
WANフェミニズム入門塾の第9回目講座が10月16日(木)に開催されました。
今回のテーマは、「グローバリゼーション」でした。
「移民」「外国人労働者」「外国人排斥」・・・先の参院選で争点として浮上したこともあり、講座の議論もレポートもとても白熱したものとなりました。
5名の参加者が講義や議論を通じて考えたことや感じたことをレポートにまとめました。
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① 第9回目「グローバリゼーション」塾後レポート ◆ 今井恭子
自分の背景から書かせていただくと、時期はバラバラだけれども、年単位で滞在した国はアメリカとジンバブエ、あとデンマークに数ヶ月、旅行のような短い滞在も合わせると行ったことがある国は20カ国を越えます。女性問題は自分が気になることなので、どこに行っても、そういう視点で状況を見ることも多く、例えば子どもづれの人の様子を見るだけでも、子育てに関してのその国の女性の状況が垣間見えます。なので、今回、グローバリゼーションについて、そういった様々な経験を思い出しながらの参加になりました。
最終的に一番感じたのは、政治の力の大きさでした。欧米が移民労働者を利用したのに対して、日本では主に女性が補完的な労働力として利用されてきたことなども含め、男性がマジョリティである政治の世界で作られる政策によって女性の不利益が放置されていること、また、そのようなジェンダー不平等が途上国に対する開発協力の分野にも影響していること、韓国、フィリピン、タイ、インドネシア、台湾といった「東・東南アジアにおける1980年代の民主化運動は、国境を越えるフェミニズムが成立するための必須の条件だった」という言葉が文献にあったけれども、日本もまだまだその途上にあると思いました。
国境を越えて連携していけたら良いと思うけれども、そもそも政府機関の中に女性が少ないと、問題自体が表に出てきません。「政府間レポートが提出されるたびにカウンターレポートがNGOによって提出される」というようなことが起きているのは、その証拠ですね。それなら、個人ででも訴えられたらと思いますが、日本は個人通報制度が未批准のまま。それも自分たちの優位性を失いたくない人たちによる妨害ではないのかと勘繰ってしまいます。
ネパールの友人と話していたときに、ジェンダーギャップ指数の話になり、ネパールの方が日本より上位であることを私が言ったら、その友人は「そんなものは信用できない」と言いました。「例えば男性の政治家が妻を立候補させて裏から操るなんてことが起きてるから」とのことでした。なので、表に出てくる数字なんて信用できないと。そんなことも考えると、結局全ての人に平等に政治参加の機会、声を届ける機会が与えられないと、この不平等はなくなっていかないのだと痛感させられます。
移民問題についての問いかけがありましたが、この先、外国人を排除してやっていけるとは思いません。けれども、簡単ではないとも思います。私が留学したデンマークの学校は数十カ国の人が生活を共にしながら一緒に学ぶスタイルだったのですが、異文化による摩擦はたくさん起きていましたし(例えば当番制になっていた食器の片付けを「それは女の仕事だ」と断固拒否する人がいたり!)「あの国に対しては特に偏見も何もなかったけど、ここに来てからできたわ」などと話していた友人もいました。お互いを理解すること、折り合いをつけることなしにはやっていけません。そのためには相当な個人の努力もいるし、制度としても工夫が必要だと思います。その点、現在移民問題を抱える国を見て「ほらみろ、だからダメなんだ」ではなく学んでいく姿勢が必要だと思います。また、そういう異文化間の摩擦が起きたとき、文化とはなんなのか?差別も文化なのか?そういうことを考えると、その文化にどっぷり入っている人には、それが当たり前過ぎて見えなくなってしまったり、そもそも狭い地域社会の中では立ち向かえない現状もあると思うので(例えば女性器切除の問題など)国際的に支え合っていく仕組みも大切だと思います。
そんなことから、民間やNGOなどの団体から声を上げていくこともとても大切ですが、国を問わず政治の中にもっと女性が入っていくことが急務であると感じました。それも「父の娘」ではなく弱者の立場に立てる政治家を増やしていけるよう、もっと意識していきたいと思いました。
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② 第9回 グローバリゼーション ◆ 岡田梨花
新編を編むに当たって追加された章「グローバリゼーション」は、『日本のフェミニズム』の原則として定めた言語ナショナリズムを、唯一超えて立てられた章だそうだ。本書が認められてから10年以上の歳月が経過している現在も、グローバル化は加速し続け、誰にとってもより身近な問題になった。
