
WANフェミニズム入門塾の第5回目講座が5月15日(木)に開催されました。
「母性」がテーマでした。
「自然としての母性」から「制度としての母性」へ、「母性の政治学」、「母性神話」・・・
受講者自身の体験、思いも交えながらの、白熱した議論となりました。
今回は4名が講義や議論を通じて考えたことや感じたことをレポートにまとめました。
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① WANフェミニズム入門塾第5回「母性」 ◆東京てふてふ
今回のテーマ「母性」について、テキストでは「自然」とされる母性が不自然な介入によって恣意的に作られたものであることが次々と明かされた。フェミニストたちは「母性」が歴史的、政治的、文化的、社会的制度としてあらゆる方面からいかに都合よく作り上げられてきたものであるかを批判し論じ、神話にまで崇め奉られた「母性」をその座から引きずり下ろし、「自然」(神話)とされているものを「脱自然化」してきたのであった。
とりわけ、母―子の間で生み出される愛情は自然な感情とされ理想化されており、そこでは、無私無欲あるいは自己犠牲の精神で子に接する母の姿(イメージ)が宗教、マスメディア、教育等を通じて繰り返し流布されてきた。多くの母親たちが抱える「葛藤」は乗り越えるべきものであって、苦労のその先は「それでも母になってよかった」という、ある種の運命論的に語られることが多い。イスラエルの社会学者オルナ・ドーナトの『母親になって後悔している』(新潮社、2022)※で語られるのは全く逆だ。母親になったことを現在進行形で後悔している母親(祖母)たちにインタビューを行い、そこでは、良い母親像を義務感から模倣し遂行しているだけ、子供に対する責任に重荷を感じる、母親に向いていなかった、子育てが好きではないとわかった、と率直に語る母親たちが登場する。そしてこの知識と経験を踏まえて過去に戻るなら子供をもつ選択はしないと語る。これらの母親たちの語る「後悔」に何を感じるだろうか。「自分で生んだくせに何を身勝手な」「幼稚な考えの持ち主」「それを聞いた子供はどう思うんだ」「母親失格」批判、嫌悪、怒り、拒絶。同じく問いたい。これが父親たち側から語ったならば?私たちはすでにそういった一部の父親たちの姿をよく知っている。子が生まれる前でも後でも全責任を母親に押し付け、法律からも逃れることが許される社会をよく知っている。そしてこの明らかな非対称性において、なぜ「母性」だけは矛盾を問うことなく受容されてきたのだろうか。母が語る「後悔」にショック(アレルギー反応)を受けること自体が「母性」を自然なものとして、子をもつ母親なら持っているはずだという幻想を内面化している結果なのである。全体のトークセッションでは「母親になって良かったことは語られるが、その反対の妊娠/出産した後悔や中絶の話が出てこないのはそれ自体をタブー視しているからではないか」という鋭い指摘があった。タブー視つまり沈黙は何を生むのだろうか。自発的にもしくは受動的に沈黙を選択するにせよ、それは感情を抑圧することに他ならない。ドーナトは「体験を語れないことが大きな代償を伴う可能性もある」(ドーナト、253)と指摘する。「後悔」を語った母親たちに共通しているのはそれを「許されない感情」だと自覚していることだ。この点において「母性」は抑圧として機能していることがわかる。沈黙することで各個人が抱く「痛み」は無かったことにされ、当の本人さえも忘れてしまうことがある。もしくは時間の経過とともに感情は都合よく上塗りされる「苦しいこともあったが生むことを選んで良かった」と。その言説だけが独り歩きし今度は母ではない女性を抑圧する(ドーナト、292)。
忘却や感情の書き換えは人間が生きていく上で獲得した記憶のメカニズムだと言ってしまえばそうかもしれない。しかしこの女たちの沈黙もまた「母性」神話をより強固なものとして創生していると言えないか。だからこそ「母親になったことを後悔している」という女たちの語りは「母親になって良かったと思っている」語りと等しく尊重されるべきである。上野先生は第1回の講義の時に「フェミニズムは女の経験の言語化であり、理論化に努めてきました」と述べられていた。これまでフェミニストたちは「私は黙らない、私の経験は私のものであり、私の言葉で語るのだ」とあらゆる差別、不正、不条理と闘ってきた。ことに「母性」とされるものについては強いタブーの力が働いているのが今回の全体でのトークセッションの語り口でも実感した。
「母性」と一口に言っても、人口妊娠中絶、優生保護法、障害児育児、不妊治療、代理母出産、ナショナリズムとの親和性、リプロダクディブ・ヘルス/ライツと広範囲に渡る。今回のレポートでこれらを論じるほどの余力が私には残っていないが、「母性」は国内外の女性作家たちの作品のテーマでもあり大変興味深く語られているので、フェミニズム文学批評までの自分への課題としたい。最後に、進化する生殖技術に塾生から「他人の身体を使ってまで、自分の自由を使うべきではない」との意見が出た。寸鉄人を刺すとはまさにこのことである。
※参考図書
ドーナト、オルナ、鹿田昌美訳 2022 『母親になって後悔してる』新潮社
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② 【WANフェミニズム入門塾】第5回「母性」 塾後レポート ◆HammingHarumi
「母性神話」とは?
