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無音化された声を聴く 竹原明理
2011.12.23 Fri
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 2011年一年間を振り返る時期が来ているようだ。けれども、振り返ることで、現在進行形のさまざまなことは過去のものとされ、忘れられていくような不安にも駆られる。そもそもどう振り返ったらいいのか、よくわからない。「振り返る」には、過去を認知する、拒否する、修正する、忘却するなど、さまざまな方法があるだろう。そして、それぞれの方法によって、さまざまな未来が語られる。振り返り方によって、過去も未来も姿かたちを変える。だからこそ、少なくとも慎重でなければならないことはわかっているのだが、多角的に見たいと思うほど、言葉は出なくなる。正直、何も出来ていない。前回の日合さんのエッセイを受けて、稚拙ながらもそんなことを考え、繰り返す年末になっている。
これからも、20110311以後の世界に生きていく。あの日、大阪でも揺れた。調査先の人たちとラジオの報道を聞いて驚き、急いでテレビをつけた。当時まだアナログ放送があってよかったと思う。わけがわからなかった。押し寄せる津波から逃げる車、飲み込まれる車。その中継を見ながら、「きっと車には人は乗っていない」と思う自分がいた。中継を見ながら、その現実から逃避しようとしていたのだと思う。いや、事態を理解していなかったかもしれない。そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故。ここでも、当時、「大丈夫」と「危険」のどちらを信じようとしていたかは、言うまでもない。この数日後、猛烈に自分が恥ずかしくなった。それは今でも尾を引いている。
それから9カ月が過ぎようとしている。3・11ショックは、当初ほど社会全体を占める雰囲気が薄くなった気がする。前置きが長くなったが、この9カ月の間に初めて触れたり、思い出した作品を、いくつか挙げてみたいと思う。
吉村昭『三陸海岸大津波』(文藝春秋、2004年)は、明治29年、昭和8年、昭和35年の三度にわたり、青森・岩手・宮城の三県を襲った大津波の記録である。悲しく、すさまじい。そして、そのすさまじさはきっと20110311と重なる。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 昭和8年の津波被害をつづった子どもの作文に、友達の遺体を見つけ、手をかけ名前を呼ぶと、口から泡が出てきたというものがある(122-123頁)。この出来事は、親しい者が声をかけたからだと説明されたという。迷信であるはずのこの説明は、死者をして生存者の心を救った。同書には、いたるところで、こうした迷信がいのちを奪ったり、救ったりしたさまが記録されている。そして、死者たちと生存者たちのグロテスクなまでの向き合い方も記録されている。20110311以後において、その光景は、石井光太『遺体―震災、津波の果てに』(新潮社、2011年)に記録されている。これらの記録は、自分を含めた「部外者」が唱える「ガンバロウ」「キズナ」などの言葉を、あまりにも陳腐にする。これらの言葉がからめとっていく、無音化された声が数多ある。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. それは、原発事故にしても同じである。開沼博『「フクシマ」論―原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社、2011年)は、「3・11間際のフクシマを記録した唯一、最後の研究である」(17頁)とされる。原発事故は、20110311まで、「他人事」「無関心」の象徴だったと思う。私もそこに加担していた一人だ。私と同年生まれ(!)の筆者が明らかにした、原発事故への伏線とそれ以後の現状は、脱・反原発派⇔原発推進派の二項対立によって美しく切断されるものではない。「外から見ている限り決してつかみきれない原発を半世紀近くにわたって抱擁し続けてきた「幸福感」」(10頁)を知らされた衝撃は、20110311以後、恥じながら、メディアにかじりつき、書籍を貪り読んで、「知り始めた気になっていた」私をどこかに蹴落とし、粉々にした。
私自身、原発事故から数日後、それまで「東電関係の会社」としか知らなかった人が長年第一原発で仕事をし、今も収束作業にあたっていることを初めて知った。数ヵ月後には、海外に住む妊娠中の姉の来日をめぐって、重苦しい家族会議があった。11月には、原発から60キロの町で開催されたイベントを訪れた。この街には、避難区域に指定された町役場が移転している。会場は、多くの観客で賑わっていた。ここ数年観客数が落ち込んでいたこのイベントは、今年、無料入場と「頑張ろうニッポン/フクシマ」に後押しされてか、入場者数が増加した。試食場があり、小さな子供を連れた多くの家族連れで溢れていたのが印象的だった。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 2011年は、原発を「身近なもの」として、また事故を「危機」として、初めて自分で認識した年であった。そして、事故後の社会でどのように振る舞えばいいのかわからない。わからないけども、最後に、二つの作品を紹介して終わりたい。一つは、アーシュラ・K・ル・グィンの短編集『風の十二方位』(早川書房、1980)に収録された「オメラスから歩み去る人々」(浅倉久志訳)という短編。その一節。
その子がそこにいることは、みんなが知っている――オメラスの人々全部が。(414頁)
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. もう一つは、藤子・F・不二雄の『異色短編集2 気楽に殺ろうよ』(小学館、1995年)に収録されている、「大予言」という短編。「未来の恐るべきなにか」を「予知」しノイローゼになった田呂都先生の一言。
有効な対策もないくせにさわごうともわめこうともしない世界人類がこわい!!(35頁)
20110311以後の日本。衝撃を振り返るチャンスは幾度もあれど、おそらくこれからも数々の声が無音化されていく。しかし、それを聴く方法はきっとある。
次回「リレーエッセイでふりかえる2011年」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから
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