水玉小僧こと鈴木順三さんは、50歳以上入学資格限定の立教大学セカンドステージカレッジの元上野ゼミ受講生。「研究テーマは?」と聞くと「水玉の研究」というので、唖然とした。社会学のゼミではそれは扱えませんと伝えたが、後から水玉とは、彼を幼児期から悩ませた幻覚であることがわかった。それなら「水玉の当事者研究」をやればよい・・・そう励まして、研究が始まった。水玉の幻覚は華麗に変身を遂げ、もともと彼が持っていたデザインセンスとあいまって、水玉アートへと進化を遂げた。かれはこれをインタビジョンintervisionと名付ける。内的光景inner visionではなく、いったん外化したもうひとりの自分と相互交渉する過程で生まれる新しい創造だからだ。
その鈴木さんが三年ぶりに二度目の個展を練馬区立美術館区民ギャラリーで開催する。その個展のパンフレットに寄せた上野の解説をご紹介したい。
会期はゴールデンウィークの真っ最中だが、コロナ禍は収まっているだろうか。収束を祈りたい。
名称:鈴木順三インタビジョン展
会期:5月1日〜5月6日
場所:練馬区立美術館区民ギャラリー
新型コロナウイルス感染拡大防止のために中止する場合があります。
ホームページまたは会場にお確かめください。
ホームページ:https://pop23618.wixsite.com/intervision
練馬区立美術館:https://www.neribun.or.jp/museum.html
解説:水玉小僧進化史
水玉小僧こと鈴木順三さんは進化している。わたしは水玉アートの誕生に立ち会い、その成長を見守り、その進化を証言できる者であることを、誇りに思っている。
鈴木さんにとって幼時は反復脅迫の恐怖でしかなかった水玉が、イマジネーションの源泉となる「インタビジョン」に変容した。アートは誰にとってもなにがしか、現実逃避と自己治癒の要素がある。鈴木さんが草間彌生を引用して言うように、反復脅迫のアートは、現実と自己との遮蔽膜であり、離人症の徴候の一種であろう。現実の果て知れなさに応じて、壁もまた無限に増殖しつづける。
鈴木さんの水玉アートに変化を感じたのは、いつだっただろうか?
無限反復だった水玉に焦点が登場し、リズムが生まれ、変調や破調が出てきた。それは鈴木さんが自分ひとりの「妄想illusion」だった水玉を、他者と共有可能な「インタビジョンintervision」にすることで、水玉を手なづけ、操作することができるようになったからであろう。それを可能にするのが「外化」である。そうなれば、かつて恐怖であったものは、今や「贈与」となる。
トラウマ的経験は、言語による外化によって、くりかえしくりかえし反復されることによって操作可能になる。例えば、性暴力サバイバーが体験を語り続ける過程で、「13歳のとき、義父がわたしにのっかってきて・・・」という語りが、そのうちその陳腐さにぷっと吹き出すに至るまでに。沈黙や抑圧より、表現こそが人を解放するのだ。そうすることで、経験はコントロール可能になり、記憶は再定義される。
鈴木さんに見えている絢爛たる世界を、わたしは目をつむっても見ることができない。鈴木さんに見えるものが、なぜわたしには見えないのだろうか?その違いを決めるのが、才能というものだろう。
わたしは鈴木さんの才能を羨む者として、水玉アートのささやかなコレクターになるほかないのだろう。