2011.09.05 Mon
今回のドラマの題名を見て、「これ、ヤマシタヨンエのこと?」などと思わないでもらいたい。もちろんこれは、私のことではなく、イ・ヨンエのことである。でも、チャングム(「宮廷女官チャングムの誓い」の主人公)で有名な、あのイ・ヨンエではないので、どうかご注意を。ここでは、同名異人のイ・ヨンエが主人公である。
このドラマは、韓国のケーブルテレビ(tvN)で2007年4月に始まり、今も続いている。それも年二回のシーズン制ドラマで、毎回16話で完結するスタイルをとっている。そして回を重ねるごとに人気が高まり、この秋にはシーズン9がお目見えする予定である。特に若い女性たちに人気で、当初1%台だった視聴率は、最近では3%台を記録しているという。ケーブルテレビの視聴率3%は、地上波の60%に匹敵するそうだから、馬鹿にならない。そういうことから2008年3月に、第2回ケーブル放送大賞の銀賞を受賞し、同年末には、放送通信委員会の“今月の良い番組”にも選ばれた。
韓国でイ・ヨンエといえば、誰もが、“酸素のような女”と形容される俳優のイ・ヨンエ(李英愛1971 ~)を思い浮かべる。今やチャングムは世界中で大ヒットし、海外でもよく知られるようになった。チャングムを演じたイ・ヨンエは、いわゆる美しい容姿としとやかさを兼ね備え、多くのファンを魅了した女優である。ところが、こちらの「とんでもないヨンエ氏」の方のイ・ヨンエは、安月給で小さな会社に勤める30代前半の、ごく普通の女性だ。顔かたちも平凡で小太りの容姿に、少々荒っぽい性格の持ち主でもある。親からは毎日のように「早く結婚しろ」とやかましく言われるが、いつも男から振られてばかりで、なかなか結婚できない。それも、よりによって俳優のイ・ヨンエと名前が同じであるために、何かにつけて比較され、損をするという役柄だ。
たとえば、会社の面接やお見合いの席で、相手方は決まって「お名前が素敵ですね」と声をかけてくる。だが、そのような会話があったからといって、事が順調に進んだためしはない。相手はいつも、ありのままの彼女の良いところを見るのではなく、俳優のイ・ヨンエと比較するのだから、余計見劣りがするのであろう。このドラマは、そんな尺度で見られてしまう彼女の日常生活をドキュメンタリータッチで描く。その視線は、人気女優と比較されて馬鹿にされる太ったヨンエを茶化すのが目的ではなく、そうした反応に対するヨンエの本音をありのままに描くことによって、むしろ韓国社会に蔓延している容姿至上主義や様々な不条理を暴こうという狙いがある。また、一般のドラマのように、女性が化粧をしたまま寝るような嘘っぽい設定を打ち破り、リアリティをとことん追求するのがこのドラマのモットーでもある。
抱腹絶倒の原作
私がこのドラマの存在を知ったのは2008年頃である。ネット上の記事でこの題名をみた時は、「まさか、私のことではないだろうな?」と思ってしまった。きっと多くのヨンエが同じ反応を示したことだろう。ケーブルテレビのため、日本では簡単に見ることができず残念に思っていたところ、同じ名の本(パク・ミンジョン著、図書出版チョンオラム、2007.9)があることを知り、さっそく取り寄せて読んだ。この本はシーズン1を執筆した作家が書いたもので、内容はドラマとほぼ同じであった。
この本が、実はとっても面白いのである。韓国の20代後半から30代の女性たちの日常的な思いが率直に描かれているからである。しかも、働く女性たちが職場で抱える悩みに対してヨンエが答える形のQ&Aが特に傑作だ。その悩みの例を挙げて見よう。「上司の部長が1日にコーヒーを10杯も飲み、それを全部私にいれさせる。私はまるでコーヒーをいれるために会社に来ているようだ。小心者だから上司に文句も言えず、夜も眠れないが、どうしたらよいか?」また、「会食の席でセクハラをする部長を懲らしめる方法はないか?」あるいは、通りで露出狂に出会った際の対処法、乗り物の中で、大声で携帯電話をしている人への注意の仕方は?などと続く。