例えば、コンビニエンスストア。介護施設。工場。特に、夜勤帯。大都市に住んでいなくとも、◯◯人街へ行かなくとも、日本国籍を持っていない2.96%の人々がそこら中で働いているのが見えてくるはずだ。移民として外国に飛び出した人々が就ける職業は、言語をあまり必要としない工場労働や清掃業、なり手が少なく賃金の安い介護や家事労働などのケアワークなどが多い。日本では、スキルを持つ機会に恵まれなかった女性や、マッチョな社会から周辺化させられた女性たちが同様の立場にある。階級が人種化・ジェンダー化し、ジェンダー及び人種が階級化する。塾中に指摘があったが、そこから子ども(だけでなく大人でも)が学ぶのは、差別のみだ。
事前学習動画では、経済成長をすればするほど、自由化や上昇思考などから格差が拡大する(塾中では「格差が作り出される」と指摘があった)ことが示唆されたが、グローバル化が進む時代の移住アスピレーションは、国内外双方の、特に女性を取り巻く環境を大きく変える。例えば、介護保険が身近なものとなり、もはや介護は嫁の仕事ではなくなった。しかし、低い賃金に買い叩かれた介護分野で働くのは70%以上が女性で、訪問系の事業所に至っては80%以上が女性、しかもその4分の1が60歳以上という、退職できる年齢の女性に依存している。(令和7年5月9日、厚生労働省 第1回社会保障審議会福祉部会福祉人材確保専門委員会 資料5より) また、同資料を見ると、30歳未満の就労割合は4.2%でしかなく、若者の担い手がなく高齢化していく日本人介護職員に変わって登用すると計画されているのが、外国人労働者だ。介護人材確保の要領には「外国人人材の受入れ環境整備」が明記されており、福祉フォーラムのチラシを見れば、馴染みのあるベトナム、フィリピンなどではなく、ミャンマー、ブータン、ウズベキスタンなど、まだまだ日本と賃金格差が存在する国々がPRされている。外国人人材と並んで「多様な人材の確保、受入れ」と称して、女性と高齢者の入職促進が謳われている点にも注目したい。良いと捉えるべきか悪いと捉えるべきなのかは何とも言い難いが、日本国内では女性と外国人が同じレベルに位置付けられていることが見てとれる。特に先進国では、移民などの経済的弱者に低い賃金で家事労働をさせることで、マッチョな社会と経済的強者の女性の自己実現が同時に成立している点も問題になっているが、より良い収入を得るために家庭の外で家事労働を行う女性の穴を埋めるために、より安い賃金でより貧困な女性が雇われるという入れ子状態を繰り返し、末端には誰からも顧みられない弱者が残ってしまう状況がグローバルケアチェーンであると聞き、考えてみれば当然のことなのだが、改めて作り出された格差の仕組みに衝撃を受けた。
これらの状況に対しても、各々が取れる対応は、塾中に別の話題で示唆のあった2つだろう。①不法な搾取はしない。②やむを得ないので保護するべき。問題との向き合い方を考える上では、塾中にこちらも問題点として上がった「やりたくてやっているのか、やるしかないのか」という視点も、大いに助けになるように思う。介護人材の話に戻れば、3K(キツイ、汚い、危険)のイメージが定着しているが、草創期に事業に参入してプライドを持って働く女性や、宗教上の理由などから老人をケアする仕事が尊敬され得るものとされているため誇りを感じているという(外国)人が居るのは、紛れもない事実だ。留学中に、「ベビーシッターは、生きた言語や本物の家庭環境の中で可愛い子どもと触れ合えて最高だ。」という女性にも出会ったことがある。やりたくてやっている人も居るのは事実だが、賃金や労働条件を鑑みるに、やるしかない状況の人の方が多いのではないか。そうであるなら、信条的には①の立場を取りたいが、現実的には②の立場を取って、できること1つからでも変えていくしかない。冒頭のアンソロジーの編み方と同様に、何かを保護することは同時に保護しない何かを作り出すことでもあるけれど、結果として何もできないよりはマシかもしれない。
最後に、グローバリゼーションが始まった社会で、人の動きを止める方法は無いと私は考えている。日本人が望む・望まない、日本が望まれる・望まれない、これらのことはほんの少しの間、人の流れを速めたり緩やかにしたりするだけで、早晩なし崩し的に人も文化も混ざり合って常識の方も変えられるに違いないし、混ざり合う過程でそれを前向きに捉えることができれば、人はより豊かにもなり得る。唐突だが、食文化を例に取ってみたい。ジャガイモの無いフレンチやトマトの無いイタリアン、唐辛子の無い韓国料理やタイ料理なんて想像したくないが、これらの食材は全て南米大陸が原産だから、大航海時代以前の各国文化には存在し得ない。食材として認識されたのはせいぜいここ200〜300年のことなのだが、各国での食生活におけるその存在感は圧倒的なものがある。グローバリゼーションはかくも人の生活を大きく変えてきた。情報、金、物、人がこれだけのスピードで絶え間なく動き続ける現代においては、人や国を作り上げる文化と常識が変わるのにきっと100年も必要無く、私たちは身体的にも精神的にもますますグローバル化せざるを得ない。そんな時代に生きていて、既に老いることがスティグマではないと言い切れない中で、自分だけは弱者にならないし弱者とは関わらないなどと明言できる人は存在するのだろうか。労働弱者の待遇改善は決して他人事ではない。今のところ、今年で四半世紀を迎えた介護保険法に基く介護分野では、移民としてやってきた外国人労働者が永住権を獲得できる方法が日本にはある。