2015.05.25 Mon
『ランチのアッコちゃん』
原作:柚木麻子(双葉社、2013年)
ドラマ放映:2015年5月~7月、NHK-BSプレミアム
脚本:泉澤陽子
主演:蓮佛美沙子・戸田菜穂
公式サイト:http://www.nhk.or.jp/pyd/akkochan/
連載のこのあたりで紹介しようと何となく思っていたところで、タイミングよくドラマ化された柚木麻子の『ランチのアッコちゃん』。が、ドラマはまだ始まったばかりなのと、「お料理ドラマ」とカテゴライズされていて、この連載の趣旨からいささか外れるため、ここでは原作のほうを紹介する。
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この本は短編集であるが、表題作には、小さな教材専門出版社の営業部で派遣社員として働く澤田三智子と、唯一の女子正社員にして営業部長の黒川敦子が登場する。45歳、独身でやり手の敦子は、部下たちからひそかにアッコ女史と呼ばれている。自分に自信がなく、人の頼みを断れない性格の三智子は、これまで恋人の我儘にもさんざんつきあってきたが、「お前ってNOが言えないって言うより、YESしか言えないんじゃねえの?」などという言葉とともに別れを告げられたばかり。食欲もなくした三智子が、自分の手作り弁当を外回りから帰ってきた敦子に提供したことがきっかけで、敦子から思いもよらない提案、というより命令を出されることになる。それは、次の1週間、三智子が作る弁当を敦子に渡す代わり、敦子のいつものランチコースを三智子が体験するというものだった。
こうして三智子のささやかな冒険が始まる。毎朝、上司に食べさせる弁当作りに頭を悩ませ、同時に敦子が渡すミステリアスなメモの指示にしたがって、デザイン会社の社長が趣味で開いているというカレー屋に足を運んだり、ジョギングさせられた末にワゴン車の屋台でスムージーを飲んだり、ビルの屋上で自分の会社の社長と寿司の出前を囲んだり、とスリリングなランチタイムを過ごすことになった。たった1週間の冒険だが、三智子は苦手に思っていた敦子の意外な側面や交友関係に触れることで、充実した時間を手に入れる。
第2話「夜食のアッコちゃん」では、二人の勤め先だった出版社は倒産しており、三智子は高潮物産という大手商社に派遣されている。営業部の女子正社員と派遣社員がことあるごとに対立する職場で、両者の板挟みになって悩む三智子の前に現われたのは、失職した後、ポトフの移動販売を手がけるようになった敦子だった。彼女と一緒に働きたいと望む三智子に与えられた次の試練は、会社勤めのかたわら、期間限定で敦子の移動販売につきあうこと。再び1週間、明け方や深夜に呼び出され、都内をワゴン車で走り回る日々を通じて、三智子は職場での不毛な摩擦を解消する策を思いつく。結局、商社に残る決意をした三智子は、続編『3時のアッコちゃん』では派遣から契約社員に、そしてさらには正社員に登用されることになる。
アッコこと黒川敦子という、人並み外れたバイタリティとネットワークを持つ女性の先輩に背中を押されることで、三智子の地味で単調な日々に転機が訪れ、仕事の上でも新しい展開が開けるというストーリーなわけだが、「ランチタイムのとりかえっこ」という行為で自分の硬直した世界が無理やりこじ開けられ、急に風通しがよくなるような感覚が面白い。仕事ができて厳格な上司というイメージを抱かれているアッコが、実はカレー店で毎週決まった曜日に店長代理をしていたり…。人にはいろんな顔や働き方があるのだ。
第4話「ゆとりのビアガーデン」に出てくる佐々木玲美は、アッコとちがって「使えない」社員の典型という設定である。だが、息苦しい労働の日常に介入するトリックスターのような存在というところがアッコと似ている。大手総合商社の社内ベンチャー「センターヴィレッジ」に何とか就職したものの、失敗続きでまったく役に立たないまま、入社後3ヶ月で辞めてしまった玲美は、1年後に再び顔を見せた。元の職場がある雑居ビルの屋上にビアガーデンを開くというのである。
社長の雅之をはじめ、社員が寝食も惜しんで働いているわりに「センターヴィレッジ」の業績は上がっていない。「それってぇ、残業しすぎだからだと思うんです!」と言う玲美は、会社の上にビアガーデンを作れば、仕事を早く切り上げたくなるはずだと考えた。慢性の睡眠不足で「家に帰るべきタイミングがもはやよくわからない」という自覚のある雅之は、痛いところを突かれた格好だが、どうせ「ゆとり世代」のままごとに過ぎないと切って捨てようとする。だが意外にも玲美のビアガーデンは人気を博し、社員たちも眺めのいい屋上で飲むビールにつられて仕事の能率がアップし、ビアガーデンでの異業種間交流で商談もまとまり始めるというお話。ま、これもファンタジーと言ってしまえばそれまでだが、なるほどと思うのは、一歩離れたところから自分の働き方を見直す、という視点の大切さである。
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『3時のアッコちゃん』には、「本当に真剣に働いていたら、寝ることも、食べることも、しゃべることも、忘れてしまうはずです。会社のために命をかける勇気をもちましょう」という社訓のもとに働かされる女性も出てくる。しかし寝食を忘れて、人とまともに向き合う時間も持てずに仕事に邁進する働き方は、本当にいい仕事につながるんだろうか。「食べることは生きること」という、ある意味あたりまえすぎるセリフが心に響くのは、そんな生きることの基本をないがしろにしながら、目の前の業務をひたすらこなすことに疑問すら持てなくなっているからではないだろうか。
子どもも大人も幸福感が高いと言われるオランダの人びとの働き方をテーマに調査していたとき、何度も聞いた言葉の一つが「人生は仕事だけじゃない」。そういう言葉をさらっと口にする女性は、別にバカンスだけを楽しみに、いい加減な働き方をしているわけではなかった。ただ、真剣に取り組む仕事があっても、そしてもちろん食べていくために働くことが必要でも、人生はそれだけじゃない。子育てや介護、家事、そして友人たちと過ごす時間や自分の趣味に打ち込む時間――日々の生活は仕事以外にも大事にすべき要素(パーツ)から成り立っていて、どうすれば、そういう複数のパーツを組み合わせ、自分がこうありたいと願うバランスが実現できるかを誰もが一生懸命考えている。そのために勤務時間の調整を職場にかけあい、場合によっては転職も辞さない。ただしそれも、働く側が自分の生活環境に応じて勤務時間の増減を申請することが法律で保障されていたり、パートタイム勤務であっても、フルタイムの人と同等の権利が与えられたりといった制度の後押しがあってのことである(中谷文美『オランダ流ワーク・ライフ・バランス――「人生のラッシュアワー」を生き抜く人々の技法』世界思想社、2015年)。
自分の働き方を自分で決める。これも一見、あたりまえのキャッチフレーズに見えなくもないが、今の日本では格段にむずかしい。だけど、なんで?そういう疑問を口にすることも思いつかないくらい、私たちは忙しい。「ランチのとりかえっこ」や「ビアガーデン」は、そういう思考停止状態の日常に風穴を開けてくれるしかけなのだと思う。
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