけでした。そしてこのUCSFWHPの患者であるカサンドラは、マッティンガー医師からメデアとの協働プロジェクトに参加してみないかと誘われたのです。
こうして対象者が女性受刑者からHIV/AIDS陽性女性へと、メデアの活動に大きな変化が訪れていた2008年の初夏、私はようやく映画のための撮影を許可するという返事をローデッサからもらったのでした。ちょうど私がメデアに関わり始めてから2年が経った頃のことです。
前回までに説明したように、私は2006年にメデアの代表ローデッサに頼み込んでアーチスト・イン・レジデンスという肩書きでサンフランシスコ女性刑務所に通い、ボランティアで映像記録を行うという機会を与えられました。当時から私は映画企画の意向を示していましたが、ローデッサは「様子を見ましょう」といってなかなかOKをくれませんでした。その後2年間、私は数ヶ月毎に調査でサンフランシスコを訪れ、メデアとの関係を繋いできていたのです。全ては「メデアの活動に関する映画を撮りたい」という思いからでした。
当時、刑務所での活動はしばらくないかもしれないと、ローデッサからほのめかされていました。米国においてサンフランシスコの司法制度は、非常に革新的な存在でした。しかし、2000年半ば以降、連邦レベルの厳罰的刑事政策からの影響を免れられなくなり、刑務所での活動条件が極度に厳しくなっていたこと。その結果、「個人的なことは政治的である」というスタンスのメデアの活動が刑務所でやりづらくなっていたこと。加えて活動のための資金繰りも大変なことや、メデアが刑務所で活動を始めてから20年の間に、複数のアート団体が刑務所に参入してきたため、受刑者にとってのオプションも増えたことなどがその主な理由でした。
一方、刑務所から離れてメデアがUCSFWHPとの新しい活動が始まっていることも聞かされてはいました。しかし、この新しいプロジェクトの開始から1年間、私はカッサンドラたちHIV陽性の女性たちと接触させてもらえないばかりか、プロジェクト自体についてもあまり多くを知らされませんでした。ですから、私はどこかでまた元の活動に戻るだろう、そうすれば刑務所内のプログラムをまた撮影できるかもしれないという淡い期待を抱いていました。
2008年初夏、2年かかってようやくローデッサ本人から映画企画にゴーサインをもらった私は、様々な調整を行って撮影クルーを日本から連れていきました。しかし、到着してみるとローデッサは何に対しても煮え切らない態度で、始まったばかりのHIV陽性者との活動については撮影不可だと言います。陽性の女性たちが自らを語り出すまでに時間がかかること、ようやくワークショップに慣れたと思ったら「舞台に立って感染の事実を世間に知られるなんて困る」と突然来なくなってしまうことなど、問題が山積みであること。メンバーが定着せず、活動自体がうまく機能するかもわからないという状態で、映画を撮影するなんて言ったらそれこそ誰もいなくなるからというのがその理由でした。後から知ったのですが、開始して間もなく70人の患者がメデアのワークに姿を見せたのですが、数週間後にはたった一人だけになっていたというのです。その一人がカッサンドラだったのです。
メデアが置かれている困難な状況は私にも十分理解できましたが、なぜ撮影するものが何もない、しかも全てが不確定なこの時期にゴーサインを出したのか、と私はローデッサに憤りすら感じるようになっていました。ローデッサとしては私のしつこさに根負けしてOKしたに過ぎず、今後のメデアの展開と私たちの映画化について深く考えていたわけではないようでした。そんなちぐはぐな状況で結局私たちが撮影できたのは、ローデッサや古くからのメンバーのインタビューや多少の日常だけでした。
「映画化は諦めたほうがいいんじゃないか。」心配した撮影クルーからの率直な提言に、私は実のところかなり焦っていました。「絶対諦めない」と私は断言しながらも、どこかで弱気になっていたように思います。映画化を実現させたいという気持ちに変わりはありませんでしたが…..