特定技能1号で期限付きの入国をしても、在留期間中に介護福祉士を取得すれば在留資格の切り替えが可能で、日本人と同等の条件で働き、家族帯同も許されるそうだ。周辺諸国と比較をすれば、使い捨てられがちな労働弱者の待遇としては、これでも整備されている方だと言えるのかもしれない。尤も、これは高度人材しか受入れないという外国人人材の受入れ(たくない)方針を取ったことの反作用だそうなのだが。どのような形であれ、社会の中で弱者になりやすい人々の生活を少しでも整えることは、女性を含むマイノリティな集団だけではなく、誰にとっても有益で、より豊かな選択肢を持ち得る社会に近付くことだと私は思う。その選択を意識的にし続けるためにも、偏見や偶像、または神話を疑うことなく感情の根拠にすることを辞めて、常に誰にとって最も都合が良い言説なのかを自分に問い続けていきたい。
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③ 第9回目「グローバリゼーション」塾後レポート ◆ 服部なな
第9回フェミニズム塾は、「グローバリゼーション」をテーマに行われた。塾生や上野さんから様々な角度からの視点を提示され、グローバル化が進む日本社会について改めて考えをまとめる好機となった。
今年7月の参議院選挙では、「日本人ファースト」が争点の一部として注目を集め、なかには公約に掲げたことで大幅な躍進をとげた政党もあった。排外主義的な主張を掲げる政党が支持を集める傾向は、近年欧米諸国に多く見られる現象だが、日本の場合、総人口に占める外国人の割合はわずか3%にとどまる。3%の在留外国人が大きな存在感をもつところに現在の日本社会のありようが透けて見える。圧倒的にマイノリティである外国人に対する排外主義的なスローガンが、決して少なくない有権者の支持を集めたのはなぜなのだろうか。その背景には「悪い外国人」の「逸脱行動」に過剰に反応する心理があるように思える。
現政府の外国人政策も、「悪い外国人」の逸脱行動を想定したものばかりだ。高市新総理は、所信表明演説の中で人口減少と外国人対策に併せて言及し、一部の外国人による違法行為やルールからの逸脱に対し、国民が不安や不公平を感じる状況が生じていると指摘した。排外主義とは一線を画すと言いつつ「既存のルールの遵守を求めるとともに、土地取得等のルールの在り方についても検討を進めるため、新たに担当大臣を置く」と宣言した。
担当大臣の取り組みとは「外国人との秩序ある共生社会推進室」(2025年7月15日発足)のことらしい。内閣官房のサイトには、政府が想定する「一部の外国人の違法行為やルールからの逸脱」に関連する情報が並ぶ。取り組み方針として「法令順守の徹底、国内社会のグローバル化を前提としていない制度・運用全般を見直すなど、総合的・施策横断的取り組みを進める」とうたってはいるが、いわゆる「悪い外国人」を取り締まろうとする趣旨の取り組みばかりで、外国人との共生についての前向きな制度や施策については何も示されていない。労働人口が減少の一途をたどるなか、技能実習制度や特定技能制度で外国人労働者の受け入れを国として推し進めている以上、外国人との共生社会をいかに構築していくか、具体的な取り組みを政府として打ち出すべきではないだろうか。
現政権が「共生」といいつつも取り締まり政策ばかりを押し進めようとする一方で、経済界では外国人との共生について、より前向きで現実的な議論が行われている。経団連は今年2月、中部経済連合会と共催で、「選ばれる国になるために―外国人が活躍できる社会に向けて」と題した公開シンポジウムを開催した。日本国内の外国人労働者の現状をふまえたうえで、彼らにとってどのような支援が必要か、日本で働く外国人本人はもとより、そのこどもへの日本語教育など、様々な支援事業やNPOの取り組みが紹介されている。また、中小企業で外国人材を受け入れるにあたり、コストの面でわりに合わないなどの課題があるが、国の支援の拡充や言葉の壁を取り払えるような施策を省庁横断で考える「外国人庁」や「多文化共生庁」のような省庁の必要性も指摘され、「さまざまな会議体から国へ要請しているにも関わらず、国の本気度が見えてこないことは非常に残念」と国の取り組みに言及した。「外国人が活躍できる社会を実現するためには、国や自治体、企業、そして地域社会などあらゆるステークホルダーが一丸となって取り組むことが不可欠」という結びで締めくくられる経団連のシンポジウムは、「自分も外国ルーツのひとびとの支援に参加してみたい」と思わせるさまざまな提案にあふれている。
日本に在留する外国人の現状について、人口比では、2025年6月末時点で約3%だが、市町村ベースでみるとOECD諸国の移民比率と同じレベルの地域もある。国全体としての移民比率はOECD諸国程でないにしても、日本の立ち位置は特徴的で、2023年の1年間に世界全体でみてみると労働目的で一時的に移動した人の行き先は、米国、オーストラリアに次いで日本は3番目であり、少なくともこの時点では国境を越えた労働移動の目的地となっている。今は、まだ日本は外国人から選ばれているが、少しずつ働きたい国や行きたい国ではなくなってきているのが現状だ。
