2015.08.09 Sun
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください.「女の一生をみんな何と思っているんだろう!」。村の女教師・瀧子は、男の打算的・功利的な人間性を見抜いて青年学校主事・山口の求婚をきっぱりと断る。戦時下の「結婚報国」に巻き込まれない女の抵抗を描く、宮本百合子の『鏡の中の月』(1937年)。さらに戦時イデオロギーを深く内面化し、性役割を生きざるをえなかった、若くして寡婦となったつや子を描くことで戦争の悲惨さを訴える『播州平野』(1946年)。「ごくあたりまえの日常的、個人的、身近な問題を通して戦争に巻き込まれていく人々」の姿が浮き彫りにされていく。
1945年12月、新日本文学会の立ち上げに、佐多稲子は戦中の戦地訪問の戦争責任を問われ、発起人に加わることを断られる、それもプロレタリア文学運動の同志によって。その苦渋と自己への問いから、晩年まで戦争の記憶にこだわり続けていくのだが、朝鮮への戦地訪問の見聞を書いた『白と紫』(1950年)は「女性作家の目で見たアジアへの侵略戦争の記憶表象の白眉」と、編者の長谷川啓は評している。
同じく「おほかたの作家はペンををさめてみんなだまりこんでしまってゐた」と敗戦直後に書いた林芙美子もまた、戦後、『河沙魚』(1947年)を書き、多くの作品を世に送り出す。戦地に夫を送り、夫の家で暮らす嫁を襲うものを、家族内の悲劇のみならず、性の誘惑や本能までも描きだす「戦後文学の最高峰」と評者の尾形明子はしるしている。
「戦時下から戦後、そして現代まで国家に回収されることのなかった一人ひとりの人間の営み、抵抗や反戦の声をいまこそ蘇らせてみたい」。
「本書が、いま文学や文学批評に何ができるのかを改めて問い直すきっかけになれば」との思いでまとめられたという。
<戦時下の抵抗とアジアへのまなざし>――宮本百合子、平林たい子、佐多稲子。<戦争の傷痕と「敗戦」を生きる女たち>――林芙美子、壺井栄、三枝和子。<「核」の時代と向き合う>――大田洋子、大庭みな子、林京子、米谷ふみ子を採り上げ、それぞれ10人の執筆者たち(岩淵宏子・岡野幸江・長谷川啓・尾形明子・小林裕子・中山和子・黒古一夫・清水良典・永岡杜人・北田幸恵)が評している。みんな読みごたえのある力作ばかり。
沼田真理・編のキーワード解説のコラムと戦争に関する女性文学年表も、とても参考になる。
戦後70年のこの夏、ぜひ読んでみたい、おすすめの一冊。 (やぎみね)
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