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『沈黙の春を生きて』をめぐって    川口恵子

2011.09.09 Fri

坂田雅子監督の最新作『沈黙の春を生きて』((Living the Silent Spring)が、9月23日(土)から10月21日(金)まで、岩波ホールで、4週間限定上映される。

題名が引用しているのは、レイチェル・カーソンの名著、『沈黙の春』(1962)(原題Silent Spring)アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.

化学物質は放射能と同じように不吉な物質で

世界のあり方、そして生命そのものを変えてしまいます

いまのうちに化学薬品を規制しなければ

大きな災害を引き起こすことになります

       レイチェル・カーソン『沈黙の春』

カーソンの言葉と姿を映す資料映像が冒頭と最後に引用されるこのドキュメンタリー映画は、ベトナム戦争期に米軍が大量散布した枯葉剤が、いかに、世代を超えて、人間の身体・生命に重大な影響を及ぼし続けているかを、観客に訴える。

おもな取材対象は、アメリカとベトナムの双方にまたがる。枯葉剤散布に関わり被害を負った米軍帰還兵の二世と家族、そして、ベトナムで直接枯葉剤を散布された被害者の二世とその家族だ。

枯葉剤は、当時の南ベトナムで、南部解放をうたい抗米救国戦争(ベトナムではベトナム戦争をこう呼んでいた)に従軍していた北ベトナム側のゲリラを、南ベトナムのジャングルから一掃するために、米軍によって、直接、大量散布された。

ゆえに、被害は、戦後、旧北ベトナムに戻った兵士・ゲリラ、旧南ベトナムの市民・兵士、そしてベトナム戦争に従軍した後本国に戻った兵士や看護婦、報道関係者、および、彼らの二世・三世と、広範囲に及ぶ。ベトナム戦争に従軍した韓国、オーストラリア、ニュージーランドの元兵士らにも被害は及ぶ。

アジア・オセアニア・アメリカと地球規模に及ぶ被害者の中で、本作が、特に焦点を当てているのは、枯葉剤の後遺症に苦しみつつ亡くなった帰還兵の父をもつ、ヘザー・バウアーさんだ。 自身も枯葉剤の影響によって、生まれながらに、足と指の欠損という障害を抱えて、生きてきた。 アートとカウンセリングの資格を持つという彼女は、自ら障害を乗り越えて生きてきた人らしく、誰も責めることなく、自分と調和するすべを心得、そして、他者の心を開き、また、他者の語りにも、よく耳を傾ける。

そんなヘザーさんが初めてベトナムの地を訪れ、現地の被害者とその家族と交流する様子を、坂田監督は追う。ベトナムの地は、ヘザーさんにとっては、父親の抱えた苦悩のルーツだ。苦悩とわたしは訳したが、demonという言葉を、彼女は記者会見の場で使った。

前作『花はどこへいった』にも登場した、ホーチミン市のツーズー病院内の平和村をヘザーさんが訪れ、被害を負った子供たちと通訳を介して、話をしている様子も映される(写真右上:ツーズ―病院を訪れたヘザー)

「将来、子どもは産む?」 

ひとりの少女に向けた、ほかの人には容易にできないヘザーさんの質問に、少女も心を開き、話し始める。 枯葉剤が含む猛毒のダイオキシンが、遺伝子に損傷を与え、胎児に影響を及ぼすことは、彼ら自身が身をもって知っていることだ。

ヘザーさん自身も結婚し、夫がいて、ふたりのかわいらしい子供がいる。 彼女は子どもたちの写真も、ベトナム人枯葉剤被害者の少女にみせる。

なにげない対話や交流に、当事者同士ならではの、互いの人生への敬意がみてとれる。(右写真:ヘザーとベトナムの子供の手)

とはいえ、映画が訴えているのは、枯葉剤がもつ猛毒のダイオキシンがいかに、将来にわたって、影響を及ぼし続けるかである。前述のツーズー病院 平和村には、身体の一部が欠損した、まだ幼い子供たちが、大勢いる。枯葉剤が含む猛毒のダイオキシンは、遺伝子に影響を与え、出産を通して、次の世代にも影響を与えるのだ。