これらの質問に対するヨンエの対処法が実にふるっている。ただし、あまりにも露骨な内容なので、ここに書いたら最後、数多くの男たちから抗議されて、当サイトがダウンするかもしれない。だが、そんなことを恐れていてはヨンエの魅力が伝わらないので、少しばかり紹介しておこう。職場で何度もコーヒーを要求する部長に対するヨンエのアドバイスは、出勤の際、犬のうんちを踏んづけたかもしれないヒールでコーヒーをかき混ぜることだ。部長はコーヒーを口にした瞬間、全身に戦慄が走ることだろう。もし、緑茶を入れろと命ずる上司がいたら、日頃から職場に出没する虫けらを捕えて乾かしておき、お茶の葉にこっそり混ぜる。ちなみに、ヨンエはゴキブリを愛用しているそうだ。その芳ばしい香りは、天下一品だそうである。そのほか、相手を圧倒する罵詈雑言を放つことなどもアドバイスしている。
正直なところ、本で読む面白さに比べて、ドラマの方は若干違和感がないでもない。たとえば、バスの中でお尻を触った痴漢をヨンエが懲らしめる場面では、バスを降りて逃げる男をとことん追いかけて、体当たりして叩きのめす様子が描かれる。字面で読めば小気味良く感じられるものが、映像で見ると、ちょっと執拗に暴力的な感じがするのだ。また、地上波ドラマの立派なセットと美しい映像に見慣れている者にとっては、6ミリカメラでの撮影と、低予算の簡素なセットがどうにも物足りなく感じられる。
だが、あらゆるものは進化する。シーズンの回数が増えるにつれて、ヨンエも年齢を重ね、ドラマの展開や撮影技術も進化しているのだ。ヨンエは正社員から契約社員に転落したり、また正社員に就いて課長に昇進したりする。そんなヨンエを通して、社会問題となっている契約職問題を取り上げてみたり、未婚女性と平凡なサラリーマンたちが経験する職場でのストレスを描いてみたりする。もちろん、ヨンエのラブラインも重要だ。ようやくつき合い始めた後輩のイケメンは、結局、親が決めた女性と結婚することにしてヨンエのもとを去る。また、片思いしていた先輩は、海外へ派遣されてしまう。最新のシーズン8では、いよいよチャン・ドンゴン(これも同名異人)と結婚か、と視聴者に期待を持たせたが、式の数日前にドンゴンが心変わりし、破談に終わった。
このドラマで、イ・ヨンエを演じるのは喜劇俳優のキム・ヒョンスク(1978~)である。彼女は2005年のKBSギャグコンサートで、“出産ドラ”のキャラクターを演じ、一躍有名になった。“出産ドラ”とは、出産とカッサンドラ(ギリシャ神話に出てくる王女)を合わせた造語である。“出産ドラ”は“デブ教”(뚱뚱교)の教主で、「この世の痩せっぽちはみな消え失せろ。これからはデブたちの世の中が来るのだ…」という呪文を唱える。あやしげな宗教の教主に扮して、韓国社会の容姿第一主義を批判するギャグである。このギャグは
大当たりしたが、キリスト教徒の多い韓国で、一部のプロテスタント教徒たちから抗議された。そして、今度は「とんでもないヨンエ氏」の主人公に抜擢されたのだ。どちらも韓国社会の美意識に反旗を翻すという意味で、キム・ヒョンスクはイ・ヨンエ役に最もふさわしい人材だったといえるだろう。このドラマのヒットで、キム・ヒョンスクはすっかりお茶の間の人気者になった。
同名異人が多い韓国
