1926年、ニューヨーク。オランダからの移民ウィリー(後のアントニア・ブリコ。クリスタン・デ・ブラーン)は、指揮者になる夢をあたためていた。まだ、音楽の世界もきわめて男社会で、オーケストラの指揮者をつとめる女性は一人もいなかった時代のことだ。

コンサートホールでアルバイトをしていたある日、彼女は、あこがれの指揮者メンゲルベルクがタクトを振るところを見たいがために、折りたたみ椅子で客席の通路に座るという無謀な行動にでる。しかし、ホールの経営者で大富豪の息子フランク(ベンジャミン・ウェインライト)に追い出され、アルバイトまで首になってしまう。

家は貧しく、ウィリーの夢はとても叶えられそうになかったが、それを諦める選択肢は彼女にはなかった。あたらしく仕事を探す先で偶然出会ったロビン(スコット・ターナー・スコフィールド)にさそわれ、ウィリーは親に内緒で、ナイトクラブでピアニストとして働きながら音楽学校へ通うお金を貯めようとする。なんとか自力で学校の門をくぐったウィリーだったが、そこにもまた、新たな困難が待ちうけていた――。

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本作は、女性でオーケストラの指揮者となったパイオニアのひとり、アントニア・ブリコ(1902 – 1989)が、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者として1930年にデビューするまでの苦難の道のりと、フランクとの恋の顛末、そして1934年に、女性だけで構成されるオーケストラを創設するなどの活躍の軌跡を描いた、事実にもとづく物語である。

よくもこんなに次から次へと…とため息がでるほど、アントニアの行くさきにはことごとく困難がやってくる。それでも、当の彼女がその困難に食いさがり、指揮者になるためのチャレンジに「ダメ元」というより「ダメなはずがない」という姿勢で挑んでいくのは胸がすく。当時は常識とされた「女が指揮者なんてムリ」という考えのほうがナンセンスだということは、現代のクラシック音楽界において、女性指揮者の活躍が少しずつ広がっていることで既に証明されている。ただ、音楽に性別はないのなら、なぜそれ(あまり使いたくない言葉だけど「女性の活躍」)が一気に広がらないのか?――その理由が、本作をみるとよく分かる。

アントニアのチャレンジを困難にするのは、彼女の「才能のなさ」や「筋違いな高望み」などではない。彼女が「指揮者になりたい」と打ち明けるだけで、まるで変人のように扱ったり、指導者であるはずの男性教員自らが「女は底辺にいろ」と酷いセクシュアル・ハラスメントをしたりする、周囲のふるまいのほうだ。それらは、男社会にとって都合のよい「女(レディ)」からはみ出す彼女への、制裁のようにも映る。恋人のフランクでさえ、アントニアが自分に都合よくふるまうのを期待するだけで、彼女のキャリアに対する思いやりをことごとく欠いた言動にでる(わたしは、彼女がキャリアにつまづき、ひどく傷つくたびに、フランクがそんなことはどうでもいいとばかりに愛をちらつかせるのがほんとにムカついた。でも、彼もそのことを後悔したみたいだからいいけどね!)。

唐突なようだが、合衆国憲法においてアメリカの女性が参政権を手にしたのは、本作の舞台のほんの少し前、1920年のことだ(しかし、当時植民地の女性には当然のようにその権利はなく、州ごとの批准もすすまなかったし、アフリカ系アメリカ人の女性たちにもまだ、その権利は遠く及ばなかった)。女性たちが政治/世の中の仕組みをつくることに参加できないまま、自分のキャリアよりも母親や妻といった役割と「誰かの何か」を常に優先することを前提につくられた社会で、それこそが女の幸せだと「その枠」からはみ出さないよう教えこまれ、それをしなければアントニアのようなバッシングをうける。自らが「何者かになりたい」と願うことなど、夢のまた夢だった時代があったのだ。

そんな時代に、何者かになろうとする女性たちがあらゆる領域であらわれ、社会の壁や偏見と否応なく闘い、サポートする人たちとともにチャレンジすることで人々の意識や社会のしくみを変えてきてくれた。その女性たちは、むしろいま振り返ってみれば「女としての人生を諦めた人」などでは全くなく、「女たちの幸せと社会の可能性を広げた人」ではないのだろうか。

本作には、明るい気持ちをくれる、粋な展開もたくさん用意されている。アントニアを随所で助けるロビンの存在感も忘れがたい。彼/彼女を演じたスコット・ターナー・スコフィールドはトランスジェンダーを公言している俳優で、本作でも音楽の世界の不条理を映すマージナルな存在を演じている。幅広い活躍で「ファースト・レディの役割を大きく変えた」と言われる、当時の大統領の妻エレノア・ルーズヴェルトも登場するが、彼女の計らいとアントニアにかける一言にも心がおどる。監督は、「オランダで最も成功した脚本家および監督の一人」と言われる、マリア・ペーテルス。全編を、豊かなクラシックの楽曲が伴走する。もし、女性作曲家の楽曲が1曲でも入っていたらサイコーだったけど、そんな未来もきっとやってくるはず。道のりはまだ遠くても、いつか、それはあたりまえのシーンになる。そう思わせてくれる作品だ。公式ウエブサイトはこちら。(中村奈津子)

9月20日(金)~Bunkamuraル・シネマ、9月21日(土)~名演小劇場ほか全国公開!

監督・脚本:マリア・ペーテルス
出演:クリスタン・デ・ブラーン、ベンジャミン・ウェインライト、スコット・ターナー・スコフィールド
2018年/オランダ映画/英語・オランダ語/カラー/シネスコ/5.1ch/139分/DCP/G/英題:The Conductor/日本語字幕:古田由紀子
提供:ニューセレクト 配給:アルバトロス・フィルム
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