すでに日本の平均所得は韓国に抜かれ、ベトナムも韓国に続く勢いだという。アジアの途上国にとっても、日本はすでに魅力的な出稼ぎ先ではなくなりつつある。人口減と人手不足が深刻化するなか、外国人労働者の出身地は、従来の東南アジアからアフリカへ、労働力の獲得競争がすでに始まっている。
冒頭の「悪い外国人」の「逸脱行動」に対する過剰反応に話を戻したい。先の選挙では、在留外国人について無知なまま、「悪い外国人」を自分の生活を脅かす存在として認識し、あおられた不安を増幅させた有権者の票を排外主義的スローガンを掲げる政党が獲得したのではないか。もっとも、「偏見はファクトで説得できない。」と上野さんが言うように、人口割合の上では決して多くない外国人が、減少の一途をたどる日本の労働人口の多くを占め、日本に住む人々の暮らしを支えているという現実を知ったとしても、排外的な主張をする人々はマイノリティである外国人への攻撃をやめないだろう。自分の生活を脅かす存在として、「外国人」は都合よく攻撃対象にできる存在だからだ。「外国人」であることは手近でわかりやすい攻撃の根拠であり、自分の存在を脅かすと認識しながらも、マイノリティである外国人が弱い立場であることをよくわかっているからこそ攻撃対象にするのではないか。ある塾生が「排外的なスローガンやデマの大本に家父長制と似たものを感じる」とコメントしたが、女性を二級市民として位置づけ、構造的に支配し、搾取し続けてきた家父長制と似た構造でもある。日本人ならば日本に住むうえでは日本人であるというだけで外国人より絶対的優位に立てるはずという信念にもとづき、「外国人」を二級市民におとしめることができる
マイノリティが安全に暮らせない社会、マイノリティを排除する社会は、ひるがえって自分自身が老いたとき、二級市民の立場になったときにもまた、厳しく排除される社会だ。外国人も含めたマイノリティが生きやすい社会は、より多くの人にとって生きやすい社会だろう。
海外在住の塾生からは「移民の受け入れに失敗している国」についての意見も挙げられた。移民の母語の習得を支援していたスウェーデンでは移民がギャング化し、対応に苦慮する状況であるという。ドイツは2015年に移民国家であることを認めたが、「連邦移民難民庁」ができるまでに50年の歳月を費やした。「共生社会」の実現は一筋縄ではいかないが、外国人のサポートを行うさまざまなNPOについて知るところからはじめたい。共生社会の構築に向けて自分にはなにができるのか、一市民のレベルから具体的に考え、行動に移す段階にきている。
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④ 第9回フェミニズム入門リポート グローバリゼーション ◆ オールセン八千代
【かなり長い前置き】
『新編 日本のフェミニズム 9 グローバリゼーション』を読み、率直なところ、私が思っていたグローバリゼーションとこの本の内容のそれは大きく乖離していた。私が勝手に思い描いていたグローバリゼーションとは完全に欧米目線のものであり、主にはアメリカを中心としたリブ運動が世界に波及するというような内容をイメージだった。
しかし、この本には、そうした欧米を中心とした拡張フェミニズム運動の陰で、アジアや中南米での運動、あるいは運動にすら及ばなかった無数の声があったことを、当時の息づかいそのままに書かれたリポートの数々が掲載されている。ページをめくっても、めくっても、悲惨な何かしらの蹂躙のストーリーしか読めないことに、私は暗澹たる気持ちになると同時に、知らなかった自分を恥じることとなった。
読みながら、私が思い浮かべたのは「搾取」という名前の「水」である。きれいな水は高いところから、いくつかのポイントを通過しながら低いところに流れるにつれ、濁り、異臭を放つようになっていく。経済、人種、ジェンダー、教育、政治、自然環境、あらゆる要素が絡み合って、世界は最後に誰かが泥水を飲むようになっている。
グローバリゼーションの中で、人間は誰しも必ず抑圧者であり、同時に被抑圧者だということ、「私たちがされたこと」だけではなく、「私たちがしたこと」という目線を持つことが必要だということはこの本から学んだことである。私は、自分自身も連鎖の中で、私の知らない多くの誰かを抑圧している存在なのだという視点を意識しなくてはならない。
また、グローバリゼーションとは、情報、金、物、そして人の順に移転していくものであるとビデオの冒頭で上野千鶴子氏の説明があったが、それは時代とともに、もしかしたらかなり短いスパンで刻々と変化している。フェミニズム入門のzoomミーティングでの中で、先の参院選の参政党の話から日本への移民受入について、是か非かという問いについて皆で話し合う中で、私自身、移民についてこれまで考えることはあったが、人に言えるほどの考えがまとまっていないことに気づいた。このリポートを書くにあたり、何を書こうか悩んだが、とても良い機会なので、この「是か非か」について、私なりに考えてみようと思う。あくまで浅い知識の中で書くものであり、現時点での私の考えで変わる可能性もあるが、まとめてみたい。
(長いので、飽きると思います。もしよかったら、【私の結論】だけお読みください!)