韓国には同名異人が非常に多いのはご存じであろう。その理由はまず、姓氏が日本に比べて圧倒的に少ないことだ。姓自体は200ほどあるが、何せ人口の約半分は、金、李、朴、崔氏の四つの姓で占められている。それに鄭、姜、趙、尹、張、林氏を含めると、人口の六割以上にも達する。名の方も二字か一字で、似たような漢字が使われる(近年は漢字を使わずハングル名だけの場合も増えているそうだが)。その上、漢字は異なっても、ハングル表記は同じというものも多い。たとえば、“ヨンエ(영애)”は、“英愛”も“栄愛”も“映愛”も“永愛”もあてはまる。さらに、解放後、南の韓国では初声のㄹをㅇと発音するようになり、かつては“リョンエ(령애)”と発音した“玲愛”なども、今では“ヨンエ(영애)”と書くので、同じ発音の名前が多くなるという按配である。
日本の「ヨンエ」
ところで、韓流スターのイ・ヨンエと同じ名をもつ私は、このドラマのイ・ヨンエとは逆に、ずいぶんと恩恵を受けてきた方だ。私の名前は日本の姓と韓国の名が合わさったものだが、姓が日本のものであるせいか、多くの人は、名も日本風に読もうとする。そのため、私が漢字名の振り仮名を“ヨンエ”と書いても、それを無意識のうちに“ヨシエ”と読む人が多い。私がパスポートのローマ字表記を“EIAI(エイアイ)”から“Yeong-Ae(ヨンエ)”に変えたのは1998年だが、その時はこんなに“ヨシエ”に間違えられることになろうとは、思ってもみなかった。
2000年に日本に再定住して登録した住民票を皮切りに、私が手書きで「ヨンエ」と書いたものは、ほとんどのケースで「ヨシエ」と間違えられた。注意深い人ならば、「ヨシエさん、ですね?」と確認してくれるが、勝手に「ヨシエ」にしてしまう人の方が意外と多かった。傑作は銀行のキャッシュカードを作った時だ。ローマ字で“Yeong-Ae”と書いて申請したのに、送られてきたカードには、何と“Yoshie”と刻まれていた。さすがに頭にきて、その場でカードをメンコのように地面に叩き付け、さらにハサミで切り刻んだのを覚えている。また、健康診断の時は多くのスタッフに名前を呼ばれるため、「ヨシエさん」と呼ばれる回数も多い。その度に間違いを修正するのも疲れるものである。そのため、軽いノイローゼのようになり、名前を呼ばれる前はドキドキするようになってしまった。しかも、「ヨンエさん!」と正しく呼ばれたりすると、却ってびっくりするという有様なのだ。
ところが、チャングムが日本で流行し、イ・ヨンエが有名になると、状況が変わってきた。私の名前を見て、「あのイ・ヨンエさんと同じですね!」と言う人が、たまに出てくるようになったのである。その気分の良いことといったらない。それで、私も名前を名乗る際に、はじめから「チャングムのイ・ヨンエと同じヨンエなんです」と、言うようになった。すると、チャングムを知っている人であれば、表情がパッと明るくなるのだ。もちろん、中にはチャングムを知らず、相変わらず怪訝な表情をする人もいる。そんな時は、「とんでもないヨンエ氏」のイ・ヨンエのような性格になり、「チャングムも知らねぇのか?」と悪態をつく(もちろん、心の中での話だが)。それで、いつしか私は、名前を間違えられることがちっとも苦痛ではなく、むしろ楽しみにさえなってきたのである。
ここまで書いて、ふと思う。もしも日本で、この「とんでもないヨンエ氏」が有名になったら、どうなるだろう?私が「とんでもないヨンエ氏」と同じ名前です、と自己紹介すると、「性格までそっくりね」などと思われてしまうのではあるまいか?また、「あなたはどちらのヨンエに似てますか?」などと、少々意地悪な質問をされるようになるかもしれない。ま、それでも「ヨンエ」という名前が知れ渡るようになるのは、悪いことではないだろう。
写真出典
http://blog.cjhellotv.com/117
http://www.chosun.com/se/news/200407/200407130052.html
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