
■まわりまわってたどり着いた縁
「もろさわようこ」――この名前に反応する方はどのくらいいるのだろう。
ある年代の人にとっては、胸がキュンとする名前である。かく言う私もその一人。
学生時代、もろさわさんの『信濃のおんな』『おんなの戦後史』などを読み、地に足のついた女性史に惹かれた。20代の私にもろさわさんの言葉が入り込み、感じ入った。
そして、これらの本を刊行する出版社に就職したい!と思って直談判することにした。新卒など募集していなかったから、行くしかなかった。
突然訪ねてきた学生を松本昌次さんという編集長が迎えてくれた。何かいろいろ話してくださったのだが、あがってしまって覚えていない。ただ覚えているのは、「編集者になんてならなくていいよ」いや、ならない方がいいよ?だったか。意味がわからずそそくさと退散した。
ご自身が編集者であるのになぜ編集者になるなというのか、不思議だった。なってみなければわからないと思い、その後も編集アルバイトやいくつかの小さな出版社に入ったり、フリーになったりして、1986年、学生時代に松本さんの論考を読んで影響を受けたという和田悌二さんと出会い、一葉社を立ち上げた。「松本昌次」の名前が出なければ、一葉社は生まれなかった。
その松本昌次さんが2019年1月に92歳で亡くなった。4月には「松本昌次を語る会」という追悼集会が行なわれた。その会場に、信濃毎日新聞記者の河原千春さんが、もろさわようこさんの追悼の言葉を携えて長野から駆けつけてくださった。懐かしくもあり、胸がキュンとするような名前に40年数年ぶりに再会した。もろさわさんと松本さんは、本をきっかけに「同志的」な関係性を築いてこられた。
河原さんはそのころ、信濃毎日新聞で「夢に飛ぶ もろさわようこ、94歳の青春」というタイトルの連載記事を発表している最中で、掲載されるたびに送ってくださるようになった。記事を読みながら、学生時代の記憶が徐々に蘇ってきた。
そして、もろさわさんが、「書く」という表現から、「志縁という思想」の実践活動による表現に重点を移されたことを知った。「志縁」とは、地縁や血縁に縛られて個としての自由を失うより、志や生き方への共感で結ばれる関係性でこそ人は解放される、というものだ。志縁を実践するために、長野県佐久市に「歴史を拓くはじめの家」(現「志縁の苑」)を開設し、同様の交流拠点を沖縄県南城市、高知県高知市にも構え、思想運動を展開していることを知った。
■パッションに突き動かされて
本書の編著者である河原千春さんは、2013年に初めてもろさわさんに出会う。以来、唯一無二のもろさわさんの言葉に惹きつけられ、渾身の取材を続ける。河原さんの、もろさわさんに対するパッションが本づくりの源泉だった。
100歳近いもろさわさんと、1982年生まれの河原さんが紡ぎだす言葉は、今を生きる私たちが、それぞれの「在りよう」を根源的に考えるヒントとなる。
河原さんは、もろさわさん自身がかつて新聞や書籍、機関誌などに発表した論考を12本選び出し、第四章に収録。
1966年~68年に信濃毎日新聞で連載後、69年に未來社から出版された『信濃のおんな』から選んだのは「軍国の女たち」「敗戦と女たち」「きょうの女たち」の3本。初出の新聞版と出版された書籍版ではかなりの違いがあることに進行しながら気づく。どちらも、著者のもろさわさんだけでなく、担当した編集者の意思を感じられるような違いである。書籍版を担当したのは、あの松本昌次さんだ。
河原さんは丹念に読み込み、新聞版と書籍版の「良い部分を補い合うように再編集」した。つまりは、本書のオリジナルであり、河原千春版といえる。もろさわさんからの信頼があればこそ、である。
書名について、「~蔑視の意味も含んだ『おんな』をあえて使って女性差別を見据え、解放像を探った『おんな』の実像に迫りたいという意志を込めた。」と河原さんは記す。
さらに言えば、もろさわさんへのオマージュと、もろさわさんの志を河原さんが継承することを書名で〝宣言〟する、という意味も込めた。
20代の私が感じ取ったもろさわさんの言葉は、「天皇の戦争責任と、天皇制がなくならない限り、このクニの差別はなくならない」というものだ。その言葉を今も糧にしている。
もろさわようこさんをキュンと思い出す方も、全く知らない方も、今という時代だからこそ、ぜひ手にとって、読み取って、感じ取っていただければ、と 切に願う。
もろさわようこさんがマスメディアから遠ざかって40年余り、その〝空白〟の思想と実践を埋める初の書でもある。
[編・著者]
河原千春(かわはら・ちはる)
1982年横浜市生まれ。2007年信濃毎日新聞社入社。飯田支社、長野本社報道部を経て、文化部に異動した13年「くらし」面の取材でもろさわようこさんと出会う。
