
WANの理事長上野千鶴子さんの社会学者としてフェミニストとしての大活躍に、いつも敬服しています。明快な論理展開とはぎれよい発言には、いつも「そう、そう」とうなずき、「さすがは、上野さん」と喝さいを送っています。でも、「処女作」ということばを使うのは困ります。これだけはやめてください。
昨年出た上野さんの『<おんな>の思想 私たちは、あなたを忘れない』(集英社文庫)を読んでいたら、この語に出くわしてしまったのです。田中美津さんの章で、彼女というのは田中美津さんです。
その彼女が書いた処女作にして、今日も新鮮さを失わない古典というべき名著が……『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』である。(p79)
上野さん、それはないでしょう。いくらなんでもウ―マン・リブ運動の代表者の田中美津さんが最初に書いた作品を「処女作」とは??目を疑いました。
そのあとのページで上野さんはこう書いてもいます。
今なら嗤えるだろうか?男はどんなに遊んでいても「結婚するなら処女」と考え、女のほうでも「結婚するまではバージンで」と思っていた時代のことだ。処女を失った女は「キズモノ」と呼ばれ、「処女を捧(ささ)げる」という言い方が通用していた頃のことである。(p82)
「処女」という存在が、いかに男のために都合のいいものであったか、そして、この語が、いかに特別の意義を与えられて使われてきたかを語っています。「処女」は、それを失えば「キズモノ」とされて全人生を否定され、無価値とされる女たちにとって最高に忌まわしいことばだったはずです。その上野さんが、「処女作」だなんて……。
ここで、差別的用語「処女~」についておさらいをしておきます。
「処女~」の表現は、「最初の~、初~」をいうときの比喩表現として使われてきました。「初航海」を「処女航海」といい、まだだれも登っていない山を「処女峰」というなどです。
いつも言っていますが、これには対になる男性側の表現がありません。「童貞航海」「童貞峰」という語はありません。このことが差別的と言える一つの理由です。
もうひとつは、性体験のない「処女」を、「初の」「最初の」の意味としての高く評価して使うことで、「処女」以外の女性の価値を傷つけているからです。性体験の有無で女性を区別することは、全く男の論理です。性を知らない女のほうが男にとって価値がある、知ってしまった女はもう「キズモノ」だから価値がないと、まさに女の性を商品扱いしています。当然、この語に対する女性側からの反発が出てきました。そうした女性からの物言いを受けて、世間もこの語に対する認識を改めるようになってきました。
新聞記者用のマニュアルを各新聞社は出しています。少し古いですが2005年に共同通信社が発行した『記者ハンドブック 新聞用字用語集』を見てみます。「書き方の基本」という大項目の中に「差別語、不快語」という小項目があります。その中の「性差別」の見出しの下に、次のような記述があります。(例の一部は省略しています。)
▽性差別
女性を特別視する表現や、男性側に対語のない女性表現は原則として使わない。
女史→○○○○さん、
婦女子→女性と子供・子ども、
内縁の妻、内妻→使用を避ける。
「注」 「女傑、女丈夫、男勝り、場の花」「処女航海、処女作品、処女小説、処女峰」「才媛、才女、才色兼備」など女性を殊更に強調したり、特別扱いする表現は使わない(p494)。
もう1冊、讀賣新聞社で出している『讀賣スタイルブック2005』を見ます。「差別表現・不快語」の項目中の「■性差」の見出しで、
正妻、内妻、人妻、女医、女学生、女書教師、女流…、処女峰など「処女…」、電話交換嬢
などの語群が示され、言い換えが望ましいと記されています。(p770)
新聞社が本当に「処女~」の語は使わなくなったかどうか検証の余地はありますが、記者たちがこういうマニュアルのもとに記事を書いているのは事実です。
ですから、上野さん、もうこのことばを使うのはやめてくださいね。
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