横浜市にある高次脳機能障害者の支援施設「クラブハウスすてっぷなな」統括所長・野々垣睦美さん。彼女が会長をする28の事業所が加盟する都筑区障害者事業所ネットワーク「てつなぎつづき」と、JA横浜青壮年部都田支部の農家がチームを組み、障害のある方々を畑に迎えて農業の現場の仕事だけでなく、福祉事務所では袋詰めや出荷作業、野菜の販売。またイベントやマルシェでの販売事業などの取り組みを実現。この農福連携事業は、都市農業・農福連携の取り組みとしてだけでなく、地域と持続社会に繋ぐ新たな活動として注目となっている。

障害のある人たちの次のステップに踏み出す場所を作りたい

 神奈川県横浜駅から市営地下鉄・仲町台駅までは15分。そこから徒歩5分のところ横浜市都筑区仲町台に「クラブハウスすてっぷなな」がある。
「すぐ目の前が中原街道の大通り。横断歩道を渡ると港北ニュータウン。マンションが建っている。その裏は全部畑。ちょっと行ったら田園で、見渡すたびに、あ、ここ横浜市なのっていう感じの景色なんです」と野々垣さん。

横浜市都筑区の畑での野々垣睦美さん

 農村地帯の若手農家のグループと連携して農作業に参加しているのが障害のある人たち。都市の身近なところに農業があり、これまで連携がなかった障害者の人たちとのつながりが生まれた。
「『クラブハウスすてっぷなな』は、地域活動支援センター事業と障害者自立生活アシスタント事業を実施しています。高次脳機能障害の方が自分らしい生活を送れるように、様々な機会・支援を提供します。高次脳機能障害とは、交通事故や脳血管障害など、脳に何らかの損傷を受けることで注意力や記憶力、感情のコントロールなどが難しくなってしまう障害です。外見からは障害が分かりにくく『見えない障害』『谷間の障害』という言葉で表現されることもあります」と野々垣さん。

 野々垣睦美さんは神奈川県藤沢市の生まれ。1996年、国立療養所箱根病院附属リハビリテーション学院に入学。卒業後は神奈川県総合リハビリテーションセンターに8年間勤めた。やりがいを持って勤務する中、「退院後、勤め先がなく路頭に迷う患者さんが多かった」ことから、退院後の支援をすることができないかとの思いから2004年に高次脳機能障害のある人の自立支援や、理解者を増やすための啓発活動を行う「クラブハウスすてっぷなな」を創設した。名前には「次のステップに踏み出す場所」の願いが込められている。野々垣さんは作業療法士の国家資格をもっている。

横浜市では初めての高次脳機能障害のある人の支援施設

 2004年3月に国から高次脳機能障害の診断基準が出された。それまで国の施設と地方自治体で高次脳機能障害の研究が行われて、国で正式に診断基準が出たことから、支援施設を設置しやすくなった。国と自治体の助成金も受けることができる。横浜市では初めての施設だ。

「作業療法士国家試験の免許を持っている人は11万人ぐらいいて、大部分は病院に勤めています。精神科や子供向けの病院も含まれます。一方、11万人の中で地域の障害福祉の領域で働いているのは1760人しかいません。助成金が出るから、施設開設の目途は当然ありました。ただ開設には内装や設備などお金がかかる。どうしたかと言うと、全国の高次脳機能障害者家族会の人からちょっとずつ寄付をもらったのです。それと私の前の職場を退職するときに、『私の夢を一緒に買ってください』と言ってお金を集めました。200万円ぐらい。それをこの施設の改造費に充てました。勤めていた病院では、交通事故にあった患者さんを診ていましたが、退院後の進路も全然決まらない方がいるのです。支援する場所を作りたい。そういう場があった方がいいって思ってくれる人がいっぱいいた。その人たちが少しずつお金を出してくれたのです」
「『クラブハウスすてっぷなな』で働く人たちは、年齢的には基本的には18歳から40歳までです。利用定員は15名。みなさん自宅から通ってきています。生まれつき障害がある人たちではなく、普通に仕事されていたり、学生だったりっていう人たち。原因は交通事故が多い。その次に、脳の血管の障害、脳出血、脳腫瘍など。あとは脳炎。高熱が出る脳の炎症です。」
 物件を借りるときにも丁寧に下見をした。表はガラス張りで部屋は採光もよく明るい。

