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「新しい責任」を考える 内藤葉子
2013.04.19 Fri
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震災以後、「原発運転中止の声」と「東京中心主義」への「違和感」について語られた鈴木さんのエッセイから、画一化の圧力と、テクノロジーの問題を連想した。そこからわたしは「責任」について話を進めたいと思う。
20世紀前半において、シュミット、ハイデガー、ベンヤミン、アドルノ、ホルクハイマーらの思想には、科学技術の進歩が人間性(の何か)を浸食することに対して、強い懸念と危機意識が織り込まれていた。しかし21世紀に生きるわたしたちは、科学技術を懐疑する精神や感覚を鈍化させてしまったかのようである。福島の原発事故は、そうした眼差しを忘却してしまったわたしたちの鈍感さへの反省を迫るものではなかったか。
あらためてハンス・ヨナスの『責任という原理』を読み直す。
科学技術文明への批判の書として、彼の遺言書のような形で1979年にドイツで出版された本だ(邦訳は2000年)。環境破壊、遺伝子操作、温暖化、核兵器、原発――科学技術は、地球規模で自然や生物や環境に対して、そして今いる人間だけでなく未来の人間に対しても「危機的なまでに傷つく可能性」を与えてしまう。自然は、人間の営みを超える大いなるものではすでになく(といっても、あの津波は「畏怖すべき自然」であったのだけれども)、「壊れやすいもの」「傷つきやすいもの」として捉えられる。こうした事態が「新しい責任」を要請するのだとヨナスは言う。
責任とは何か。ヨナスは、未来に対する責任が現在のわたしたちにはあると明言する。なぜなら「次世代の人間のために世界が存在」し、「人類の名前にふさわしい者たちが、世界に住み続けなければならない」からである。共産主義のユートピア思想のように、〈未来〉のために〈現在〉が肥やしとなるのではなく、わたしたちが〈不特定の未来〉に対して責任を負わなければ、未来世代は生まれてこられないし、自然は壊れてしまうだろう。
ヨナスは責任の対象を〈滅びゆく他者〉に対するものとする。他者とは、偶然的で、完全なものではなく、滅びゆく儚さ、不確実性、欠乏状態を帯びるものである。そのもっとも原初的で典型的な存在が「乳飲み子」である。手を差し伸べなければこの世界から消えてしまう、そうした存在が生き続けることに対する責任が、わたしたちにはある。子どもたちが十全な形で生存できないような事態を許すことは、根源的な責任を踏みにじることだと、ヨナスは言う。
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「新しい責任」について、アイリス・ヤングの遺稿集『正義のための責任』も取り上げたい。この書物では責任の「社会的つながりモデル(social connection model)」が論じられる。ヤングもまた責任を法的領域の議論から切り離して、社会の「構造的不正義」が継続する事態に対して、わたしたちは責任を共有すべきだと主張する。
例えばわたしたちは、スウェットショップ(労働搾取工場)でつくられる商品が、劣悪な労働環境で強制労働に近いような形で作られることを問題だと思うけれども、一方で店頭で正規の値段を払って品物を購入することに、不法性や不正義があると考えているわけではない。車を運転し、電気を日常的に使うことが、オゾン層の破壊や環境破壊につながっていることは知識としては分かっていても、交通ルールを守り電気代を払っている以上、自分たちがなんらかの不正義に加担しているという意識は薄い。けれどもわたしたちのその無自覚な日常行為の積み重ねにこそ、誰が特定の犯人だというわけではないのだけれども、そうした生活を享受する者すべてが責任を共有すべき理由があるとヤングは考える。
過去に起こった出来事に対する責任という問題については、彼女は意識的に退けている(だから戦争責任や植民地支配の負の遺産に対する責任のような議論はしにくいように思う)。彼女の意図は、「最近まで存続し、現在進行中で、社会的プロセスを変革しないかぎり永続するように思われる構造的な社会的不正義」に対して、他者と共有された「未来志向」の責任を根拠づけることに置かれていると言えるだろう。
従来の議論では責任は――「法的責任」のように――主に特定の個人や団体が負うべきものとされてきた。けれどもヨナスやヤングの議論では、責任は社会倫理へとその位置を移動させ、集団的に共有されるべきものと考えられている。こうした考えからみると、原発事故の問題で特定の企業や原子力政策を推し進めた政府の「責任」を問うことはもちろん必要な作業であるが、それだけでは済まされないことになるだろう。未来世代の人間、未来の世界に対して、今のわたしたち自身が負うべき「新しい責任」を練り上げていくことが要請されているのである。
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