【日本の外国人状況と私の感覚】
まず、是か非かという前に、外国人の在留資格者は日本の人口の3.2%といえども、もう既に多くの外国人の滞在が始まっているのは事実である。後に見るように、中国人が急激に増え、彼らの各部門への参入の動きが目に見えるようになっているし、バブルで沸く1990年代、日系ならいささか安心だろうと日系ブラジル人を大量に日本に迎え入れ、自動車工場などで働くということがあったが、現在は、上野氏や他の方も言っていたように、4年で追い出されるケア労働者など、法制化のもとに日本人に都合の良いように「使って」いる状況がある。都内では、コンビニの店員も半分以上外国人だし、工事現場も知らない国の言語が飛び交い彼らだけで作業をしている。つまり、中国人に限らず、既に、日本は外国人に支えてもらっている国になっているのは確かである。
実際には、日本在留外国人はどのような人達なのか。2024年末の日本における外国人総人数は3,768,977人である。(*1) 1位は中国人で873,286人(前年比+51,448人)、2位がベトナム人で634,361人(+69,335人)、3位は韓国人で409,238人(-918人)、4位がフィリピン人で341,518人(+19,472人)、5位はネパール人で233,043人(+56,707人)と続く。
一方、厚労省のHP(*2)によれば、2024年10月末の外国人労働者数は2,302,587人で前年比253,912人増加、国籍別では、ベトナムが最も多く570,708人(外国人労働者数全体の24.8%)、次いで中国408,805人(同17.8%)、フィリピン245,565人(同10.7%)となっている。ベトナム人が最多であるが、その内訳は技能実習者が40%であり、一方、中国人においてはたったの8%となっている。(*2)
つまり、在留外国人はアジアからの移民・入国者が主であるが、中でもベトナム人は技能実習のために入国し、多くは4年間の在留となり、一方、中・長期で滞在するのは中国人が最も多く、韓国人はなんと減少している。(なお、こちらの記事(*4)によれば、2025年は6月の時点では過去最高の395万人であり(日本人人口比3.2%)、2025年末の見込みでは415万人となっている。)
日本で在留数が一番多い中国人は、世界で言われている政治・経済・軍事などにおける「中国脅威論」のイメージとも重ねられ、中国人による不動産の購入や日本の教育現場への参入も目立つがゆえ、在留外国人に反対する日本人の「外国人脅威論」の対象となっているように思う。
身近な若い女性の中国人から「本国にいる親に、いつも東京に不動産を買え買えとうるさく言われる」と聞いたことがあり、実際に高騰する東京のマンション事情においてマンションが投機の対象とされ、「最近は、購入するのは中国人ばかり」という不動産仲介会社の声も聞いている。私が以前勤めていた大学では、中国人の学生が3割を占めていたが、彼らと日本人学生の間にまったく交流はなく、中国人学生が固まり、彼らの側に「交わる気がない」という印象があった。このような限られた経験や報道される状況から、単純に中国人のそうした姿勢を不満に思ってしまう私がいる。バブルを知る私は、日本人は中国人に(いや、中国人だけでなく、アジア人全体に)「経済的敗北感」を感じ、それが私の中の「中国脅威論」に結びついているように思える。その私の感覚に根拠があるのかないのか、中国人を筆頭とした外国人は本当に脅威なのだろうか。そして、私自身は外国人の受入に確かに賛成だと言えるだろうか、彼らは共存すべき味方となりうるのか、意見をまとめたい。
【中国人の来日理由】
タイミングよく、「朝日新聞 記者サロン Editor’s Pick」で配信されていた「留日・潤日 中国の人はなぜ日本をめざすのか」(*5)を見た。『潤日 日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』の著者、舛友雄大氏を中心に朝日新聞中国総局長と瀋陽支局長が日本に来る中国人の実情や背景について説明したもので、大変興味深かった。まだ「データはで揃っていない」という前置きとともに、彼らが日本を目指す理由は、「安い・安全・近い」ため、資産の保全、激化する中国の教育を回避して子どものより良い教育を与えるため、そして、表現の自由・言論の自由のためが主な理由ではないかという舛友氏の見解がまず述べられた。
今や、「中国人有名人や富裕層は全員、日本に不動産を所有」しており、中国語のみのメニューのレストランが増えていたり(高田馬場もそういうお店が増えて、むしろ日本人は入店しづらい)、銀座に中国語系の書店がオープンしたりと、彼らの活動は目に見えるものになっているという。また、文京区は中国人生徒が多いというのは聞いていたが、中国人の間でも「3S1K」と呼ばれる4校の名門公立小学校が有名であり、皆そこに入れたがるという。そのうちのひとつ、誠之小学校では全体で2割くらいの中国人名の生徒がおり、低学年では半数くらいに及ぶらしい。あまりに中国人が増えすぎていて、日本語の勉強にならぬと中国人の親の中には他のエリアを希望する人まで出てきているそうである。