事業所はマンションの1階にある

「見た目におしゃれな感じにすること。それは気軽に来てもらえるようにするためです。通って来る方には、いかにも障害者の施設だと見えると嫌がる人もいるからです。出入り口は1箇所。でないとふらっと出て行っちゃう人とかがいるから目が届くようにということです。構造も複雑でないこと。例えば記憶障害の人が中で迷わないようにということです。注意力に問題があり、集中が全然できなくなるような人がいる。そういう時、裏側だと刺激が少ないので、壁の向こう方で作業をしてもらう。そこからだんだん落ち着いたとなれば表側に出てきて、周りの風景や車が施設に来て止まってもあんまり気にならないとかいうように段階を付けて作業ができるようもしている」

作業場の入口側

裏側にある作業場

「すてっぷなな」の入口に立つ野々垣さん

入口に咲く花

 野々垣さんの家は横浜で、医者の夫と猫と亀と暮らしている。横浜市で支援施設を開いたのは、横浜市の助成金単価が神奈川県内でも高かったこと。横浜市の場合、障害者手帳を持っていると特別乗車証があり年間1200円で地下鉄とバスが乗り放題になることからだった。
「送迎車を持つつもりがなかったから、地下鉄で無料で通える範囲の中で作りたくて。地下鉄から歩ける範囲を横浜駅から探していったら仲町台駅にたどりついた。この『すてっぷなな』と、あと神奈川県厚木市愛甲にもう一つ、高次脳機能障害ピアサポートセンター『スペースナナ』という事業所を別に持っている。その他に家族会と言われる、当事者のご家族が母体で行う活動がある。みんなで話し合いをしたり、どこかに出かけたり、研修会を行ったりしています」。
「すてっぷなな」は常勤が3名で国家資格を持つ作業療法士が2名と介護福祉士が1名。これに非常勤が3名から4名がいる。1つの事業所で2つの事業を手掛けている。一つは事業所に通ってもらい支援する活動、あとひとつは訪問型の支援だ。事業所では、さまざまな仕事を請け負っている。委託を受けたDM(ダイレクトメール)の封入。盲導犬の利用者が使う盲導犬用のグッズの梱包、袋詰め。ピンバッジを台紙に刺す作業。補聴器屋の部品を袋詰め。補聴器屋の仕事では会社に出向いての作業。展示会の時の準備。冊子や見本品の袋詰めなどだ。

入ったところのすぐにある作業のスペース

港北ニュータウンの横に広がる農地


「補聴器屋さんの仕事は、先方から持ち運ぶのも大変だし会社の中でやってくれないかとなった。会社も近い。会社の様子や仕事も利用者も見ることができ体験できる。いろんな作業を受けるのは、たくさんある作業の中で得意なこと苦手なことを探し、苦手なことが見つかったらどう補うかも学べる。就職を選ぶときに仕事を上手くマッチングをしたいのでいろんなものを持ってきている」。

若い農家の人たちから持ち掛けられた農業と障害のある人たちとの連携

 野々垣さんが会長を務める「てつなぎつづき」に農業体験の話があったのは2021年。横浜市都筑区にある「社会福祉法人同愛会 つづき地域活動ホームくさぶえ」の堀内哲也さんからだった。
 堀内さんが横浜市JA横浜青壮年部都田支部の農家27名のチームから、農福連携の活動の相談を受けたことがきっかけだ。横浜市には独自の「農業専用地区制度」がある。これは都市農業の確立と都市環境を守ること目的とした横浜市の農業施策だ。「港北ニュータウン建設事業」が勧めるなか、「計画的都市農業」が提言され、実現。市街化調整区域に位置するおおむね20ha以上のまとまりのある農地のある地域で農業振興地域に指定されている。現在は28地区1071haが指定されている。

