5月連休の一日、孫娘の十三参りに向かう。金閣寺横の写真館で撮影の後、車で嵯峨野の広沢池を迂回して嵐山まで。渡月橋の先の虚空蔵法輪寺へ参詣する。
古来より「嵯峨の虚空蔵さん」と親しまれ、数え年十三歳に成長した男女が知恵と福徳をおさめ、成人の儀礼として法輪寺に参拝するのが京都の古い習わしだとか。
法輪寺は和銅6年(713年)、行基菩薩により創建。弘法大師の高弟が虚空蔵菩薩を安置して本尊とする。その後、応仁の乱や幕末の禁門の変で本堂は灰燼に帰すが、明治、大正期に再建されたという。
お参りを終えて渡月橋を渡る時は決して後ろを振り返らず、黙って前を向いて歩く。いただいた知恵をなくさないように。連休のさなか、嵐山は大勢の人波でごった返していた。
七五三の三つ参りは、京都の着物職人の義父が娘のためにつくってくれた黄色地に手毬の裾模様の着物を孫も着て。七つ参りは、母の亡くなった姉(伯母)が熊本で百年前に着た紫の着物姿で写っている。十三参りは背丈も伸び、赤地に桜模様の着物に金地の袋帯を締めた姿が、新緑の山々に、よく映えていた。十三参りは大人への旅立ちの時。これからの長い人生、自分の道をしっかりと選び、自由に生きていってほしいと願う。
3月に、お雛さまを片づけていて骨折した96歳になる叔母が、5月10日、堀川病院から無事、退院。一人で何とかベッドから降りて身支度ができるようだ。退院前にケアマネさんと相談してデイサービスを週2日から3日に増やし、部屋の段差を考え、壁に手すりをつけて移動が楽になるように工夫した。退院の夜、お膳を運んだら「おいしいね」と、おかずを何品も、しっかりと食べてくれた。もう少ししたら私の部屋まで歩いて、またみんなでいっしょにご飯を食べようね。しばらくは無理をせず、目を離さず、ヘルパーさんの代わりを何とか務めたいと思う。
それにしても介護保険はありがたい。介護保険法が成立したのは2000年4月。自民・社会・さきがけ連立政権の時、厚生大臣は菅直人だった。法成立には、1983年発足の「高齢社会をよくする女性の会」の樋口恵子さん、沖藤典子さん、吉武輝子さんなど女たちの力も大きかった。その後、女性の会は全国に広がり、京都でも1989年、中西豊子さんを中心に「高齢社会をよくする女性の会・京都」が生まれた。あれからもう34年、当時、活動していた女たちも今や80代を迎える。
「措置」から「契約」へ/「恩恵」から「権利」の時代へ。それまで介護は「女の役割」と当然のようにされてきた。今は「嫁」という言葉も死語になったけれど。私が義母の看護に自ら望んで夫を説得し、千葉から京都に越してきたのが33歳の時。5年後に義母を看取り、その7年後、離婚を2人で選んだため、義父は、実に行き届いたプロの家政婦さんのお世話になり、私も時々、食事をつくりにいって、最期を病院で迎えた時も、たまたま私が、そばで見送ったことを思い出す。
当時はまだ介護保険もなかった時代。義母の看護に忙しく、娘にはちょっと寂しい思いをさせて申し訳なかったなと思うけど、その頃は「嫁」としてあたりまえに自ら進んで役割を引き受けていたように思う。今もヤングケアラーの人たちがいるだろうけど、樋口さんの言葉を借りれば、介護保険によって、やっと「家族の闇にサーチライトが入った」のだ。
そして90代の母と叔母を熊本から京都に呼び寄せたのが5年前、私が74歳の時。その時はほんとに介護保険のお世話になった。熊本から電話でやりとりをして京都に移動してきた翌日、ケアマネさんが来られてテキパキと手続きをされ、そのすぐ翌日から近くの地域包括支援センターへ週2日、2人揃ってデイサービスに通うことができた。心臓にペースメーカーを装着した母のために訪問介護サービスや介護ベッド、車椅子、手押し車のリースもアッという間に整えてくださった。
おかげで1年後には2人をつれて一度、熊本の実家に帰省もできた。それから母は、その3年後、骨折で3カ月ほど入院ののち、母らしい最期で旅立っていった。この6月、三回忌を迎える。