背景には、中国人の海外移住に対するハードルの低さがある。日本への留学移住は低年齢化し、「安い・安全・近い」東京に軽やかに移住し、公立小学校に転入、子ども達はサピックスに入って、早慶は楽勝、できれば東大を目指していくという。選択する学校によって、日本の大学に進むか、欧米の大学に進むか変わってくるそうだが、日本の公立・私立校の場合は日本の大学に進学し、日本での就職を目指す(インターナショナルスクールの場合は欧米の大学を目指す)。将来、彼らは新たな両国の懸け橋となるかもしれないし、ベンチャー指向があるので、次のジャック・マーが日本から出るかもしれないというポジティブな面もあると楽観視する意見が出た。
既に、日本の企業はこの中国人移住者の「潤マネー」に注目していて、不動産、金融、医療などのビジネスの新たなターゲットであり、彼らを需要の新たなソースとして見始めている。そういえば、私の勤務する大学病院も、新たに国際センターを設立し、中国人を中心とする患者の集客に努めている。日本社会が得ているメリットがある間は、日本政府は急激な排除はできない、と舛友氏は予想していたが、本当にそうだろう。
また、私の同僚の中国人(彼女は40代の女性で、小学校3年で来日、半年で日本語を覚え、日本の都立高校を経て慶応大学を卒業、現在は3人の母)に上記の話をしたところ、この状況について全面的に肯定していた。中国人母たちのネットワークは非常に強く、大学の外国人入試についても情報交換がすごいのだと言う。日本人の母も相当教育情報交換があるが、EJU(日本留学試験)対策やどこの大学が入りやすいなど、中国人の母は比ではないらしい。また、いったん東京の公立高校に進学して1-2年日本の高校生活で学力(国語)を身に着けた後、外国人学校に転校し、外国人枠で受験すると難関大学も難なく入れるなどという裏技を行使した男子学生を、私も一人知っている。
そして、彼らは文京区の例のように少数派ではなくなってきており、学校内で中国語が飛び交うようになると、だんだん日本人は快く思わないようになり、日本人と分断していくこともあるかもしれない。それでも小学生なら次第に同化するだろうが、私の前職の大学のように、大学生になると文化的に馴染むことは難しいという状況だったのだろう。
【総務省「外国人との共生に関する意識調査」】 (*6)
一方、迎え入れる日本人側の意識についてはどうだろうか。2025年に総務省が調査した「外国人との共生に関する意識調査」によると、地域社会に外国人が増えることについて、好ましいが 28.7%、好ましくないが 23.5%、どちらともいえないが 47.3%となっており、はっきりと好ましいと考える人は3割程度であった。好ましくないと答えた理由は、上位から「文化・習慣の違いによるトラブルが 生じる」と回答した人が全体の70.9%、「言葉の壁によるトラブルが生じる」が66.5%、「外国人が特定の場所に集住する」が63.5%、「緊急時や災害時における地域活動で トラブルが起きないか不安に感じる」が60.4%、「外国人向けサービス(多言語対応等)や 教育など、社会的負担が増える」が55.0%、「具体的な心配事はないが、外国人住民が 増えることに漠然とした不安を感じる」が50.6%などとなっている。コメントとしては、「日本人への支援等を厚くするべき」「共生社会も大事だが、その前に自分の生活を維持して行くのが大変です」「日本国民の賃金上げや子育て支援、学力向上、教育支援に力を入れてほしい」「外国人を増やすことよりも日本人の人口が増えるような政策を取るべき」など、日本人の生活サービスへの不満から外国人を好ましくないと考えている人もいることが読み取れる。
【在留外国人によるメリット(主に中国)】
次にメリットについて考えてみたい。前述のように「潤マネー」の購買力が日本経済にもたらすメリットがあるし、日本で学んだ中国人の子ども達はほぼ「中国には戻りたくない」となるらしく、将来は日本でベンチャーを起業し、日本の産業界を牽引する存在になる可能性がある。さらに彼らの持つ中国語力は、中国とのビジネスにもちろん相当役に立つ。
大学の教室内において、大学にもよるだろうが、ものすごく勉強してきた中国人に出会い、日本人学生が刺激を受けるということもメリットだろう。また、これはメリットといえるかどうかはわからないが、現状、少子化で定員割れしている日本の大学が何とか存続しているのも、外国人留学生の受入で賄っているからだ。本当はアメリカ、イギリス、オーストラリアに行きたかったと外国人が、今は日本に来ているという実情がある。もう少し彼らの国の経済力が上がったら、アメリカの政権が変わったら、それでも日本に来てくれるだろうかと思うと、ひやひやしている大学もあることだろう。これも中国のマネーに支えられている。