 この農業専用地区では、地域の連携事業が、さまざまに実施されてきた。そのなかの一つがサツマイモボランティア。発起人はライオンズクラブ。芋ほり体験、外のグランドでの体験発表、バザーなども行われてきた。芋ほりのイベントは農家の青壮年部で請け負い福祉農園という形で今も続いている。
 参加者は250組。障害者のある方とご家族を招き参加費200円。2株を抜くというもの。福祉農園は、実行委員会を立ち上げ横浜市の福祉協議会とライオンズクラブも入っていて運営している。ただ時を経て青壮年部は100名いたのが27名となってしまった。家族が一人でも欠けると農業の維持ができない。青壮年部の活動までは手が回らないためだ。

農福連携の農家と関係者の人たち。手前左から田丸秀昭さん、角田隆一さん、角田泰信さん、社会福祉法人同愛会つづき地域活動ホームくさぶえ堀内哲也さん。後ろ、左からJA横浜・菅俊寿さん、農家の中山大介さん、長谷川裕章さん。

 そんななか、JAグループ農協観光が新規事業として農福連携を立ち上げたいと計画が持ち上がった。背景のひとつにコロナで厳しい状況もあった。こうして取り組みが開始された。JA横浜青壮年部都田支部で会議がもたれたが、最初は、「福祉事務所の利用者さんは体力的に農作業はできるの?」「多品目栽培の対応は難しくない?」「そもそも委託料はどれくらいかかる?」などの声があり賛同は得られなかった。
 農福連携という知識もないところからのスタートだったから無理もない。しかし、まずはやってみてはとの声から、農家の5人が相談にいったのが「社会福祉法人同愛会つづき地域活動ホームくさぶえ」の統括施設室長・管理者・堀内哲也さんだった。そこから野々垣さんに声がかかった。

「そもそも障害者の人ってどのぐらい作業できるかわかんないよねって言われた。逆にこっちもどのぐらいできるかわからない。それで『てつなぎつづき』に加盟している団体に玉ねぎの収穫体験をしませんかと声をかけた。5事業所ぐらいから30名が集まった。畑に行って玉ねぎを収穫。その時に、頭の葉を切って尻尾の根を切って、障害者でもハサミ使える人いるんだとか。重たい収穫した玉ねぎのコンテナを運んだりできるんだなとかに気づいた。農家さん側からは、こういう作業は苦手そうだけど職員がうまく割り振ってくれているなとかいうのを実際に見ることができた。私たちも、あ、これ無理そうだけど、ここいけそうとかいう手加減が分かった。それ、すごくきっかけとして大きかったんです」と野々垣さん。

 農福連携の取り組みを、まずは実際にやってみようと迎えたのは農家の田丸秀昭さん。この実践が成果を生み大きな広がりとなる。田丸さんは代々の農家。「江戸からで何代かわからない」とは本人の弁。農業は、基本一人。イチゴの繁忙期は奥さんとパート1名が入っている。1haあり、ハウス25aがある。20aでイチゴの観光農園を営む。イチゴ狩りと直売を行っている。残りの畑で幼稚園・保育園のサツマイモの収穫体験が40aある。現在、農福連携は2チーム。週2回きてもらっている。
「で、田丸さんが、今日のご褒美にと玉ねぎ持って帰っていいよって玉ねぎをいただいた。玉ねぎをもらって帰って利用者さんが言ったのがすごいなあと思った。『収穫ってこんなに大変なんだ。植えて育てるまでに時間がかかって大変なのにスーパーに行って玉ねぎ高いって言っちゃいけない』と。そういう意味では、生活の部分の膨らみとか想像力っていうのも繋がっていくし面白いなぁと思って、いい体験させてもらったというのがあった」

