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4.7 <オンナのカラダ>を語る言葉 堀あきこ
2012.05.11 Fri
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やうちさんのエッセイを読んでいると、3.11以後、棘のように引っかかっていることに繋がっていった。それは<オンナのカラダ>についての言葉だ。
これまでの反原発運動では、伊田さんや古久保さんが書かれているように、母の立場からの言葉とそれを批判する女性の言葉があった。女性がケアする役目を引き受けている現実と、性別役割分業の型への押し込めが複雑に絡みあう位置に「母」が存在するからだ。
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3.11以降あふれ出た被爆と出産をめぐる言葉のあれこれは、あまりにストレートで、まるで、子どもを産むことに向かってオンナは生きている、と言われているみたいだった。
いつの間に優生思想が大手をふるうようになったのだろう。私のカラダが、それらの言葉がどす黒く渦を巻く流れに飲み込まれていくようで、とても怖かった。
その恐怖は、オンナのカラダが、存在が、「母」としてのみ語られることへの違和感という棘となって、抜けないままになっている(「母」の使われ方の違和感は、大橋さんも書かれている)。
やうちさんが触れられた田中美津(ぐるーぷ・闘う女)は、「母」と「娼婦」の分断を「便所からの解放」という言葉で示した。リブは、オンナに押しつけられた規範に反旗を翻し、優生保護法改悪阻止運動をおこした(脳性マヒ者の会「青い芝の会」による「内なる優生思想」という批判と、リブとの共闘がなされたことも忘れてはならない)。[clearboth]
もちろん、それ以前からも、たくさんの女性が<オンナのカラダ>について考え語り、怒ってきた。その長い時間と蓄積が、3.11と出産をめぐる言葉にどれだけ反映していたかと考えると、異なる怒りがこみあげてくる。
ここでは、これまで女たちが紡いできたカラダをめぐる言葉が、今の女たちによって語られていると感じる最近のマンガを紹介したい。
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『情熱のアレ』の主人公は、同棲相手とのセックスレスに悩む女性。性に対して保守的な彼の言葉や態度、彼女自身にもある「性は恥ずかしいもの」という意識が、彼女の欲望と対立。二人の関係はギクシャクしたままだ。
母の仕事であるセックストイの販売を手伝うことになった彼女は、様々な人と出会い、自分への問いかけを繰り返す中で、性に対する思いを変化させていく。
ゴミのようだと感じていた自分のカラダを、彼女は徐々に取り戻していくのだけれど、自分のカラダに関わることが自分を傷つける、その姿は本当にやるせなく、辛い。[clearboth]
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『僕の姉ちゃん』は、姉弟が暮らす日常を描いたもの。姉ちゃんは弟の女性に対する幻想を、的確に、鋭い言葉で打ちのめしていく。
ネイルサロン帰りの爪をずっと見ている姉に、弟は「男って、さほど女の爪なんて見てないよ」という。姉は「ネイルサロンは、ずっと同じ姿勢で座っているから、肩もこるし腰も痛くなる」「こんな疲れること、自分のため以外にできるわけないじゃない」と言う。
そして、「女って、かわいいが正解みたいな中で大きくなっていくでしょ」「けど、正解なんて誰もが出せるわけじゃない」「だから、せめて持ってたいんじゃない? 簡単に手に入る かわいいを」と続けるのだ。
そう、私は私のために好きな服を着たいし、かわいいを身に纏いたい。私のカラダは誰かのためにあるのではなく、私のモノなのだ。[clearboth]
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『ビューティフルピープル・パーフェクトワールド』は、美容整形が当たり前になった近未来の世界が舞台。
数少ない「いじってない」女子中学生・山本は、家が貧乏なため「ブス専」の店で年齢を偽って働いている。そこでは、普通のお店でお客のつかなかった人が、マニアのために、ブスになる“逆整形”をしている。“リアルブス”な山本は人気があり、良い収入を得られるという。
実は、山本は顔以外をいじっている。背中につけた大きな翼に、巨額のローンを組んでいるのだ。お金持ちでない彼女は、顔を少し整形したところで、自分が人生の勝者になれないことを知っている(美の追究にはお金がかかる)。山本が選んだのは、何の役にも立たない翼。それが彼女の選んだカラダだ。[clearboth]
田中美津は<毅然と生きたい私>と<1歳でも若く見られたい私>が同居するのが、「ここにいる女」の私だと言っている*。欲望に悩むことも、「かわいい」が男のためだと見られてしまうことも、そうしたモロモロを含めて語られる<オンナのカラダ>は私と繋がっていると感じるが、3.11と被爆の問題の中で出てきた「母」は、「ここにはいない女」のように感じられたのだ。オンナのカラダは、「子どもを産む機械」じゃありません。
*2011.3.2 朝日新聞夕刊 「女」でありすぎた永田洋子
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