〈ミュージアム・オブ・チャンス〉より 2013年

〈ミュージアム・オブ・チャンス〉2013年

場所:東京都写真美術館
展示期間:2017年5月20日(土)〜7月17日(土)

ダヤニータ・シン(Dayanita Singh)は、インドのニューデリ生まれ、ニューヨークの国際写真センターで学んだ後、欧米雑誌のために女性カメラマンとして出発した、現在もっとも注目を集めているインド人写真家である。フォトジャーナリストであったシンが、90年代になって、あえてアーティストと肩書きを変えて再出発したのには理由があった。それは欧米人の望む、異文化としてのインド、カオスと貧しさのインド、つまりはいまだ健在なオリエンタリズムへの疑問であったという。

展示風景より

その後シンは、「来館者が目にする作品が不定期に変わり、作品の組み合わせ方で意味も変化(し)、出品点数さえ確定できない」(東京都写真美術館 事業企画課長 笠原美智子)キュレーター泣かせの作家だそうである。なんともラディカル!
そのシンの個展を東京都写真美術館が開いているというので見てきた。
展示室に足を踏み入れてみれば、勝手が違うというか、部屋の真ん中にあるのが、「インドの大きな家の美術館」(Museum of Bhavan)と題されたシリーズ。
常に壁に貼られる写真を壁から解放したいという意図で、本文の紹介写真でわかるように木材を組み合わせて、厚めの戸板(と呼ぶかなんと表現すればいいか)を立てその中に写真を入れ、戸板そのものはホールの真ん中に立つのである。その一つひとつを美術館とよび、いうまでもなくそれぞれは独立していて、現在までに大小10か所を作ったと。
壁からはがされた写真は、枠のなかに収まってはいるものの、じっとしていない様子で「聞いてください」とでもいうかのごとく、見る人に語りかけそうなのだ。

〈リトル・レディース・ミュージアムー1961年から現在まで〉より 2013年 撮影:ノニー・シン

なかでも評者が、特に興味をひかれたのが、「第三の性」シリーズである。
作者がずっと長い間に渡る友情を育てたのが、このシリーズの被写体、モナ・アハメドとのこと。
「マイセルフ・モナ・アハメド」
一時期、80年代の終わりから90年代にかけて、インドでヒジュラと呼ばれる存在(両性か無性か)が話題になったことがあった。著作も出た。
モナはユーナック(eunuch-去勢された男性)とされているがヒジュラとは確かに別者だろうし、トランス・ジェンダーとも違うだろう。ユーナックとは、去勢された男性をいい、特に女性が住む領域で、女性を守るために雇用され、そのために去勢された、と英英辞典にはある。
評者はジェンダー論に興味を持つために、言葉にいささかこだわった。 モナ・アハメドの裸体(性器のあたりは布で覆われていた)はたしかに女性である。
彼女が徹底して差別の対象になり、暴力を振るわれてきた事実は想像にあまりある。
シンはこのようなユーナックの部落に入り込むことを許された特別な存在であった。
「中産階級」の出自に拘らず、シンの視点がこのようなところにあるとすれば、オリエンタリズムに「反」を唱えることにも十分同意できる。

〈私としての私〉より 1999年 京都国立近代美術館蔵

すこし前の1999年の作品「私としての私(I am as I am)も興味深かった。
これらの写真からは、典型的なインド・イメージから解放された女・女子・男子のまぎれもない尊厳につつまれたやさしさが垣間見られて楽しい。
(ひょっとして)人生の不条理と苦渋の嵐にもまれながらも、スクッと大地に足をつけた居ずまいの確かさを示してあまりある。一人の少女がまっすぐ飛び上がっている一枚。
何をしているのだろうと、、、、、。ふと祈っているに違いないと思えた。

作者のお顔があれば、「よくやっていらっしゃいますね。エールを送ります」と 一言ささやきかけたかったが、彼女はたぶんいなかった。ベッドの上で仰向けになった等身大の姿のまま、顔は大きなカメラでほぼ隠され、それを真上から取った写真があった。
それかな?と思ったものの確信はない。

河野 貴代美