2015.04.29 Wed
■井上廣子展覧会
「What wilt thou - 時の足音を聴く -」
■2015年4月28日(火)~5月3日(日)
12:00~19:00 (最終日~17:00)
■5月2日(土)18:00~20:00
対談「井上廣子(現代美術作家)×小勝禮子(栃木県立美術館学芸課長)
参加費:1000円(学生500円)茶菓付
ギャラリー1F(定員40名、要申込)
■ギャラリーヒルゲート
京都市中京区寺町通三条上ル天性寺前町535
tel: 075-231-3702
http://www.hillgate.jp/
- 井上廣子≪人なつこい少女≫(h29.7×w21cm)
■■■ メッセージ from 井上廣子
1995年 阪神淡路大震災 勃発。文明社会の脆弱さを露呈しました。
2001年9月11日 ニューヨーク同時多発テロ事件以降、世界はただ漠然と漂っていた不安が明確な形となり混沌の様相を現したと思います。
闘争、民族、希望、平和、祈り。
この時期に表現者として何が出来るのだろうか――。
かつて、この様に書きました。
2011年3月11日東日本大震災が勃発。
日本全体の社会構造や問題を浮き彫りにし、世界は益々混迷の度合いを深めている。
近年、他国を歩き多くの子供達に出会った。
極北に住むイヌイットの子供、彼の眼には悲哀の色が滲んでいた。
素足で砂漠を歩くアラブの子供、バンコック近郊の働き者の女の子、日本やヨーロッパの個人の内部で生に付いての絶望や空虚感と闘っている子供。
老人や子供、他の社会的弱者に社会が抱える諸問題が集約されているように思えてならない。
この青色に輝く小さな惑星に犇めく様に住む人々の歓び、哀しみ、絶望や希望を。
今、人間は何を欲し、何に向かって歩み続けようとしているのだろうか。
そして貴方は何を――。
現在と過去が交差する空間を表出したいと思います。
井上 廣子
■■■ 潮江 宏三「目を閉じて―外から内へ」
正面を向いて立ち、目を閉じた三分の二身長・等寸大の人物の写真、それらが、時代を帯びた建物の中で、宙づりの巨大な短冊となって円形を形作る。目をつぶるという条件だけの中でも、個々の人々の表情には差異があるはずなのに、また各自が着用している衣服に関しても、これもまた個性的な選択があるはずなのに、それらの巨大な短冊は、インスタレーションとしては、むしろ同質的な画像の集合として見えてしまう。高校生という一定の世代を対象としたことで、見る側が共通性を読み取ることの方に傾き過ぎるのかもしれない。若い世代のファッション・センスの国境を越えた共通性が、彼らの間の差異を見落とさせているのかもしれない。たとえば、外国人にとっては異質なものに見えるであろう制服姿の高校生も、わたしたちの側から見れば日常光景の一コマであり、彼らは制服も着るし、ジーンズも履くから、ついつい共通性の指標の方を際立たせてしまうのだろう。そうした感覚が、インスタレーションの全体としてのすっきりした統一性を形成し、それが空間の切り取りの鮮やかさを際立たせることになっている。また、その空間性の認識ゆえに、個々の画像についても、写真という制約の中で平らでないはずの人間像の厚みと存在感が蘇る。そこには驚くほどの静寂があり、それでいて絶えずなにものかがこちら側に沁み込んでくる感覚がある。
これまで、このタイプの井上の作品を見ても、個別の画像に踏み込んで見るというよりは、それらをインスタレーションのエレメントとみなし、むしろ全体が醸し出す印象の方を重視していた。人種や個性の違いもあるはずなのに、同じように目を閉じて立つ、という身振りなき身振りによって、個別性よりは共通性の方に重きを置いて見ていた。そうした理解に何の不自然さも感じることはなかった。しかし、今回、井上の新たな取材で加えられたイエメンの人たちの写真を見た時、こうした見方は崩壊し、そこから井上の真意が垣間見えたよ
うに感じた。わたしたちは、いや少なくともわたしは、欧米由来のいわゆる「近代文明」の普遍性の罠に見事にはまっていたのだ。ソレが解釈の方向付けをしていたのだ。