もう一つ、私がメリットだと思うのは、日本がこの異文化交流によって、いよいよ開かれた国になるのではないかという予想である。日本人だけで固まっていられたこれまでと違い、私たちは実際にクラスメートの何人か、何割かが外国人となったとき、職場の何割かが外国人となったとき、それこそ世界にはスタンダードが国の数だけ存在するということに気づくのだと思う。ここにきてようやく本気で英語を学び、日本語と同等に英語を話す人たちが増えてくるのではないかと思う。先の総務省の調査でも、「社会に多様性が生まれる」が70.5%、「外国の言葉や文化等を知る機会が 増える」が67.7%、「地域で他の国籍の人たちと交流できる機会が増える」が65.4%と高い割合で前向きに開かれた日本、国際化された日本を見据える人たちがいる。一方、実際に外国人との交流がある人が 26.5%に対し、ない人が 73.0%、外国人の知人はいないし、 付き合ったこともないという人が 41.5%も占めており、現実にはそうした外国人と交流する機会がない人の方が多数であるのが、日本の現状である。
【私の結論】
話がかなり散漫になったが、以上を踏まえて、私自身、これまでぼんやりと一括りにしていた外国人の実像がややクリアになってきたように思う。その上で、私自身の結論としては、Zoomの際に漠然と思っていた通り、やはり在留外国人については是である。ただし、懸念事項はいろいろとあるだろう。
まず、私の中の「中国人脅威論」であるが、二通りあるのだと分類され、子どもを日本の学校に入れている場合は脅威ではないと考えるようになった。日本の学校教育で学んだ中国人の子どもは日本語を話し、日本文化を理解し、さらに将来日本の産業を牽引してくれる存在になる可能性が高い。学校の現場が混乱することもあると思うが、それは日本人にとってグローバル化の学びなのだと思う。
一方、投資や転売のために有り余る中国マネーを日本の不動産に向けているということで事実であれば、それは「脅威」となりかねない。不動産に関しては、日本はWTO協定に加盟しているため、外国籍だから不動産を購入させないということは協定に反するためできないが、海外の一部の国のように、本人が居住するためだけに購入できる、購入した物件は5年間転売できないなどの措置が必要かもしれない。また、中国のビジネスは考え方の違いから、日本式のやり方と相容れない部分があるように思う。中国式のやり方を押し付けられると、それもまた「脅威」となってしまう。
次に文化・習慣の違い、言語の壁によるトラブルが 生じるという懸念だが、これはやはりかなり双方の努力が必要だろう。移民の大量受入の先輩であるデンマークでは、2002年の政策の転換によって移民に対する厳格化が始まり、現在では社会民主主義政党すら厳格な移民制度を推進している。大量に移民を入れた後に家族呼び寄せでまた多くの移民を呼び込んだデンマークは(一夫多妻制で多くの女性を呼び寄せ、彼女達はデンマーク社会との接触が極めて限られている)、かつてヨーロッパで最も移民に優しい国と言われていた。だが、いまや最も厳しい国へと変わり、ビザが下りて入国できても4か月後に言語の試験があり、それに合格しないとビザが取り消される。デンマークが目指しているのは移民の「統合」であるが、イスラムの国からの移民はあまりにも文化や生活習慣が違い、「統合」には程遠いというのが現状である。
もちろん、日本も日本人が快く外国人を受け入れられるよう、在留する外国人に、公的に日本語や文化、生活習慣についてのレクチャーも必ず多数回提供し、なるべく日本の生活習慣・ルールを理解してもらう必要もあるだろう。ただし、デンマークもそうだが、残念ながら文化や宗教の壁はどうしても乗り越えられないことが多い。それを踏まえた上で、ではどうするのかとひとつひとつ対話を繰り返し、双方で考えていかなくてはならないだろう。例えば給食に豚肉が出たら、イスラム教の子どもは食べられない、ではどうするか。アレルギーのある子どものように、その日はお弁当持参となるのだろうか。そして、それは「可哀想」とか「変」と思うのではなく、そういうものだと皆で認識することが大切である。
これまで外国人と触れ合う機会がなかった日本人が多数なのだから、漠然とした不安があるのは当たり前だろう。乗り越えるためには、とにかく話してみることなのだと思う。乗り越えられない文化の違いはあるけれど、尊重して、話し合うことで、少しは互いへの誤解や不安が減るであろうし、はじめはびっくりしていたことも徐々に慣れるものである。相手を説得することも一つのやり方だけど、こちらの受止め方を変えるということも、時には必要だ。
総務省の調査でも日本人の福祉、教育などが脅かされているという懸念があったが、デンマークでも「福祉のタダ乗り」が移民排斥感情を高めたという経緯があり、この失敗から学ぶのは、まず日本人の生活水準が安定していることが重要である。在留外国人の人数の上限を決め(言わなくても日本政府はやるだろうが)、彼らが税金を納付し、日本人と同様に正当に地方自治体や福祉制度に貢献し、パイの分け前が減っていないのだと日本人が理解することが肝心であろう。
