昨年10月21日の高石早苗首相の誕生は多くの議論を呼んだ。世界の中でもジェンダー平等度が低い国である日本において、政治史上初めて女性首相が誕生したことは、画期的な歴史的出来事であり、これから人生の道を歩み始める日本の若い女性たちにとって大きな励みになるはずだと期待する声も多く上がった。しかし、選択的夫婦別姓制の導入反対や同性婚反対等の高市氏の超保守的な政治姿勢は、「高市首相誕生」によってそれらの制度の実現がさらに遠のくことも予想させ、女性首相誕生のニュースを喜ぶ気にはなれないという声もまた多く聞かれた。特に、ジェンダー平等実現を主張する論者(以下フェミニストと略記)から「喜べない」という意見が多く上がったことに対しては、多くの批判が寄せられた。「ジェンダー平等実現を主張しているのであれば、日本で初めての女性首相の誕生は当然歓迎するべきことなのに、それにケチをつけるのは何事か」等の意見である。以下では、このような意見を一つの緒として、日本におけるジェンダー平等実現の現在地を考えたい。
*「高市首相誕生」と「ジェンダー平等」
「ジェンダー平等推進」との関連で「高市首相誕生」を評価することが難しいのは、その評価がそもそも「矛盾」してしまうからである。高市早苗という政治家の政治信条が、「ジェンダー平等推進」に対して後ろ向きであることは、彼女のこれまでの政治的活動から明らかであるから、その観点で否定的な評価を行うのは、ごく当然のことである。にもかかわらず、「ジェンダー平等推進を主張しているのに、高市首相誕生を歓迎しないのは矛盾している」等の意見が強く主張されるのは、高市首相が女性だからである。ジェンダー平等推進を進めるべき分野の一つが政治分野であり、特に政治的意思決定の中枢への女性参画の促進であった。その意味で女性首相の誕生は当然にも「ジェンダー平等」を進める上で非常に大きな目標の一つであり、その観点からは肯定的な評価を行うべきことであるのもまた、明らかなことなのである。
たとえば、日本のジェンダー平等実現の国際的順位が低いことを指摘する上で、近年最も多く用いられているのは、世界経済フォーラムが毎年発表しているグローバル・ジェンダー・ギャップ指数(GGGI)であるが、実際その指数においても、「女性首相誕生」は大きな意味を持つ。2025年6月発表の最新の指数によれば、日本は世界148か国中118位と非常に低く、G7の中で最低である。GGGIは、経済・教育・健康・政治の4分野の順位から構成されるが、それぞれの分野の日本の順位は、経済112位、教育66位、健康50位、政治125位であり、政治参画におけるジェンダー平等度が特に低い。政治参画の順位は、国会議員の男女比、閣僚の男女比、最近50年における「行政府の長」の在任年数の男女比という3つの数値から、導かれている。この「行政府の長」に当たるのが、日本の場合は総理大臣=首相であり、つまり女性首相が誕生すれば日本のGGGI指数も上がることになる。このように「高市首相誕生」は、国際的に立ち遅れていた日本のジェンダー平等度において、GGGIの具体的な指数の改善にも貢献することになるのだ。
*フェミニストは「高市首相誕生」に冷たい?
しかしそれにもかかわらず先述したように多くのフェミニストが「高市首相誕生」に「うれしくない」等と反応したことから、「なぜフェミニストは高市内閣に批判的なのか」という批判が起きた。こうした批判はさらに批判に対する批判をも呼び起こし「紛糾」することにもなった。あくまで推測であるが、かなり多くの人の心にはなんとも割り切れない後味の悪い感じが残ったのではあるまいか。
この「紛糾」にはかなり多くの要因が絡んでおり、その分析にはかなりの手間を要するように思う。とりあえずここでは、紛糾の基礎に「指数」と「実態」の区別、「政策」に対する評価と「性別」に関する評価、性別を利用した「言動や態度」に対する評価の区別などに関し、混同と誤解があることを、指摘するにとどめたい。
「高市首相誕生」が、日本で初めての女性首相誕生であり、そのことは「ジェンダー平等推進」の観点から一定の価値があることは確かである。GGGIが本当にジェンダー平等の実現度を測定しているかに関してはこれまで批判もあったが、多くのフェミニストがそれを根拠に「日本のジェンダー平等実現度は低い」と主張してきた。しかし「高市首相誕生」による日本の指数の改善の見込みに関しても、一部のフェミニストの論者が「うれしくない」と反応したと伝えられている。おそらく、指数が改善するからと言って実態が改善するわけではないという理由からだと思うが、仮にその人がこれまでGGGIを根拠として「日本のジェンダー平等度は低い」と主張していたとするならば、こうした反応は正しくない。もし指数が実態を示さないと考えるのなら、まずその批判は指数の妥当性自体に向けられるべきであり、それは同時に自分自身がこれまでGGGIを根拠にして行ってきた主張自体に対する自己批判をも伴って行われるべきことであるからだ。いずれにせよ、指数は実態ではないが、指数にはそれなりの意味がある。「高市首相誕生」によって日本のGGGI指数が上がるとすれば、それはそれとして評価するべきことである。
問題は「高石首相誕生」に対する反応を高市氏の「性別」のみに着眼して行うべきことなのかということにある。確かにその出来事は、「女性首相誕生」としては評価できるとしても、高市氏のジェンダー平等推進に関するこれまでの政治姿勢から見れば、フェミニストがその政治姿勢を否定的に評価するのは、当然のことであろう。おそらくかなりのフェミニストの「うれしくない」「喜べない」という反応は、高市氏の政治姿勢に対する反応なのではないか。しかし、高市早苗という一政治家にとっても、「性別」のみに着眼して評価されるのと政治姿勢に着眼して評価されるのでは、どちらが政治家としてより「尊重」されることかと言えば、当然政治姿勢に着眼して評価されるほうであるはずである。確かにそうした評価は、「女性首相誕生」への肯定的評価とは対立する。しかしその対立は、先述したように、「高市首相誕生」という出来事が「ジェンダー平等推進」という視点から見て、本来的に持っている「矛盾」だと思う。実際、「高市首相誕生」に対する西欧のメディアの報道は、ほとんどこの二面性を指摘している。
一部のフェミニストの批判には、その他に、高市氏のこれまでの政治家としての経歴や外交における態度等に対して、高市氏が女性であるということに絡んだ(媚びている等の)否定的評価が含まれているという指摘もある。このことはまた別に考察するべきことだと思う。いずれにせよ、これらの出来事は、日本におけるジェンダー平等実現の現在地を示しているのであり、それは、これからのジェンダー平等実現に対する厳しい予想を示しているようにも、思われるのである。
出典『川崎市職労』、自治労川崎市職員労働組合発行、第2141号(2025年1月5日)
WAN編集局付記: WANでは特集企画「<高市的なるもの>と私たち」として、高市首相の誕生を多角的に論じる論考を集めることにした。関連エッセイを適宜掲載していきたい。
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