あれだけ、「女性の輝く社会」と大声で何度も何度も叫んだ人が、そんなこと言ったっけ? みたいな平気な顔で、解散を宣言しました。その政策で、女性がどれだけ生きやすくなったか、どれだけ女性が幸せになったか、その結果どれだけ女性が輝いたか、何の数値も検証もなく、さっさと別の方向にハンドルを切って、もうアシタのほうに向かって走り始めています。

 解散の名分は、2年後に引き上げることになっている消費税率が実現したときの、お金の使い方を決めておきたいから民意を問うのだとか。全く今の時期、こじつけ以外の何物でもない言い分です。かと思うと、「国難を突破する解散」だとすごいことをおっしゃる。「国難」てなんですか。まさか大昔の蒙古襲来ではあるまいし、国にどんな困難がふりかかって、それを突破しないとどうなってしまうというんですか。

 森友学園・加計学園の疑惑に対して答えると約束しておきながら、そんなことは「小さな問題」(二階幹事長)とそらして、戦前の恐怖政治を思い出させるような「国難」などというおどろおどろしいことばで、素直な国民を縮み上がらせ、おとなしく従わせようとする。

 安倍さんの論理についていくと、どんどん本筋から離れて戦前の「国難」にまでお供することになるので、元に戻します。

 「女性が輝く社会」にするというスローガン、あれはなんだったんですか。時の一番の権力者が真面目な顔をしておっしゃるものですから、まさか、そんな中身のないリップサービスだとは思わなかった人もいます。うすうす危なっかしいとは思いつつも、女性が輝けるのはいいことだと、真に受けて期待した人もいます。

 国連のジェンダーギャップ指数で、日本はなんと111位。これでは何とも情けない、少しは引き上げなくてはと、安倍さん思ったのかもしれない。もしかしたら、安倍さん、本気で汚名をそそがなくてはと考えた、そのために、女性を輝かせなくてはと考えたのではと、権力をもたない庶民の悲しさ、疑心暗鬼もいつの間にか期待に変わっていた人も多いと思います。

 そのあげく、「女性が輝く」ことはなんにもしないまま、あっち向いて行ってしまいました。女性はスローガンとして大いに利用され、結局は騙され捨てられました。そして、なお悲しいことに、多くの女性は騙した首相を恨んだり非難したりするよりも、騙された自分が悪いんだと思ってあきらめてしまいます。何も言いません。その繰り返しです。

 でも、私はしつこく言います。時の宰相が堂々と宣言したことを、まるで何も言わなかったように知らんぷりしないでください。ご自分の言ったことに責任を持ってくださいと。
 
 安倍さんの政策で、保育園に子供を預けられるようになって、安心して職場に復帰できた女性はどのくらい増えましたか。子どもの給食費が払えなくて、困っている母親がどれだけ減りましたか。老々介護の女性が、ほっと一息つく時間がどれだけ増えましたか。

 これらは、毎日を生きるためのほんの小さな基本的な女性の安心です。「輝く」より、もっともっと前の段階です。女性が「輝く」社会とは、その前に、こうした日常の平穏な生活の保証があってこそ実現します。土台が築けていないのに、空中に豪華なシャンデリアの部屋ができるわけがないのです。だから、首相の「女性の輝く社会」政策は眉唾物だった、リップサービスに過ぎなかった、本気で女性を輝かせるなどと思っていなかったと、今はっきりしたのです。

 たったひとり輝いた女性がいるとしたら―ーそれは、首相夫人昭恵さんの秘書だったTさんです。昭恵さんに代わってFAXを森友学園に送った「功績」によって、今春ローマのイタリア大使館勤務に異動になりました。官庁の中でも、異例の抜擢人事だともっぱらの評判ですから、「輝く」事例と言えそうです。Tさん自身をとやかく言うつもりはありません。現政権のやり方の一例としてあきれて見ているのです。

 また、選挙が始まります。もう、こうした首相のことばには騙されないように、自分がバカだったと泣き寝入りしないように、今度こそじゅうぶん用心してかかりませんか。