農作業の様子を写真に撮ってわかりやすい工夫がされた。撮影担当の農家の中山大介さん。農福連携から遊休地が農地に復活した事例も生まれた。

写真と映像を使いわかりやすい作業工程のトリセツが作られる

 玉ねぎ収穫イベントの後から堆肥散布も試みられた。2トンのトラックで運ばれてくる牛糞堆肥の山をスコップで入れてもらう作業だ。牛糞堆肥は横浜市戸塚区上倉田町にある㈱小野ファームからのものだ。逆に上手くいかなかった作業もある。玉ねぎの出荷調整だ。畑で収穫したものを福祉事務所に運んでもらい事業所で葉と根を切って箱に入れて戻してもらうというもの。ごみの量が多すぎ福祉事務所内での作業として向かないということも分かった。
 実際に行った作業内容を見て農福連携ができそうだとなり、次に試みられたのが枝豆の栽培。畑の作業一連をみてもらうことが実施される。福祉事務所から作業療法師と職員を含めて現場に来てもらった。実地体験から農家の手でトリセツが作成され都田支部メンバーの農家に周知される。農作業をみてもらい体験し、どこができるかできないか。事業所のスタッフも含めて参加。動画や写真を撮り事業所に持ち帰ったときにわかりやすい絵づくりが生まれる。全部の数値を出し作業委託料の工賃算定を形にした。こうして農福連携が始まる。

★作業工程のわかる映像が作成された

「そもそも私たちも農業の経験がない。農家さんもどうやったら仕事をしてもらえるかわからない。最初は道具の名前もわからない。普通の畑の作業がわからない。同じ深さに苗を植えないと日当たりが変わる。そうする生育にも収穫状況も変わってしまう。同じだけの深さの穴を開けるにはどうするか。棒に印をつけ、その分だけ穴を開けていこうかとか、種何粒という時にその場で数えるのは大変だからヤクルトの空容器に種を数だけ入れて蒔くとうまくできるんじゃないかとか。そういう作業を作っていった。試行錯誤。それで枝豆をプロの農家さんに植えてもらい、その横で映像を撮り、ここは作業の工夫ができそうとか、この道具を使ったらどうかとかいうのを一緒に現場で行った。そこから実際現場でやってみましょうと形にしたんです」(野々垣さん)

★補助金で福祉事務所にハサミや袋詰めなどの道具がそろった

 次に農家から市にも提案。市議会を通じ市や区の職員と検討会が行われ、農作業受注促進モデル事業として予算が付き、環境創造部(農政部門)、健康福祉局(保健福祉部門)が連携し支援することとなる。また地元都筑区は区政30周年特別予算で障害のある人たちの使う資材調達の補助金が付き、福祉事業所に、長靴、袋詰めの器具、幟、ハサミ、軍手、雨具などが備えられた。
「『てつなぎつづき』農福連携はすべての福祉事務所が農福に関わっているわけではありません。メインで畑に入っているのは『地域活動ホームくさぶえ』と「すてっぷなな」と数えるほど。というのは、障害者のある人のなかには歩行困難や、作業自体が無理という方もあるからです。農業の仕事してもらうのは難しいというところもあったんですが、事業所のなかにはお散歩に連れて行くついでにサツマイモを運搬してくれたりという関わり方の場合もあるし、袋詰めだったらできるとやってくれているところもあります。自分のところで畑を持っているNPOさんもある。畑を持つ事業所の人と話をしていた時に、農家さんのところに行って作業をした方が、技術の面や畑の管理もやりやすいので農家さんのところに人手を出す方が現実的だねというのは話として上がっています」

●収穫された野菜

障害のある方たちのトレーニングの一環として農業が力を発揮する

「てつなぎつづき」の野々垣さんの方で、どこの事業所が、どんな作業が得意かを把握。農家から作業依頼を調整し、伝えてマッチングが行われている。

「農家さんが写真を撮って送ってきてくれて『この作業いけそう?』と聞いてくれる。これならできそうとか話ができる。例えば『つづき地域活動ホームくさぶえ』さんは知的障害の人が多く、割と力仕事が得意。要は細かい作業よりも大きい作業がすごく得意なので堆肥まきとか上手。じゃあ均一に苗を植えてくださいとかいう、ちょっと細かな作業になると、うちの利用者さんの方が得意。そちらは芋を洗ってください、こっちは苗を植えますとかいうようなことを普段の中でもやり取りでさせてもらっています」

