
本当にむごいとしか言いようのない、元電通社員高橋まつりさんの自死です。そのきっかけのひとつに「おまえは女子力がない」と上司に叱責されたことがあったと言われています。「女子力」の語がひとりの若い女性の命を奪ったのです。
この「女子力」、朝日新聞でも何度か特集して、その意味する内容や、肯定的な受けとめ方や否定的な受けとめかたなどが紹介されていました。
もう何十年も前から言っていることですが、性質や能力を表現するのに「女」「男」を基準にする言い方は、いい加減やめたいものです。「女らしいしぐさ」「男顔負けのかせぎ」「男勝り」「女性ならではの…」などなど探せばきりがありませんが、それらは、従来、男はこうあるべき、女はこうでなければ、と社会的に決められ、枠にはめられてきた「女」「男」を基準にした表現です。そもそもこういう押しつけや枠を基準というのがおかしい。仮に、「男というものは、身長170㎝・体重60kgの人間である」とでも言えるなら、それは基準と言えるでしょう。でもそんなことはありえない。何千万人も何億人もいる「男」がそんな数字に当てはまることはありえないからです。
そうした客観的に示せるものはないのに、社会的に歴史的にそのときどきの力のある人たちに都合のいい「基準」が何となくあって、それにはめ込められないと、「女/男らしくない」と非難されたわけです。女も男も1億人いたら、1億人の個性がある、そこに立ち戻りましょう。「女」「男」は何かを表現するときの基準にはならない、いやできないということです。
A子は、自分に正直でいたいと思うから、いいことはいい、悪いことは悪いときっぱりと言います。B子は、言いたいことをみんなが言い合ったら衝突が起きると思うので、言いたいことがあっても言いません。どちらも女性です。
こうした性質や行動様式を「女性的」とか「男らしい」などと性と結び付けて言うことが多いのです。「C子は女性的だね」「そうだね、C子は女らしいね」などと。ではC子はA子タイプなのでしょうか。B子タイプなのでしょうか。「女」「女性」のイメージがそれぞれ違うと、「女性的」も「女らしい」も一致しなくなります。C子について、ある人はA子のような人を思い浮かべ、ある人はB子のような人を思い描くでしょう。そうなると、「C子は女性的だ」と言い「そうだね」とことばでは同意しているのに、思い描いている人物は違うことになります。すれ違ったままそれに気づかないというミスコミュニケーションが起こります。
「女子力」も実態がわからないことばです。「悪いけど、残業して今日中に書類を作ってくれないか」と言われて、「実は、先約がありますので、今日は定時に帰らせていただきます」というA子タイプが「女子力」がある人なのでしょうか。それとも、先約は断って「はい、承知しました」というB子タイプが「女子力」があることなのでしょうか。
ひとつのことばでいくつにも解釈できることばは、ことばの機能から言うと、優れていることばとは言えません。話者の伝えたい内容がそのまま相手に伝わるのが優れていることばです。
それに、日本人だけでも何千万人もいる「女子」はみんな違う人。その「女子」の力と言ってもどういう人のどのくらいの力かわからないのに、「女子力が大きい」だの「女子力がない」だの、どうして言えますか。
「女」「女性」「女子」の中身について考えもせず、昔からの都合のいい属性だけを鵜呑みにして、「でしゃばらず気が利く」のが「いい女」「いい女子」だと思っている上司が、そうでない部下を見ると「女子力がない」と難癖をつけるわけです。
しかも、今は男も女も性差がはっきりしなくなっている時代です。自己の与えられた性に疑問を持つ人もいます。性を変える人もいます。両方の性を行き来する人もいます。そういう時代に、いつまでも、従来通りの性別に対する偏見をもとにした表現を、使い続けるのはもうやめましょう。
もうひとつ、「女子力」のことばは差別語だという理由があります。「男子力」の使われ方と比べてみます。朝日新聞で検索してみると、過去1年間の記事の中に「女子力」87件、「男子力」8件出てきます(2017年2月25日23:30検索)。しかも「男子力」の場合は、「女子力」の対になる語としてのみ登場して、「お前は男子力がない」のような使い方では出てきません。
つまり、「女子力」だけが使われ、問題にされるというところがすでに差別的です。
「女流」の語を思い起こしてみましょう。「女流作家」の語、以前はよく目にしましたが、今は「女性作家」です。「男流作家」という語がないのに、「女流作家」という語を使うのは、女性の作家を男性より低くみている、差別的だと批判されて影が薄くなりました。それと同じです。「男性市長」という言い方はしないのに「女性市長」という言い方をするのはおかしいというのも同じです。「男子力」の語は使われなくて(使われたにしてもごくわずかです)、「女子力」だけ盛んに使われるのは公平ではありません。やはり、そこに従来どおりの思惑か、きめつけか、束縛か、あるいは過剰な期待か、なにかマイナス要因があるからなのです。
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