目を閉じたイエメンの人たちの写真は、短期間の調査旅行に過ぎなかったが、自分のイスラム圏での体験をまざまざと呼び覚まさせた。まだ平和だったが、それでも荒くれだったアフガニスタン南部、カンダハルでの出来事である。わたしたち一行は、郊外のテペ(遺跡の丘)を訪れ、その近くで若者の集団に出会い、いつも通りの「サラマレ」の挨拶を交わした。そしてその先へ道を取ろうとした時、若者の間でざわめきがあった。血気盛んな一人が懐のナイフを手にやってわたしたちを威嚇しようとしたのだ。それを年長の者が、お互いに害を加えないという挨拶を交わしたのだから、それをしていけないと諭してくれて、事なきを得た。イスラム圏では、信義の契約がいかに重要かの話だが、今、中東世界では、これが成り立たず、ささくれだっている。そんな中で、目を閉じたイエメンの人たちは、静けさとの葛藤の中で、むしろ表情を押し出してさえいる。彼らは、目をつぶることに無邪気、無防備に身をゆだねさえしている。少年兵の肩にかかった自動小銃が玩具に感じられるほどだ。
障害を乗り越えてどのようにしてこのような写真を取ることができたのかはさておき、彼らの目を閉じた姿を「近代文明」に浴している高校生たちと重ね合わせて行くと、いかんともしがたいほど両者の定めの差は遠い。高校生とイエメンの人たちは、果たして巨大な短冊となって一緒に円卓を囲めるだろうか。見る限り、今のところは、否という答えしかない。
ただ、モデルに目を閉じさせて、井上は、外形の、あるいは装いの差異や共通性を強調したいのだろうか。それはそうではないだろう。行動を止めてじっと立ち、さらに目をつぶって内に心を向ける時、人は、実によるべない姿を呈している。その点では同じではないか。自分には見えない、このよるべなさこそ、生まれ来った人間の原点であり、そこから逆照射してその人を取り巻くさまざまなものが見えて来さえする。ここで、問題は、明らかに、未来の内包を周囲に発揚している高校生の瞑目の姿から、生まれ生きる条件へと移行した。充実しているけれど、難しい局面に入ったと思う。
すべての人々に、でき得れば、目を閉じたわが姿のよるべなさを想像してほしいと願いつつ、次の言葉で締めくくりたい。
般若の形相を捨てて、目を閉じよ。
潮江 宏三(京都市美術館館長)
■■■ 井上廣子 プロフィール
1974年 沖縄で2年間、染・織技法研究
1998年 大阪トリエンナーレ彫刻98特別賞
1999年 ドイツで制作
2003年 大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ
2004年 文化庁文化交流使に任命される
2005年 個展Inside-Out(オットー・ワグナー精神病院シアターウィーン・オーストラリア)
2007年 アメリカ、クレムソン大学より招聘・制作。日本、ドイツ、オーストラリア、等で制作、個展・グループ展多数。
2008年 Inside-Out(ヒルサイド・フォーラム、東京)
2009年 Inside-Out (FOILギャラリー、東京)
Paris Photo ](カルーセル・ド・ルーブル、パリ・フランス)
2010年 Inside-Out<むこう側の光>(ギャラリーヒルゲート、京都・2012)
イノセンスーいのちと向き合うアート(栃木県立美術館、宇都宮)
2011年 Mori(ドルトムンダークンストフェライン、ドルトムント・ドイツ)
Inside-out(アルトテック美術館MUSA ウィーン・オーストラリア)
Inside-out( { ギャラリープロジェクトルーム,フォトグラフィ }ドルトムント・ドイツ )
Film4arts(ドルトムントクンスラーハウス、ドルトムント・ドイツ)
2012年 アジアをつなぐ-境界を生きる女たち 1984-2012
(福岡アジア美術館、沖縄県立博物館・美術館、
栃木県立美術館、三重県立美術館)
2013年 デュッセルドルフ大芸術展(クンストパラスト美術館、デュッセルドルフ・ドイツ)
2014年 ルーア・アート・シーン(ボッホム市立美術館、ボッホム・ドイツ)
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