日本人が一方的に不利にならないようにするため、法の制度化や外国人の大学入学要件や不動産の購入要件などを整えようという動きは既に始まっている。「日本人ファースト」ではなく、日本人も外国人の両者がリーズナブルだと納得して、安心して暮らせるような法整備が必要だと思う。千代田区では独自に外国人の不動産購入要件を出しているが、これは現在、法的な効力はなく、要請の域にとどまっている。急激に在留外国人が増えている現状や在留していない外国人が会社を作り(10月16日から「スタートアップビザ」の改定がちょうどありましたね)、不動産を購入している現状を踏まえ、こうしたことはきちんと政府主導で法制化することが急がれる。抜け穴はいろいろと見つけられるだろうが、実情にあった納得できる法制化があることは、快い受入のための前提条件となる。
最後に、私の個人的な見解としては、私は、在留外国人は私たち日本人を成長させてくれる存在だと捉えたい。私は日本人の伝統や文化はとても美しいと思っているが、それと日本人の成長は別である。彼らを窓口にして、日本の由々しき悪習慣に気づく機会にしたい。英語だっていい加減、シンガポール人のように話せるようになって世界が舞台でありたいし、世界中の誰とでも議論ができるようになりたいと思う。それでなければ、今は、日本は外国人に「住みたい国」のリストに入れてもらっているようだが、ますます経済が世界水準から置いていかれ、魅力的な産業がなくなっていったときに、今度は外国人から見向きもされない国になってしまう。現に日本の外資系企業に駐在して、日本のITの遅れや社員の英語のできなさ、ビジネスの遅さにがっかりする外国人も多数見てきたし、交換留学できたあるデンマーク人高校生は日本人生徒がディスカッションをできないことに驚いていたし、日本の大学の世界ランキングは低い。それこそ、私たちは危機感を持ったほうがよく、在留外国人と対話し、いろいろ学ぶべきなのではないかと思うのだ。
以上
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脚注
*1 令和6年末現在における在留外国人数について | 出入国在留管理庁
*2 「外国人雇用状況」の届出状況まとめ(令和6年10月末時点)|厚生労働省
*3 001389463.pdf
*4 在留外国人、過去最多395万人 人口比3.2%に 鈴木法相(時事通信) - Yahoo!ニュース
*5 (記者サロン Editor’s Pick)日本へ「流出」、中国社会の息苦しさ:朝日新聞
*6 001416008.pdf
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⑤ オーストラリアの売春法改正後の変化 ◆ Y.ミューズ
グローバリゼーションのディスカッションの中で、こちらオーストラリアの状況を話す機会がありました。 講義の内容とは少し逸脱してしまいますが、今回はこの件についてレポートさせていただきます。
近年、オーストラリアのいくつかの州で売春に関する法律が大きく変わりました。性労働者の安全・健康・人権を守ることを目的とし,これまでの「犯罪」としての扱いから、「労働」としての扱い(非犯罪化) に移行しました。
1. 何が変わったのか
近年ビクトリア州とクイーンズランド州で大きな法改正が行われました。
・ビクトリア州(2023年)は、売春を完全に非犯罪化しました。旧来の許可制度を廃止し、成人間の合意による性労働を犯罪として扱わなくしました。差別防止の法律も強化されました。
・クイーンズランド州(2024年)もこれに続き、性労働に関する犯罪条項を削除し、一般のビジネスと同じように扱うようになりました。
この2州では、性労働を「通常の職業」として、労働安全や健康、事業のルールの中で管理しています。ニューサウスウェールズ州やノーザンテリトリーではすでに以前から非犯罪化が進められています。
2. 改正後に起きた変化
初期の報告は概ねポジティブなようです。
・安全面: 性労働者の多くが「より安全に働けるようになった」と感じています。ビクトリア州の調査では、約70%が「危険な客を断りやすくなった」と回答。
・健康面: 性感染症(STI・HIV)の感染率は非常に低いまま。強制検査の廃止によって、医療機関に安心してアクセスできるようになりました。
・法執行: 警察は、合意のある性行為ではなく、人身売買や強制労働などの重大犯罪に集中できるようになりました。
・社会的意識: 性労働を「普通の仕事」として認識する動きが進み、税金を納める個人事業主も増えています。
3. 残る課題
法改正後も、銀行・住宅・医療の場面での差別や、地域による制限、社会的な偏見は依然として存在します。すぐに社会の意識が変わるわけではありません。が、これまでの結果を見ると、非犯罪化は①労働者の安全向上②公衆衛生との協力強化③法の公正な運用、といった目的を達成しています。犯罪や感染症の増加も確認されていません。
この結果を踏まえ、オーストラリアでは「性労働を労働として扱う」ことが、労働者と社会全体の安全を守る効果的な手段であると認識されているようです。
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