出産機能をもつ女性の身体が、そこには、いやおうなく介在する。

堕胎されたのか、奇形の胎児が保存された、数々の瓶も、映し出される。

外見的には健常者と変わらなく見えても、体の内部にいくつもの異常を抱えるアメリカの帰還兵二世の娘たちは、思春期になると、それぞれに、女性としての悩みを持ち始める。 恋をしても、障害を打ち明けたボーイフレンドは去り、そのたびに深く傷つく。

ベトナム帰還兵との間にできた、先天的障害を抱えた娘を成人後に亡くしたアメリカの母親は、美しかった娘のアルバム写真を見せながら、無念を伝える。 自分を産んだ母親として、娘から憎まれたことも、隠さず、伝える。娘の苦しみをまじかにみてきた母親としての自らの苦悩も、静かな怒りとともに、語る。

アメリカ政府は、国としての戦争責任を認めず、帰還兵二世に対する補償も行ってはいない。 枯葉剤を製造していたダウケミカルやモンサントなどの化学薬品会社も、責任をまったく認めていない。

「彼らは、帰還兵たちが死ぬのを待ってるのよ」と怒りをこめて、「エージェントオレンジ・レガシー」を立ち上げたもう一人の寡婦はいう。

「でも、わたしたち寡婦が、ここにはいる」 Widows are here. という言葉が、力強く響く。彼女の描く絵は、ジョージア・オキーフの絵に通じる身体の痛みが表現されていた。ただし、色調はもっと暗い。

ヘザーさん自身も、記者会見の席で、今後、さらに、声をもたない三世のためにも、声をあげていくことが大事だと、主張していた。

自己主張のはっきりしたアメリカ人女性らしく、映画の中よりもさらに、生身のヘザーさんは、力強くメッセージを伝えることができる人だ。

他方、ベトナム側の被害者とその家族は、最後に登場する、盲目の男性琴奏者以外、ほとんど、自分たちの抱える問題について語る言葉をもっていないように見受けられた。

障害をもって生まれたこどもをケアするのは、この映画を見る限り、ほとんどが母親だ。

大きくなるにつれて、ますます介護することが大変になる中、物質的援助はうけても、「精神的な苦しみは誰とも分かち合えない」と涙するベトナムの母親の姿は、枯葉剤の問題を社会に強く訴えていこうとする、アメリカの母親の姿とは対照的だ。

ここに登場するベトナムの母たちは、寄り添い、触れ、支え、髪をなで、食事を与え、手を握り、うたい、そして、涙する。 被害者である子どもたちも、声をほとんどあげない。(右写真:キエウと母)

直接散布されたベトナム側の被害は、アメリカよりも、はるかに深刻であるはずなのだが。

ベトナム戦争に勝利したのは、ベトナム側であったが、結局、国力の差は教育にもついて回り、ベトナム女性たちは、自分の問題を、他者に向かって訴える語彙をもつに至っていない。

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ベトナム戦争中、ベトナムでは、「民族解放と女性解放が同時に達成されつつある」という幻想が、メディアによって流布された。臨時革命政府代表としてアオザイ姿で颯爽とパリ和平会談にのりこむグエン・ティ・ビン女史の姿に影響を受けた欧米のフェミニストは多い。メディアを介して報じられたベトナムの戦う女性たちの姿が、ベトナムに共感を呼ぶ上で、重要な役割をはたしていた。欧米の先進国におけるフェミニズム運動とベトナム反戦運動は、互いに関係を持ちつつ発展したのである。その関係をもっとも派手に象徴していたのが、「反戦女優」としてベトナム戦争末期に名をはせたジェーン・フォンダの存在であった。

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しかし、ベトナム研究者、古田元夫氏が指摘するように、事後的にみれば、ベトナム戦争は、「『民族』ネーションが最も輝いていた時代のもっとも典型的な民族解放戦争」であり、女性解放は、民族解放と等価とみなされていたわけではなかった。むしろ、民族解放なくして女性解放もありえないという構図が存在していた。