5月15日のWANフェミニズム入門塾では、母性を女性の側から捉えた様々な経験や意見を交わしながら話し合いが進んだ。
一方で、女性に対峙する男性の側、社会の側から見た母性とは何か?母性神話を打ち立てたのは社会の側、社会を支配してきた男性の側である。それが彼らにとって都合がよいから歴史的社会的に作られた。
私は母性を最大限に活用しているものとして宗教を考える。親がキリスト教カトリックの信者であり小学校はミッションスクールに通った。学校で常に祈りを捧げるのはキリストよりも聖母マリアで、「聖なる母」「慈愛」のシンボルを敬愛することを日常の隅々まで求められた。これにより従順な信徒を増やして布教活動を進めていく。他の宗教でもよく見られる構図である。
私はキャリアウーマンとして男性の中で男性に伍して働いてきた。男性たちは対等に競い合っているようでもフィールドは本来的に男性のものと思っており、女性たちを外からの参入者と捉えて「上から目線」を潜ませている。この均衡が一瞬でも破られるのが、ライバルのキャリアウーマンが母でもあると知った時だ。男性たちにとって母性を持つ母の側面は、太刀打ちできない敬愛の壁なのである。
この絶対的な母性神話と引き換えに、または母性神話でまぶされて、歴史的社会的につくりこまれた女性たちの抑圧…。社会は聖母マリアのような慈愛の象徴を頂点におきながら、社会の安定構造と子孫の再生産を巧みに仕込んできた。
母性神話は何人も抗いにくい魔力を持って人々のマインドをコントロールし続けている。私たちはこのカラクリを解き明かし続けなければならないと考える。
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③ 第5回塾後レポート ◆葦家ゆかり
今回のテーマは「母性」でした。母親になった女性の労力や時間が、「母性」という言葉で都合よく搾取されてきたのではないか、という内容でした。
内容をふまえて4人でデスカッションをした時に、「母性」は本当に存在すると思っている方、「母性」なんてないけれど、やらざるを得なくて毎日必死で子供の世話をしているだけと思っている方、と両方いました。そして、子どもを可愛いと思う気持ちは両親ともにもちろんあると思いますが、なぜか「父性」という言葉は全く使われてきませんでした。これからの時代は父親も一緒に身を犠牲にして子育てをしていかなければならないと思いますが、そうなった時に果たして子供を望む夫婦はどのくらいいるのか、少し不安に思いました。
その他育休の長さについての話もありました。私は自身の子供が2歳まで夜泣きをしていたので、せめて夜泣きが終わってからでないと寝不足で働けない、育休は1年ではなく最低2年にするべきだと思っていましたが、キャリアを考えて一刻も早く仕事に復帰したい女性もいることを知りました。生き方が多様化した時代に求められるのは、誰かに一律で決められる規則なのではなく、女性個人の希望に合わせられる柔軟な選択肢なのだと思いました。
そして代理出産が許可されている国もあるようで、売春の次は妊娠出産まで女性の身体は金儲けに利用されてしまうのかと非常に心配になりました。その一方で、私はつわりがかなり重かったのと、出産の身体への負担、妊娠中、産後の鬱などの精神病等も考えて、もし自分の卵子で代理出産してくれるならして欲しいという感情が芽生えたのも事実です。倫理的な問題と、人間の強い本能的な欲求、売春問題もそうですが、その二つのせめぎあいの中で私たちは正しい選択をしていかなければいけないのだと感じました。
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④ 「制度としての母性」徹底分析~内面化された「母性神話」からの脱却を目指して ◆服部 なな
第5回フェミニズム塾のテーマは「母性」ということで、『新編 日本のフェミニズム』の『母性』の巻より「制度としての母性」(江原由美子著)を参考文献として行われた。