それからしばらくは、別の取材に合わせて2,3日の単独訪問を繰り返していました。新メンバーと旧来のメンバーが信頼関係を築き、基盤が整うまでは、撮影どころかワークショップの現場に足を運ぶことさえ許可されませんでしたから、訪問しても、せいぜいメデアの旧来のメンバーとお茶をしておしゃべりをするぐらいでした。それでも、映画を実現させるために私は必死でした。
私自身、以前HIV/AIDSについての長期取材をしたことがあっただけに、HIV陽性者が映像制作者という私を警戒する気持ちもとてもよくわかりました。ただ、ローデッサの煮え切らない態度といい、受刑者からHIV陽性者への唐突ともいえる変更、おまけにプログラム自体機能するのかどうかもわからないという状況のなかで、映画企画自体が頓挫するかもしれないという不安で一杯だったことは確かです。
カサンドラと初めて会ったのはそんな不安定な時期でした。プログラムの開始からすでに1年が経とうとしていた2009年春のことです。当時は湾岸地区にある大きな倉庫をスタジオ代わりにして、エクササイズを行うというワークショップを毎週1,2回行っていました。私はそこに初めて立ち合うことを許されたのです。顔馴染みの旧来のメンバー数名に加えて6,7名のHIV陽性の女性たちが参加していました。カサンドラもこの一人だったのですが、特に際立った特徴があるわけでも、積極的でもなく、むしろシャイで礼儀正しいという印象を受けました。
ワークショップの初めに行うチェック・インという話し合いの輪では、それぞれが抱えている健康面での問題からボーイフレンドや家族とのパーソナルな出来事まで、かなり赤裸々に語っていました。その様子から、ローデッサたちとの間に信頼感が築けていることが感じられました。逆に言うと、この状態に至るまでには多くの時間がかかっているのだということ。カサンドラの人生について私が知るようになったのも、ずいぶん後になってからです。
正直、この時点でもまだHIV陽性者とのプロジェクト自体がどうなるかわからないという状態でしたが、それまで話に聞いていただけの女性たちが、実際に目の前で踊ったり話したりしている姿に触れ、映画化の思いは強まりました。ただ同時に、目の前の女性たちとどう関係を作っていったらいいのか、しかも日米という遠距離でどうやってそれを実現させていくのか、途方にくれていたことも事実です。
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話を冒頭の試写に戻します。
実はこの日の試写に参加できそうなのは、ほんの数名と聞いていました。試写の日程がギリギリまで決まらず、夏休みで旅行に出かけていたり、親の介護や家族の行事があったりで、都合がつかない人が多かったのです。何人かが試写に参加できなくて残念といった内容の電話やメールをくれ、2,3人が今試写に向かっているとの連絡をくれました。カサンドラは行きつけのメキシコ料理店に案内してくれることになりました。
カサンドラが住んでいるのはサンフランシスコのミッション地区。ヒスパニック系を中心としたマイノリティが多く住む場所で、人通りが多くて活気があります。色とりどりの野菜や果物が表を飾るマーケット、エキゾチックな臭いと音が流れてくるエスニックなレストラン、おしゃれなヴィンテージものの古着屋などが立ち並び、あちこちにカラフルな壁画も顔をのぞかせています。その合間を縫うように経済破綻の痕跡も見られ、「閉店」や「テナント募集」の紙が貼られた店や建物が続きます。
様々な人種が行き交う雑踏の中を歩きながら、カサンドラは話し続けます。薬物の問題を抱えるカサンドラの長女が、刑務所から出所して間もなく妊娠したこと。その長女は、カサンドラが長年面倒をみている孫のバシディの母親にあたります。バシディは6歳になり、この9月から小学校にあがりますが、彼女は母親が刑務所に服役している頃からずっといつかは一緒に暮らせると思い込んでいて、妹が出来ることをとても楽しみにしていること。しかし、長女は自分の生活もままならず、出産自体も危ぶまれていること。薬物や悪い仲間とも断てずにいること。いずれもFacebookには登場しない、非常に個人的で深刻な内容です。
メキシコ料理屋に入ると、プーンと鼻につくスパイスや柑橘系の臭い。ふと、1990年代前半にテレビ番組のために、ニューヨークでHIV/AIDS陽性者家族を取材していたことを思い出しました。
レイラという女性をHIV/AIDS陽性者の支援団体から紹介され、彼女が暮らすクィーンズ地区にある小さなピザ屋で初めて会ったこと。彼女やまだ幼い二人の息子たちと一緒にテーブルを囲み、ピザをほうばりながら、陽性者の家族の日常について話を聞いたこと。それから一年に渡って彼女たちの日常を映像で記録していったこと。そこで学んだことは、私自身の人生にとっても多いに参考になったこと。HIV/AIDSは、実は私にとって映像の原点だったこと。今回の映画はある種、その原点に立ち戻ることでもあったのだということ。
店を後にすると、空が真っ赤に焼けていました。とても懐かしい気がしました。と同時に、映画が完成間近で、こうしてHIV陽性者である取材対象者と肩を並べて談笑しながらサンフランシスコの町を歩いているなんて、不思議な気がします。
目の前には赤く広がる空、手にはホカホカのタコス、隣にはカサンドラ。これらは全て今私の周りにある現実ではあるけれど、8年前にメデアに関わり始めた頃や、5年前に撮影を開始した時点では、そのいずれも想像することすらできませんでした。映画の完成後はどんな現実が待っているのでしょう。どんな出会いが、どんな発見があるのでしょう。カサンドラに会う前の緊張はすっかりほぐれて、なんだかワクワクしてきたのでした。
(続く)
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お礼とお知らせ
Motion Gallery(ネットによる寄付)は7月に目標金額に達し、無事終了しましたが、映画完成後のPR活動費がまだ不足しています。
お気持ちのあるかたは、引き続き下記のサイトを通してご協力お願いします。
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写真のキャプション:
取材対象者向けのワーク・イン・プログレス試写。左からマルレネ、カサンドラ、シェイ。
カテゴリー:新作映画評・エッセイ / 坂上香監督の“トークバック”製作ノート
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