エッセイ

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女だって出世したい(ドラマの中の働く女たち・1) 中谷文美

2013.09.25 Wed

『悪女(わる)』
 放映:1992年4月~6月、日本テレビ系列
 原作:深見じゅん(講談社『BE LOVE』に連載)
 脚本:神山由美子、主演:石田ひかり

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働く女たちがドラマの中でどう描かれているか、ということに私が興味を持つきっかけになった作品がこれ。1988年から1997年まで連載された、同タイトルの漫画が原作である。基本的な設定や、キーとなる台詞のいくつかは原作を踏襲しているが、まだ連載中のドラマ化でもあり、原作よりも登場人物が整理されて、まとまりがいい。全体を通して、「出世」が重要なキーワードとなっている。

 主人公の田中麻里鈴(石田ひかり)は、親戚のコネで大手総合商社に入社したが、あまりにも弱いコネだったため、入社時から窓際部署に回される。そこで出会った先輩社員、峰岸(倍賞美津子)から「出世したくない?」ともちかけられ、一目ぼれした社内の男性に認められたい一心で出世をめざすことに。

 各フロアの清掃を担当する女性たちの名前や社史を暗記するなど、峰岸の裏ワザ的指南を受けつつ、社を挙げての新規プロジェクトのメンバーに抜擢される。プロジェクト・リーダーの小野忠(布施博)は、田中とともにメンバーとなったもう1人の新入社員、木村美佐子(渡辺満理奈)を高く買う一方で、破天荒な言動を繰り返す田中の起用には懐疑的である。だが、田中は持ち前の明るさとバイタリティーで、次々に変わる配属先の上司や同僚に影響を与えていく。

 一方、社内で一番出世した女性と言われる峰岸は、結婚退職した女性の再就職を応援する人材派遣会社「レディース・シンクタンク」を立ち上げ、田中を再び部下にする。上昇志向が強く、峰岸のもとで働けば出世につながると考えた木村も、自ら志願して新会社に加わる。派遣社員の研修プログラム用スタッフとして集められた専門職の人たちは、チーフに任命された田中に冷たい。木村も峰岸が田中をひいきしていると非難したため、峰岸は2人に低予算でレディース・シンクタンクのCM制作を命じ、より優れたCMを作ったほうを改めてチーフにすると告げた。

 CMの審判を任されたのは、女性差別発言を連発する広報部長、三島(岸辺一徳)だった。田中は自分の制作したCMに三島の妻を無断で登場させたことで逆鱗に触れ、辞表を書かされる。その後しばらく行方不明になっていたが、応募者が集まらず、成績不振だったレディース・シンクタンクの立て直しに木村が奔走し、二次募集にこぎつけたとき、応募者の中に田中の名前もあった…。

waru 漫画が原作だけあって、このドラマは全体にコミカルなタッチとなっているほか、新人女性が社の命運をかけたビッグプロジェクトに抜擢されるなど、「ありえない」設定も随所に出てくるが、同時に、奇抜でありながら妙にリアルに響くセリフも満載されている。

 たとえば秘書課に配属された主人公の田中は、先輩秘書たちが、会長が目を通す新聞には、インクが手につかないように、毎朝アイロンをかけるのが日課だと誇らしげに説明するのを聞いて、「まるで主婦ですね」と感想を述べる。実際にそんなことを職場で言う新人OLはいないかもしれないが(むろん、周囲から浮きまくっている田中は、執拗ないじめに遭うことになる)、男性中心の職場で、男性社員の補助業務を任されてきた女性たちは、まさに女房役を務めてきたのである。

 このように、ドラマの中で描かれる職場内の性別分業は、きわめて明快である。男性社員の海外出張や海外勤務の話題が飛び交う中、「女の子にはそもそも転勤がない」。会議資料のコピーを命じられた木村が、勉強のために資料に目を通したいと言うと、男性上司は、「会議にも出られないのに、資料を読んでどうするんだ。お願いだからよけいなことはしないでくれ」と切り捨てる。つまり、職場全体の了解としては、「出世」は基幹業務に従事する男性のものであり、お茶くみや資料作り、コピー取りで彼らを支えるOLは、少しでも条件のいい相手を社内で見つけて、寿退社をめざすものとされている。

 そのOLのこなす仕事の中で、ドラマの重要なモチーフのひとつとなっているのがお茶くみである。田中は入社早々、当然のようにお茶くみを命じられるし、どの部署でも、お茶くみ当番が問題となる。ドラマ後半になって登場する三島課長は、田中をわざわざ呼びつけ、何度もお茶くみをやり直させた挙句、「お茶くみくらい満足にできなくてどうする、他に女のする仕事があるか」と怒鳴りつける。「いっぱいありますよ」と口答えする田中に、「大事な仕事は男のものだ!」とさらに一喝。