「母性」は神話である―という事実については、これまで上野さんや他のフェミニズム研究者の文献などで読んで理解できていたつもりだった。しかし、今回改めて江原さんの序文や解説動画で「母性」という言葉について丁寧に学ぶ機会を得て、「母性は神話である」という知識のみのきわめて浅いレベルで思考停止していたことに気づかされた。また、「母性」というテーマはフェミニズム塾の前々回のテーマである「性役割」とも密接に関連していることに気づき、「性役割」の巻の序文を改めて読み返すと、性役割も母性神話もともに女性の中に内面化された規範として作用する側面があることがわかる。制度としての「母性」と女性の「性役割」とは相互に作用し、お互いを強化しつつ長年にわたって女性の内面に巣食ってきたのだ。内面化された規範から逃れるのが容易でない理由は、このような一筋縄ではいかない複雑な事象のなかにあるように思える。
江原さんは、まずはじめに「母性」の2つの意味―「自然としての母性」と「制度としての母性」に言及し、後者の「制度としての母性」を扱うことを本書の中で前置きしている。「母性」という言葉には2つの意味があるが、一般的に「母性」という言葉が使われる際にこの2つの意味が混同して使われており、いつのまにか文脈をはなれた「母性」という言葉がさも確固たる意味を持つかのように感じられてしまう。「母性」という言葉が「自明のごとく用いられながら、実はその概念が非常に不明確」であるからこそ、様々な場面で利用されてきたのであり、「誰がどのような社会的背景のもとで、どんな事柄に対しどんなことを言うために「母性」という言葉を使用してきたのか、あるいは「母性」という言葉を使用することによりどのような効果を生んできたのか等を考察する」必要がある。この確固たる意味合いをもつようでいて実はあいまいな「母性」という言葉の特性こそが、女性のなかに根深く内面化する原因であると思われる。あいまいな言葉であるにもかかわらず、その時代その時代においていかにも女性の「自然」な性質、女性なら当たり前にもっている性質のように扱われる。これまで「母性」という言葉になんとなくうさん臭いものを感じてきたが、そのうさん臭さの正体をここまで突き詰めてわかりやすく解説した本書における考察は、圧巻の一言だ。
上野さんから塾生に対し、「母性神話は今や常識であると言えるか?」という問いかけがあった。私は「「母性」が神話であると理解しているし、世間一般的にも常識であると思いたいが、「母性」が神話であるそのからくりがわかっても、長年「母性」にまつわる言説を見聞きしてきたことにより内面化されてしまった「母性」に縛られている状況から抜け出すことは簡単ではない。」と答えた。「母性」概念は、出産・子育てをとおして母となるライフコースを選ぶか否かに関わらず、折に触れていやおうなしに女性の生き方に影響を及ぼしてくる。これほどまでに根深く内面化された「母性」概念から脱却するには、どのように「母性」概念と対峙すればよいのか。答えは簡単には出ないし、内面化された「母性」概念からの脱却も容易ではないが、「母性」について様々な視点から批判的に考察し続けていくことが、その足掛かりになることだけはわかる。そして「母性」がいかに神話たりえてきたのかを丁寧に理解していくことは、その批判的考察の基本的な土台となる。
既存の「母性神話」をいかに乗り越えていくかという課題について、ある塾生からは、「「母性」を良い方向に制度化する」というアイディアが出された。「母性」という言葉を残したままではなく、これまで「母性」とされてきたことの内容を新しく制度化するということならできそうだ。あるいは、「母性神話」を突き崩すような新しい言葉を生み出すのも一つの方法かもしれない。上野さんが一例に出した「ワンオペ育児」という言葉は、「親がひとりだけで子育てを担う状況は、あってはならないストレスフルな環境であるということを端的に示す」言葉として、いまなお問題提起に使われる画期的な言葉である。
既存の「母性神話」、内面化してしまった「母性神話」に対して批判的に考察を続けること、新しい「母性」の制度化を目指して考察を続けることによって「母性」そのものを変えていくことができるはずだ。「ケアを担う主体」が都合よく扱われない新しい制度、新しい言葉を生み出せる土壌が本書を入り口に限りなく広がっている。まだまだ学びは始まったばかりだ。
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