共著に『認知症と長寿社会――笑顔のままで』(新聞協会賞、JCJ賞ほか受賞)。
もろさわ ようこ
1925(大正14)年、長野県北佐久郡本牧村(現佐久市)生まれ。戦後、新聞記者、紡績工場の企業内学院の教員を経て上京。日本婦人有権者同盟会長の市川房枝に見出され、機関紙を編集。『婦人展望』などの編集者を経て執筆活動に入る。
著書に『おんなの歴史』『信濃のおんな』『おんなの戦後史』『おんな・部落・沖縄』『わが旅……――沖縄・信濃・断層』『おんな論序説』『大母幻想――宇宙大のエロス』『南米こころの細道』など多数、編著に『ドキュメント女の百年』全6巻がある。
[もくじ]
は じ め に
第一章 志縁へと
1 「嫁に行かず勉強したい女は非国民」――敗戦で「見て、考える」覚悟の芽生え
2 「私たちは一票しか闘う場所がない」――市川房枝の遺志を継いで
3 「憲法ができて七十年余り、絶望的な状況」――不戦の誓い、理念を生きる
4 「男女差別が日常の生活文化に」――百年前から変わらない問題
5 「基本的人権、生き得ていない自分に気付いた」―― 部落問題、人間解放の原点
6 「歴史を拓くはじめの家」 宮古島の祖神祭との出合いから ――愛と祈りに未来への希望
7 「志縁は自由の中に」――「歴史を拓くはじめの家」の営みで実感
8 「生きている限りは自分を新しく」――受難を祝福に変えていきましょう
*「もろさわようこ」とわたしたち ①
第二章 志縁に生きて
1 佐久の拠点「志縁の苑」――集う人を照らす「灯台」に
2 「今を生きるあなたが後世の女性史」――平和願う舞に生きざま
3 紡績工場の学院で学んだ教え子――「社会に貢献を」の言葉胸に
4 部落差別に声を上げる女性たち――「あなたのままで」と励まされ
5 集い「何か」を見いだした女性たちの記録集――営みや思い、未来に託す
*「もろさわようこ」とわたしたち ②
第三章 志縁を拓く
1 もろさわさんは「私たちの歴史家」――どう生きれば、足元照らす 斎藤 真理子さん(翻訳家)
2 『おんな・部落・沖縄』の問題提起――女性史・ジェンダー史研究の入り口 大串 潤児さん(信州大学人文学部教授)
3 スケールの大きい思想――自明の理論見直す契機
平井 和子さん(近現代日本女性史・ジェンダー史研究者)
4 最も痛み深く生きる人々の場から見つめる――常に問われ続けて
斎藤 洋一さん(信州農村開発史研究所長)
5 地域女性史を継承すべき歴史に――ジェンダー視点で再評価を 柳原 恵さん(立命館大学准教授)
6 女性の視点で沖縄の歴史を捉え直す――後世のために、記録し残す 宮城 晴美さん(沖縄女性史家)
7 被差別部落の女性史を明らかにする――分断と対立進む今に必要
熊本 理抄さん(近畿大学人権問題研究所教授)
*「もろさわようこ」とわたしたち③
第四章 おんなたちへ――もろさわようこが紡いだことば
『信濃のおんな』より 軍国の女たち/敗戦と女たち/きょうの女たち
『おんなの戦後史』より 戦争の共犯者/性の犠牲/女子学生亡国論/ウーマン・リブ
部落の解放と女の解放
女性史研究の中から
女もまた天皇制をつくった
「歴史を拓くはじめの家」はどうしてできたか
「歴史を拓くはじめの家」から「志縁の苑」へ
*「もろさわようこ」とわたしたち④
第五章 沖縄から見た〝新型コロナ〟 ―― もろさわようこが語る「いま」
「コロナは怖いけれども、戦争よりはましです」
1 むき出しの米国支配、容認するヤマト――問題意識持ち、連帯を
2 格差や環境、あらわになった矛盾―― 災いを福に転じる契機に
3 戦中と重なる「自粛警察」―― 主体性の喪失、主権者意識の確立を
謝辞に代えて――拝復 もろさわようこより
あ と が き
もろさわようこ関連年表
◆ 書誌データ
書名:志縁のおんな――もろさわようことわたしたち
編著者名:河原千春
頁数:352頁
刊行日:2021/12/02
出版社:一葉社
定価:3000+税
慰安婦
貧困・福祉
DV・性暴力・ハラスメント
非婚・結婚・離婚
セクシュアリティ
くらし・生活
身体・健康
リプロ・ヘルス
脱原発
女性政策
憲法・平和
高齢社会
子育て・教育
性表現
LGBT
最終講義
博士論文
研究助成・公募
アート情報
女性運動・グループ
フェミニストカウンセリング
弁護士
女性センター
セレクトニュース
マスコミが騒がないニュース
女の本屋
ブックトーク
シネマラウンジ
ミニコミ図書館
エッセイ
WAN基金
お助け情報
WANマーケット
女と政治をつなぐ
Worldwide WAN
わいわいWAN
女性学講座
上野研究室
原発ゼロの道
動画