「農家さんが仕事を頼みたい時期と、自分たちでなんとかなる時期が当然ある。忙しいのは春先の草むしりの時期と、苗を植える時期と収穫の時期は人手が欲しい。けど、それ以外は自分たちの中でも賄えるという農家さんも多い。人が足りない時に労働力としてこちらが出せれば、お互いメリットがありますよね。農家さんが忙しいよって発信してきてくれた時に合わせて振り分けるみたいなことしています」。

 農副連携を引き受けた理由は、ほかにもあった。

「農家とJA、区の連携で農福連携の取り組みの動きがあったこと。これまでにも多くの市民の人たちとの連携があったので『農作業やれたらいいね』というのはあったんです。ここの事業所としては、家から通っている人は将来就職をしたい。再就職という人たちも多い。しかし障害の特性で、事務系の作業とかに必ずしも向いていない人たちもいる。体を動かしたりとかしている方がミスが起こりにくかったりとか、本人たちも仕事しやすかったりとかという人もいる。しかし、これまで依頼のあった清掃の仕事に疲れたりという人たちも結構いたんです」

「仕事というと事務で、会社の中の冷暖房の効いたお部屋で仕事をするイメージを持っている人たちもすごく多い。しかし実際に仕事はそれだけじゃない。暑い寒い雨が降るとかいうことも込みで経験してもらえたらいいなっていうところもあった。あと施設の中だけだと体力面を上げてあげられることって限界がある。建物の中で強度が強い作業と言ってもせいぜい立ち仕事をちょっとするとかという風になる。けれど農作業は、もっと強度の強い仕事になってきたりもする。自分の体力との向き合い方とかも含めて、トレーニングの一環として農業が使えるととてもいいんじゃないかっていうのがあった」

 農業に携わることは、障害のある人にとって、目にみえる作業工程が大きかったという。
「今、たまたま封入作業請負をしているんですけど、正直、今やっている作業が会社全体のどの部分をやっているのか分からない。例えば部品の組み立てとか依頼がきてもピンとこないですよね。ところが農家さんと一緒にやる作業は、すごく分かりやすい。種を植えたら水をまいたり、大きくなって収穫して袋詰めして売る。そして食べてみる。一連のところも分かりやすい。直接、農家さんとやり取りもできる。実際に、職場で働くとなった時に作業の指示をしてくれる人というのは障害に詳しい人とは限らない。農家さんは障害者に寄り添ってはくれているけれど別に障害のプロではない。農家の方が作業の指示を出した時に、彼らがどれだけ理解ができ動けるのか。もし指示が分からなかった時に、ちゃんと『これで合っていますか』と自分で聞けるんだろうかとかいう。会社勤めに行った時に困らないようにするための、そのアセスメント評価の部分っていうのも、うちとしてはできるかなと思って。それで農家さんとお付き合いをさせてもらっているというのもあります」

「てつなぎつづき」では農作業だけではなく、商店街のイベントや、市と連携したマルシェなどにも参加している。それは、将来、どの仕事がいいか選べるように、さまざまな体験と人とのコミュニケーションを深める狙いもある。農業を体験し、事務所での販売にまでつながることとなった。そこから多くの新たな展開が生まれた。

●竹の間引き作業

「私は苦手だけど、利用者さんが上手だったのが枝豆の選別。うちの利用者がうまくって、びっくりしました。要は、豆が鞘の中に3つ入っています。でも1個抜けていたら、これはA品でなくB品となる。それを引く。それがすごく上手。へーって驚いた。私なんか途中で飽きちゃって、もう嫌だなって思っていたんですけど(笑)。うちは車を持っていないので、歩いていける範囲の畑にしかお手伝いに行けませんっていう風にしているんです。角田泰信さんの畑では竹の伐採をしている。筍を生やすために、日が当たらなきゃいけないから、いらない竹を間引く。それで利用者さんが鋸を使って間引く。そんなこともできるんだと驚いた」

