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高林実結樹の認知症予防活動

2013.08.28 Wed

第4話 ~「忘れても幸せ」と本人も家族もみんなが言えるように~

スリーA方式の要点を一言で言うと、認知症本人に不足しているものを、重点的に補うことと言えます。たとえて言うなら、ビタミン不足で病気になったら不足しているビタミンを補う…、それと似て認知症本人に不足している、楽しさ、笑い、温かな対人関係をどんどん注入したらよい、と言えます。

その具体的な方法を指導してくれるのが、増田末知子さんのスリーA方式でした。静岡のスリーA研修を受けて帰京したFさんが目を輝かして報告されて、10日後には受講報告会を地元の宇治市で開きました。当時はとても珍しい“痴呆予防”の話というわけで、介護問題に関心のある方、デイサービス事業関係者や、京都府南部の議会議員さんたちも詰めかけ、狭い部屋に超満員となりました。

Fさんの受講報告に使われたパワーポイントの映像で、私ははじめてスリーA方式の脳活性化ゲームを見たのです。研修会の受講生の皆さんは、若い方ばかりです。大勢の若い方が風船バレーなどで、夢中になって笑い興じておられます。私は宇治市内のデイサービスセンターに勤務していた経験があり、風船バレーはよく見慣れていましたが、研修会での様子が、あまりに楽しそうなのに驚きました。
楽しい思いに遠ざかっている高齢者に“楽しさ”を提供するには、提供する側も心底から楽しめるものでなくては、真に楽しめない…、という声が画面の受講生の笑顔から聞えてくるような気がしました。私がかつて職場で見ていた風船バレーは静かで、若い職員が声を張り上げて賑やかしているのでした。全く違う! なぜ、どこが違ってこんなに楽しそうなのか? 高齢者にもこんなにイキイキとなってもらえるのかと思いました。

風船バレーでの「楽しさ」が、有るのと無いのとの違いは簡単な理由で、風船を数多く投げ入れること、数の違いだったのです。簡単ではあっても気づきが有るのと無いのでは大違いです。そういう工夫が、スリーA方式にはたくさんありました。職員が声を励まして楽しさを演出しても、デイサービスの利用者さんは楽しくなれない。風船バレーは自分が風船を打つ主役だから楽しいのだ、そのためには人数に応じて風船の数を増やしたら良いのだ、それに気づかなかったのがそれまでのレクだった…。

笑い、喜び、楽しい思いなどが不足している人には、職員もろとも楽しさを共有しながらの笑い、喜び、楽しさを提供する…、なるほど、ハートの癒しにはこういう愛情処方が必要なのか…。と学んだのでした。

この日がスタートとなって、高齢者レクに、スリーA方式のゲームを導入したいと希望されるあちこちの介護保険事業所から、招かれるようになりました。
宇治市内のデイサービスセンターを筆頭に、城陽市、京都市(南北2ヶ所)、木津川市、八幡市、吹田市へと、約3ヶ月のあいだに近隣7地域からの講演依頼がありました。
静岡研修を受講した3人と私との4人で、どこへでも出かけました。講演の仕方など何も経験のない4人ですから、リレートークのように、15分程度ずつの持ち時間を担当して、「自分が見たスリーAとは」を、自分の視点で話します。4人とも話の切り口、観察の角度が違うので、聴衆にとっては却ってスリーAの全体像が掴めるようで、好評でした。後半部分は脳活性化リハビリゲームの体験をして頂きました。年齢や仕事や立場を超えて、皆さんが必ず大笑いをされるのでした。

この頃に、突然のようにFさんのお母さんに大きな変化が現れたのです。 いつもボンヤリして目はうつろ、ただテレビの前に座って心ここにあらず状態でおられたお母さんに、「昔の笑顔がもどった!」と、Fさんから弾んだ声で電話がかかってきたのでした。
3ケ月間、Fさんは、スリーA精神の“優しさのシャワ―”を毎日毎夜、それこそ絶え間なく続けておられたのです。その努力の甲斐あって、くすんでしまったお母さんの心が、生き返ったように「昔の笑顔」の輝きを取り戻されたのです。これはスゴイ、スバラシイと感動しました。私も母にこのようなことが出来ていたら、どんなに良かっただろうと思うと、母に申し訳ない気持がこみあげました。

在宅介護にも効果があがる。スゴイです。その自信がますますグループ活動の励みとなりました。
Fさんのお母さんは、その後ぐんぐんと回復されて、一人でお留守番が出来るようになり、近所の方の伝言はみずからメモ書きして報告される、一人でバス、電車と乗り換えてお医者さんに行ける、帰路には昔とおなじお団子のお土産を買って帰られる、キッチンに立って、高野豆腐を美味しく炊かれる。お孫さんのリクエストで、コロッケ作りの陣頭指揮をされ、適確に指示、家族皆が揃って舌鼓を打つ…。等々、信じがたいような話をお聞きしました。数年後には、次第に体力の衰えとともに、物忘れは少しずつ進んだそうです。

しかし物忘れが進んでも、家族関係が冷えたり、こわれるようなことはなく、おだやかな生活が保たれて、介護保険の申請を周囲から勧められても、その必要を全く感じなかったそうです。その後8年間も、介護保険の申請をされずにすんだそうです。スリーA方式を学ばなかったら、認定症は悪化し特養レベルに進んだのではないかと思います。

『忘れてもしあわせ』とは、静岡の合宿型スリーAの教室で、認知症からの引き戻しに成功された小菅家の介護者・もと子さんの公刊著書のタイトルです。認知症の介護疲れで、最悪の悲劇があとを絶たない現実社会の中で、このようなタイトルの本が出版されたことは、奇跡のように思います。しかし決して奇跡ではなくて、スリーAの学びをした多くの家族は、このような感慨を味わっておられるのです。
認知症になっても進行するばかりではないと、日本全国、津々浦々に拡げて、介護で苦しみ悩んでいる方たちに、「忘れても幸せ」と言ってほしい、という思いが湧いてきます。 認知症予防ネットの活動を全国に発信したい、動けるかぎり運動を続けたいと思い続けています。
(続く)

タグ:認知症 / 高齢者 / 高林実結樹