なんとも腹立たしい毎日です。うそとセクハラがまかり通っているこの日本という国、子供たちに恥ずかしいし、外国から学びに来ている留学生たちにも恥ずかしいです。
セクハラに対する麻生大臣の発言など言いたいことは山ほどありますが、そう何もかもは言えないので、今回は、4月初めから問題化している大相撲の女人禁制に絞ります。この女人禁制もまさに女性差別。セクハラが横行し、女人禁制がまだ温存されているから、日本のジェンダーギャップ指数は114位に低迷しているのです。
大相撲の舞鶴市の春巡業で、市長が土俵であいさつしている最中に倒れました。その手当に、いちはやく土俵にかけ上がった女性に、場内アナウンスが下りるように言ったことから、相撲協会の女人禁制がクローズアップされてきました。相撲協会は、場内アナウンスに対して、人命にかかわるときに女性に下りるよう言ったことは遺憾として謝罪しましたが、人命にかかわらなければまだ女性は上がらせないと言っています。
以前、森山真弓さんが官房長官のとき、土俵上で賜杯を渡すことができませんでした。大阪府知事だった太田房江さんも、表彰式の土俵に上がれませんでした。最近では宝塚市長の中川智子さんも、巡業相撲で土俵上でのあいさつは許されませんでした。賜杯を渡す役についたり、自治体の長としてあいさつに立つ女性が増えて、男性と同じ土俵で活躍するのが当然の世の中になっているにもかかわらず、女性だから土俵に上げないというのは、まさに女性差別です。こういう差別的風土と、セクハラ横行とは全く同じ日本社会の「ウミ」です。
相撲協会は、過去に問題が起こったとき、「相撲は神事が起源」「大相撲の伝統文化を守りたい」「大相撲の土俵は男が上がる神聖な戦いの場、鍛錬の場」の3つの理由を挙げてきたのだそうです。(朝日新聞4月29日15面)
「伝統文化を守る」と言われると、あ、そうだよね、伝統は大事だから守らなくてはね、と、素直に思う人は多そうです。ちょっと待ってください。「伝統」って何なんでしょう。「伝統」ってそんなに大事なものなんですか。ちょっと立ち止まって、伝統というものについてじっくりと考えてみませんか。
辞書にはこう書かれています。
昔からうけ伝えてきた、有形・無形の風習・しきたり・傾向・様式。特にその精神的な面。「―を守る」「-的」(『岩波国語辞典』第7版新版)
伝統とは、有形・無形の風習・しきたりだというのですから、社会や国といった大きな組織の中に伝わるもののことだけでなく、私たちの日常生活で親から教わってきたことなども、みな含まれるというわけです。
そういうものであるなら、昔から伝わってきたものとして、何がなんでも守らなければならないものではないかもしれません。実際問題として、わたしたちは、いや親の世代も、祖父母の世代も振り返ってみて、伝統だからなんでもかんでも守ってきたでしょうか。身近な例で考えてみます。畳に座って、ちゃぶ台でご飯を食べてきた伝統は、今どうなっていますか。家長が上座に座って食事をし、まず家長がお風呂に入らないとだれもお風呂に入れなかった、あの伝統は今どうなっていますか。すすはらいから始まって、大掃除をし、餅つきをし、門松を立てて新年を迎える準備をした、あの暮れの伝統行事を守っている家族はどのくらいあるでしょうか。
伝統でも、生活が変わり、時代に合わなくなったものは守らなくなります。いや、守れなくなります。人々の暮らしや考え方に合わなくなれば、廃れていきます。そして新しい風習やしきたりが生まれてきて、また、それが伝統となり、そしてそれもまた廃れていく、この繰り返しです。
こうした繰り返しを考えればわかるように、伝統というのはだれかが作り出したものです。神様が作ったものではありません。人間が、都合のいいように作って守って来ただけです。
ここで、だれかが作った「伝統」の例をひとつ挙げてみます。
私の家の近くの神社で起こったことです。小さな神社で、鳥居からお賽銭箱のある本殿までの参道の距離は50メートルほどです。初詣の時はそこに行列ができます。その参道の真ん中あたりに、最近、藁で編んだ太い輪が2つ置かれるようになりました。その2つを8の字のようにくぐって本殿に進むというわけです。そんな物のない時代を知っている私たちは戸惑うのですが、最近の初詣の人は、それを昔からあるものだと思って嬉しそうにくぐっています。くぐるといいことがあるらしいのです。この輪くぐりをこの神社の伝統的な行事の一つと思ってありがたく受け止めているでしょう。こうした、前のことを知らない人がだんだん増えてきます。知らない人は伝統だと思って受け入れていきます。ばかばかしいと思われるかもしれませんが、伝統ってそんなものなんです。だれかの思いつきや、だれかの信心から始まった行事やイベントが、年を経るうちに揺るがぬ伝統のようになるのです。
大相撲だって同じです。信心深いだれかが土俵には神様が宿っているとか何とか言い出せば、土俵は神聖な場所になるのです。信じている人の気持がそれですみ、それで清々しい気持ちになるのなら、それはそれでいいでしょう。だれも邪魔をしないでおきましょう。ただ、それが公の場になると問題は別です。「国技」とかの場になると、それではすまなくなります。そこは、人権は何よりも尊重されなければならないという近代社会のルールに従ってもらわなければなりません。伝統に名を借りた女性差別は即刻やめてください。言いたいのはただそれだけです。
この際、もうひとつ言っておきたいことがあります。女性が大相撲を見に行かないことです。そして切なるお願いです。相撲の好きな方もいらっしゃるでしょうが、ここはぐっと我慢してください。女性が土俵に上がれるようになるまで、大相撲を見に行かないでください。
2018.05.01 Tue
カテゴリー:連続エッセイ / やはり気になることば