参考文献:古田元夫「ベトナム戦争とラッセル法廷」内海愛子・高橋哲也編『戦犯裁判と性暴力』所収

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であるとすれば、フェミニズムに関心のある者として、なすべきことは、当時、マスメディアを通じて世界に喧伝された「戦う女性兵士」の姿を再検証することではないか――

拙著、『ジェンダーの比較映画史』第二部、ベトナム革命映画の項で、わたしは、そうした問いを立てた。そして、ベトナム戦争の重要な時期に製作された劇映画(『分かち難き川の流れ』『『トゥー・ハウ』『17度線 昼と夜』)において、民族解放という革命目的に、どのように「解放された女性」像が動員されたか、再検討したのであった。 昨春訪れたハノイの女性博物館では、ベトナム映画の女性像の変遷を歴史的にあとづける貴重な展示が開催中で、それらの作品のポスターも展示されていた。特に、ベトナム戦争末期の1972年に北ベトナムで製作され、日本でも『愛は17度線を越えて』という邦題で自主上映されたハーイ・ニン監督作品『17度線 昼と夜』に登場するヒロインは、展覧会ポスターにも使われ女性博物館の前に大きく掲示されていた。南部解放という革命目的のために、「戦う南の妻・母・兵士」を体現する女性像である。

しかし、この映画の中の、戦争被害者の女性たちを前に、こうしたわたしの研究上の問いかけは、どれほど、効力をもっているといえるのだろう、と考えさせられてしまう。新たな問いの立て直しが求められる時代になったのかもしれない。

ただ、この作品中で取り上げられたベトナム女性たちの姿が、西洋メディアによって作られ、また、戦前・戦中・戦後を通じて、ベトナム国家によっても動員されてきたといえる、「犠牲者としてのベトナム女性」のイメージを再生産することにつながらないことを、願っている。

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第二次大戦中、日本は、ベトナムに進出し、「日仏共同支配期」(1940-45)とよばれる期間をベトナムの歴史に刻んだ。記者会見でうかがう限り、坂田監督は、そうした歴史認識の下に、この映画をとったわけではない。 しかし、日本人女性監督が、ベトナム、アメリカ、それぞれの戦争被害者の姿を、女性を中心に撮影し、また両者の交流をフィルムに刻んだことは、歴史的に意義深い。

前作『花はどこへいった』は、写真家だった夫グレッグ・デイビスの死が枯葉剤の影響によるものではなかったかという疑問を出発点としていた。

アメリカ人の夫を亡くした寡婦としての坂田監督の視点は、今回の作品においても、維持されているように思われる。 なぜ女性に焦点をあてたかというわたしの問いに、監督は、それがごく自然なものだったと、短く答えてくれた。

苦痛を抱えた女性の姿に焦点をあてたことで、本作は、結果的に、被害当事者とケアする立場の女性たちが、自ら、声をあげ、語る場としても、機能している。

それは、映画を撮るという行為が、ある種の治癒行為として、出演者に対し働きかける稀有な瞬間を、観客が目撃することにもつながる。

そこに、国家は介在しない。ただ、枯葉剤被害の影響の深刻さを世界に伝えたいという監督の志と、カメラを向けられる側の女性たちとの間に共有された何かから、それは生まれてくる。

身体的・精神的苦痛を抱えて生き続けながら、主体性をもって行動するアメリカ女性たちの姿には、おおいに、勇気づけられた。

ベトナム女性が、声を上げて生きる姿も、いつか、坂田監督に撮っていただきたい。

坂田雅子監督 『沈黙の春を生きて』

(ドキュメンタリー/カラー/HDV/日本/87分/2100年日本語、英語、ベトナム語)

(c)2011 Masako Sakata/ Siglo

岩波ホールにて4週間限定上映! 9月24日(土曜)~10月21(金)まで 他、全国順次公開

公式ホームページはこちら

(右上写真: ベトナムを訪れたヘザー)








カテゴリー:新作映画評・エッセイ

タグ:女性運動 / ドキュメンタリー / 川口恵子 / 日本映画 / 坂田雅子 / 女性映画 / 暮らし・生活 / 国家とジェンダー