 ほかに、総務部の女性チーフが、残業している田中に自らお茶を淹れてやるシーンがある。一口すすった田中に「お茶葉、変わりました?」と言わせるほどおいしいお茶、という設定なのだが、「お茶くみ、お好きだったんですか」と田中が問うと、チーフは「嫌いだからこそ、上手においしいお茶淹れてやろう、って思ったの。だって、いい加減にしてたら、ちっとも楽しくない仕事だもの」と答える。

 このドラマが放映された1992年は、男女雇用機会均等法の施行後すでに7年が経過している。そのことを思えば、一般職と総合職の区分がまったく言及されないのは不思議だが、舞台が商社だからなのだろうか?田中麻理鈴の同期で、初めから玉の輿狙いの佐々木チエ(鶴田真由)も、昇進への野心を隠さない木村美佐子も、同じOLとして扱われている。

 一方、女性としては異例の出世を遂げたことになっている峰岸が、新事業として立ち上げるのが人材派遣会社であることは、興味深い。労働者派遣法が施行されたのは、男女雇用機会均等法と同じ1986年である。ただし、1999年の数度目の法改正で、対象業務が原則自由化されるまでは、人材派遣が行なえる業務は特定のものに限られていた。

 ここで描かれている職場は、まだ多様な雇用形態の労働者が混在している状態にはなっていない。業務や職階の分離は、どこまでも性別を軸に展開している。つまり、男であること、女であることが、単純に、与えられる仕事の内容や働き方を決める要因とされている。

 その中で、男性はおろか、女性の同僚たちを凌ぐ能力を持ち合わせているわけでもない主人公が、「出世したい」と公言し、不器用ながら、がむしゃらに仕事に打ち込む姿が次第に周囲の共感を呼び込むという構図が、このドラマの魅力である。

 中でも私の印象に残っているのは、人材派遣会社で田中の部下となった元大学教授、山藤(犬塚弘)が、「出世できる研修プログラム」にこだわる田中に愛想をつかして去ろうとしたときに、引き留める田中と言葉を交わすシーンである。

 「山藤さんは出世したかったですか」と問われ、「私は男だから、したくないと言えばうそになる」と答える山藤に、田中は言う。「男がしたいことは、女もたいてい、したいんです。」そんな女性は一握りに過ぎないだろうと反論する山藤に、田中はなおも食い下がる。「あきらめている人がいっぱいいるんだと思います。女が出世するのは、ほんとに大変ですから。」

 田中の場合、恋の成就への執念がその出世欲の支えとなっているという想定自体がいささか突飛に思えるのだが、ごく普通の女性がごく普通に出世(つまりはキャリア展開と昇給)を望んで何が悪い、というのが、このドラマの最大のメッセージかもしれない。

 最後近く、田中のかつての上司だった宇田山チーフと峰岸が語り合う場面がある。仕事と家庭を中途半端に両立してきたからチーフ止まりだと言う宇田山に向かって、峰岸がこうつぶやく。「両方バランスよくできる時代って来るのかな…。」「結婚してもしなくてもいい、子どもを産んでも生まなくてもいい、かろやかに生きられる時代。」それは宇田山の言葉でいえば、「女が女のまま、仕事ができる世の中。」

 今から20年前のドラマの中のセリフだが……そんな時代は来たのか?

     ******

 このエッセイでは、過去に放映されたテレビドラマのストーリーを追いながら、日本の働く女性たちを取り巻く制度や職場環境、あるいは女性たち自身の意識をめぐって、何が変わり、何が変わってこなかったのかを考えます。

 言うまでもなく、ドラマが描く世界は、現実そのものを切り取ったわけではありません。でも、人物像がきちんと組み立てられ、セリフがよく練られているドラマからは、その時代特有のリアルな社会背景が浮かび上がるはず。

 刑事、弁護士、医師、教員など特定の職業を題材にしたドラマは昔からたくさんありますが、ここでは「職場がどう描かれているか」を一つの切り口にします。テレビドラマ以外にも、コミック、小説、映画に時々脱線しつつ、たいへん恣意的なセレクションのもとに、お勧め作品をご紹介します。








カテゴリー:ドラマの中の働く女たち

タグ:ドラマ / 働く女性 / 中谷文美