野菜販売の案内が掲示される

野菜販売の接客対応がスキルアップへと繋がる

角田泰信さんは、代々の農家。80aで葉物野菜を中心に栽培。夏野菜、イモ類、小松菜、ほうれん草などを手掛ける。奥さんと父親とで経営。農福連携では、忙しいときにスポット的に手伝ってもらう。出荷先はJAが主体。直接に飲食店への直販と福祉事業所での販売もある。「すてっぷなな」でも野菜の販売を週に1回することとなった。

「5、6か所の農家さんが販売の時には来てくれる。みんなとのやり取りの中で、この値段で買う・買わないが読めるようになってきた。売った売り上げの10%を販売手数料という形でいただいて、残りは全部農家さんに返すというやり方をしています。焼き芋機がある。農家さんの持ち物で貸してくれてる。農家さんが芋を持ってきてくれてるので焼き芋が販売できる。これも販売手数料は10%。電気代は別にもらっています。こちらは持ち出しゼロで販売をしている。10%は利用者に還元されます」
 この販売が思わぬ地域への広がりと、あらたな利用者のスキルアップにも繋がることとなった。

「野菜販売始めて一年くらい経ってですけど、近所の人が目ざとく購入しに来るようになった。うちの前に農家のトラックが朝止まってると今日は野菜の販売だと思っている。地域でも認識されるようになった。ここで22年目も福祉事務所をやっているんですけど『いつ、このお店開けたんですか?』と聞かれる。福祉施設として認識されていなかったというのがわかった。知ってもらえただけでもすごく良かった。野菜も今採れるものしか売ってない。普通のスーパーとは品揃えが全然違うし、肉や卵があるわけでもない。『何屋さん?』と問われて『障害者施設です』という話をしたりで知ってもらえるようになった。農福連携が地域に開かれたという意味ではすごく大きかった」

障害者施設だと知らなくて入ってくるお客さんが多い。そこから接客対応と販売を通して、新たなスキルアップの動きが生まれる。

「障害者施設では、作ったお菓子を駅や区役所で販売したりもする。そういうところで買い物する人って最初から障害者の人たちが作ってるお菓子だと思って来てくれるので、対応がゆっくりなんです。優しい人しか来ない。お金の計算も待ってくれる。『すてっぷなな』で販売を始めたとき、計算もできるし在庫管理もできると思い込んでいた。ところが一般のお店だと思って来るので急かされる。お向かいにクリニックがある。クリニックの送迎バスを待っている間に買い物に来る。『早くしてくれないと困る』って、おばちゃんにわあって言われる。で、利用者はパニックちゃって、全然計算もできないし、数を間違えたりとかもする。要は相手が障害者だと思ってなくて普通の対応をお客さんがしてくれるから問題点が見えた。だからこの子はこの間のバイト1ヶ月の試用期間で終わっちゃったんだと、普段では分からなかったことがわかった。職員が後ろについているから一緒に計算し直して、やり方をレクチャーする。そして慣れていってもらい、作業も工夫する。怪我や病気で苦手になったことが何かというのを自分で把握し、それを相手に伝えられること。メモしないと忘れるので、『メモ取る時間だけもらっていいですか』って自分で言えれば相手が嫌だとは言わない。その一言が言えるようになってる人が仕事が続いている。そこを徹底的にここではやってもらっています」

