
テレビのニュースをみていたら、沖縄戦で家族5人を失った女性Tさんが出ていました。アナウンサーは、その女性の母親が「女手ひとつで」Tさんを育て上げたと伝えていました。
夫を亡くしたり、夫と別れたりした女性が子供を育てているとき、また、育て上げたとき、この表現はよく使われます。常套句と言ってもいいほどです。その女性が苦労しながら子供を立派に育て上げたという、一種の誉め言葉のような意味合いがあります。「女の細腕」と似ています。
新聞記事も検索してみました。
女手一つで6人きょうだいを育てた母…毎日新聞3月19日
母敏子さんに姉2人とともに女手一つで育てられた。朝日新聞1月9日
などなど、すぐ見つかります。夫をなくした女性がひとりで6人もの子供を育て上げるのは並大抵のことではありません。たくさんの苦労や涙があったことでしょう。それを成し遂げた母親は本当に立派です。どんなにほめてもほめすぎるということはないでしょう。
でも、ちょっと待ってください。これってほめことばでしょうか。本当にその女性をほめていることばでしょうか。次の2文を比べてみましょう。
A:夫に先立たれたみどりさんは、会社員として働きながら、2人の子供を育て上げました。
B:夫に先立たれたみどりさんは、会社員として働きながら、女手ひとつで、2人の子供を育て上げました。
Aでも、夫を亡くしたみどりさんが子供を育て上げたという事実は十分伝えられます。Bはそれに書き手の思いや評価が加わっています。偉いなー、立派だねー、すごーい、などという評価や感嘆などです。
その評価や感嘆はどこからくるのでしょうか。女がひとりで子供を育てるようなことはとうてい無理なことだ、できるはずがない、でも、その無理なことを頑張ってやり遂げた、だから偉い、立派だ、となります。つまり、女がひとりで子供を育てるのは無理だ、という大前提から出発しています。この大前提の下で成り立っていることを考えると、ほめられてもうれしくなりません。もともと、あなたは半人前だった、ひとりで子育てなんかできない人だった、それを頑張ってやり遂げたのだから偉い!ということになります。女性の力を過小評価する前提に乗っかってものいわれてもうれしいはずはありません。
もちろん、歴史的な背景も無視することはできません。女性の方が経済的・社会的に弱い立場におかれていましたから、その女性がひとりになったとき、子育てに苦労するのは男性の比ではありませんでした。こうしたハンディキャップを背負わされていた事実が「女手ひとつで」の表現を生んだことは認めなければなりません。でも、今は女性がひとりでは子供が育てられないという前提は成り立ちません。
最近「男手ひとつで」子供を育てたという文章も見るようになりました。これも同じことです。男は子育てなんかできない、という前提があるからこそ、こういう表現が有効になります。でも、それは事実に反するし、子育てする男性に失礼です。
要するに、女ひとりでも男ひとりでも子どもを育てることはできるのです。もちろん、子育てできない人もいます。それは女にも男にもいます。子どもを育てあげることができるかできないかは、女か男かではないのです。その人によるのです。
女だから…男だから…、女は…男は…と性で分けてしまう考え方から、そろそろ自由になりましょう。
「女手ひとつで」も「男手ひとつで」ももうやめましょう。
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