先頃、WANで紹介された上野千鶴子・小島美里著『おひとりさまの逆襲 「物わかりのよい老人」になんかならない』(ビジネス社、2023年5月)は、上野さんと小島さんの対談集。そして本書のきっかけとなった小島美里著『あなたはどこで死にたいですか? 認知症でも自分らしく生きられる社会へ』(岩波書店、2022年7月)の2冊を一気に読む。まさに介護保険の意義と、そのゆくえを解き明かす、実に理論的で実践的な書物だ。さすがは「おひとりさま」の逆襲を生きる上野千鶴子さんと、「暮らしネット・えん」で、一人ひとり異なる高齢者の介護を事業として実践している小島美里さんだ。
上野さんは「まえがき」で「介護保険23年の歴史は確実に日本の介護現場の人材とサービスを進化させた。だからこそ、かつては不可能だった「在宅ひとり死」が可能となる選択肢が登場した」と言う。しかし数年ごとに改定される介護保険は、「このままでは制度があっても使えない「改悪」の結果は、施設にも入れず、「在宅」という名の「放置」になることは目に見えている」とも言う。団塊の世代が後期高齢者を迎える今、その危うさは目の前に迫っている。
2022年秋、2024年度に開始する介護保険第9期の改正に向けて史上最悪の改定が目論まれようとしていた。上野さんや小島さんたち、「高齢社会をよくする女性の会」やウィメンズアクションネットワーク(WAN)も参加して、「史上最悪の介護保険制度改定を許さない連続アクション」のオンライン集会を立て続けに4回開催した。
1、自己負担2割を標準にするな。
2、要介護1・2の訪問介護、通所介護を地域支援・総合事業に移すな。
3、ケアプランを有料にするな。
4、福祉用具の一部をレンタルから買い取りにするな。
5、施設にロボットを導入して職員配置を減らすな。
「怒れる猫」のポスターを掲げて院内集会や記者会見を行った。
その結果、「要介護1・2の訪問介護、通所介護の総合事業への移行」と「ケアプランの有料化」は今期、見送りとなった。運動の成果で改定の一部は先送りとなったが、油断は禁物。政府のシナリオは介護保険を「再家族化」と「市場化」へ向かわせようとすることだ。「制度はあるが、使えない「在宅」という名の「放置」にするというのか。それは保険者と保険加入者との間の契約違反だ」と上野さんは断言する。
幸せな「在宅ひとり死」は実現できるか。小島さんによれば「85歳を過ぎると4割、90歳を超えると6割、95歳を迎えると8割の人が認知症になる。それを前提に最期をどこで迎えるかを考えないといけない」と。そのためにも在宅での生活支援を支える小規模多機能型居宅介護が生まれたのだが、この制度もだんだん使いにくくなっている。
では打開策は何か。一つは施設に入る前にグループリビングで「個々に自立した生活を営みながら、支えあって生きることを目指す共同居住」の形態を選ぶ試みもある。
さらに小島さんは介護制度そのものを見直す時が来たと言い、1、個人加入の制度であることを明確に。2、利用料に所得階層を持ち込まない。3、認知症仕様にする。4、独居仕様にする。5、医療系サービスを医療保険に戻す。6、利用料の減額、無料化を進める、等々を挙げている。
その方策の一つとして小島さんは、慶應義塾大学教授の井手英策さんが唱える北欧型の「ベーシックサービス」の試みを紹介する。「医療・介護・障害者福祉、これらの誰もが必要とする/しうるサービスをベーシックサービスと定義し、所得制限をつけず、すべての人にサービスを給付する。幼稚園、大学、医療、介護、障害者福祉、すべてを無償化する」という提案だ。それには財源が必要だ。「ベーシックインカムのように一律7万円の現金給付ほど膨大な予算はかからず、目的税として限定する消費税を6%引上げる程度で賄える」と井手さんは主張する。「Universal Basic Services」という用語が世界でも広がりつつあるという。消費税16%はキツイけど、これもまた「誰もが必要なサービスを無償で受けられる」社会の一つの選択肢かもしれない。
はてさて私もまた、いつかはゆく道。後期高齢者としてこの先をどう生きるか。認知症に抗いつつも自律心を失わず、現実を受け入れ、介護保険利用者になったらヘルパーさんや事業所と、よき関係を築きながら、周りの人々とのつながりを大切にしていきたいと思う。
それは自ら選べない道かもしれない。その先にどんな旅立ちが待っているか、そんなイメージを思い描くこともまた、今は、ちょっと楽しみでもある。