料理を作る人やメニュー提案までする人も生まれた

 農福連携から野菜販売をすることで、さまざまな気づきや、社会活動復帰へのスキルが生まれ始めた。
「一般社会に戻すために必要な要素がどんどん入ってきた。面白かったです。病気や怪我をして病院を退院してすぐにここに通ってくるも人も多い。生きるか死ぬかみたいな状況からやっと命だけでも助かってよかったと家族が思って、もうすごい過保護だし、一人で体を動かしたりとか、どっか出歩いたりとかする状況じゃない利用者さんっていうのがいる。そんな方が、病院退院して初めて野菜の販売もして買い物もしたっていう利用者さんがいた。野菜を自分で選んで、しかも家でお母さんと一緒に料理をした。で、次の週の販売に当たったときに家の冷蔵庫の野菜室をチェックしてから今度はどの野菜を買うかを考えて出かけてきたらしく、もうお母さんが感激していました。『うちの子が自分で買い物をしたのも初めてだけど、次に何を買おうか、何を作ろうかって言って、次のことに進んでいけたから、もう本当に感謝してます』とご家族から感謝されました」

野菜の販売を手掛けたことから、自分でも購入し、それを調理して家族に振る舞う人たちも出てきた。

「たまに知らない野菜が入ってくるんです。みんなでクックパッドとか見ながら、どうやって食べるのか調べたりもする。よく来るお客さんに、それはどうやって食べますかって聞いて、そのレクチャーを次のお客さんとかに伝えたりとかしている。今度は利用者がお家でお母さんとこんな料理で食べましたよってまた教えてくれる。そのレシピ集をまた次に来るお客さんに伝える。情報収集もできるようになった。お客さんが来ると、会話が広がりすごい面白いです。それを農家さんに伝えると、そんな食べ方はしたことなかったって言って、農家さんがまたいろいろ考えてくれたりしてくれるようになった」

野菜販売は、商店街にまで繋がった。
「今農家さんと商店街を繋げるといいなと思っている。たまたまここで野菜販売をしている時に、お弁当の配達をしてくれている近くの居酒屋さんが『野菜売ってるの。いいね』と言って、冬場は居酒屋さんに都筑の農家さんのネギを出してもらうことになった。ネギはB品でも料理で使うから問題ない。うちを介しての販売。ネギが欲しい居酒屋さん、B品の売り場に困っている農家さんが繋がった。うちは間で中間マージンが10%入る。三方よしですよね。うちは農家も商店街もどっちも関係しているので、これから間を繋ぐことができたらいいなっていうのが次の私の野望です」

農家連携から商品の開発までが生まれるようにもなった。
「農福連携には直接関わっていないけどお菓子作りをしているとかいう事業者さんが結構ある。農家さんのサツマイモを使ってオリジナルのお菓子を作ってもらって、12月の1週目に障害者週間があり、そのイベントに合わせて農福連携の商品を出したりしました。それも区役所でやりました」

「すてっぷなな」が手がけた商品開発では、犬用のクッキーがある。
「犬用のクッキーをさつまいもで作ってます。B品のサツマイモ。焼き芋にしてペーストにしてクッキーに入れたりとか、人参をすりおろして犬用クッキーにして『地元産です』と売るやり方をとっている。うちで唯一作ってるもの。賞味期限のからみもあるし、あまり在庫を持ちたくないので動物病院でおろすだけにしている。この同じマンションに動物病院ができた。そこに置かせてもらっている。焼き芋を焼くとき換気のためにドアを開けているといい匂いが流れ、焼き芋の匂いに誘われて犬がどんどん入ってくるんですよ。飼い主さんは仕方がないと焼き芋買って帰ってくれる(笑)。  焼き芋は利用者さんに焼いてもらう。焼き上がったのを袋に入れてグラム測っていくらとかの値付けをするのを利用者さんにやってもらう。芋を洗ってもらったりもします。焼き芋器があることで犬の散歩経路になり、いろんな人が来てくれるようになった。芋は農家さんが保管庫を持っているので少しずつもってきてもらい通年で出せる」

★野菜販売のイベントの食と農のマルシェ。前列の左から2人目が野々垣さん

農福連携で人とのつながりが広がった

 農福連携からいろんな副産物がついてきた。最初は畑に行く、袋詰めをするくらいしかイメージしかなかった。ところが、それに付随していろんなことができるとだんだん見えてきた。人のつながりも広がった。
「障害者施設で関われるところいっぱい出てくるので、それをやりたいなと思っているんです。みんなが楽しくなる仕組みづくりができたらいいのかなって。農家さんが人手が足りないときに労働力を出せる。うまくつながればみんな楽しくまちづくりができるのかなっていうふうに思っていて都筑にいってよかったとなればいいなというのが目標というか憧れです」

 では、「すてっぷなな」でのサポートから、社会復帰は、どれくらいの人へ繋がったのだろう。
「概ね40歳までの人を受け入れしている。3分の一ぐらいの人は、障害者雇用枠を含めて一般会社に勤めています。ただやはり3分の一の人は会社で働くのは難しい方もいる。障害者施設の別のところに移ってもらったりしている。残り3分の1は結婚したりというハッピーな場合もあるし、病気が再発することもある。あと、ここは横浜市のお金で運営しているので横浜市外に転居すると使えない。だいたいそんな感じの割合です」と野々垣さん。

 実は、野々垣さんの父親は、宮城県の農家の出身。そんな経緯から野々垣さんに農業を継がないかという話もあったのだという。
「私、田舎の農家の嫁に来いって言われた時があった。けど農家は無理ですと、で行かなかった。ばあちゃん家が宮城県古川市の米どころなんです。跡取り問題があり、米の減反の絡みもあって、大豆を作る人に貸しちゃった。でも本当は誰かに継がせたかった。父が宮城出身。仕事で都市に出てきていた。金の卵と言われて、みんなが上京した頃ですね。父は次男坊だったので会社勤めをした。で、長男が農業を継ぐ予定だった。長男のところは女の子2人。それもあって早々に田舎を出て行った。次男の家は私しかいない。跡取り孫として農家の話が持ち上がった。農家をしたくないから手に職をつけて専門職として働くと言って作業療法士の資格を取った。それが、まさかの横浜の畑で農業連携をすることになるとは思いもしませんでした(笑)」

 野々垣さんは、国家資格をもっていて、かつ、実践の場で福祉事業の活動をしている実績があることから、各地に講師としても呼ばれている。
「平成8年(1996年)に国家資格を取って、そこからずっと働いています。昭和49年(1974年)生まれです。講演もしています。年間10から20ぐらい大学や全国の市町村,損害保険協会の講演会などに呼んでもらうというのもあります。学生向けの授業は昭和大学、九州栄養福祉大など。リモートができるようになったので遠隔の授業ができるようにもなったので利用者が自分の体験談を話すこともあります」
 今後の広がりが大きく注目される野々垣さんたちの活動だ。

都筑地区の畑の前に立つ野々垣睦美さん

「クラブハウスすてっぷなな」 https://stepnana.org/#about
注)★の写真はJA横浜青壮年部都田支部提供●の写真は「すてっぷなな」提供

発表で上映されたパワーポイントの1枚。農家の角田泰信さんが手掛けた。

追記:
都田支部メンバーの代表として農家の長谷川裕章さんが、全国農協青年組織協議会(JA全青協)主催「JA青年組織活動実績発表全国大会」(2025年2月27、28日 埼玉県さいたま市・大宮ソニックホール)に出場し活動を発表。タイトルは「農福のトリセツ~新たな挑戦『横浜モデル』~」。最優秀賞を受賞しています。
JA横浜青壮年部都田支部「JA青年組織活動実績発表全国大会」で最優秀賞!農福連携の「横浜モデル」確立へ | お知らせ | ノウフクWEB
都筑区障害者事業所ネットワーク「てつなぎつづき」やJA横浜、市などと連携した取組が評価されたものです。発表内容はユーチューブで配信されています。

●お知らせ。この連載から本が生まれました。
『ニッポンはおいしい! 食と農から未来は変わる。地域に豊かさをもたらす女性たちの活躍』
金丸弘美著 理工図書出版(2024年9月13日発売)
上野千鶴子さん推薦(社会学者・東大名誉教授)「女性がつくる日本農業の未来!」

書籍紹介記事
WANマーケット https://wan.or.jp/article/show/11483
WAN女の本屋 https://wan.or.jp/article/show/11480