2014.04.23 Wed
<2月26日、N氏永眠>の訃報が入り、茫然としている。N氏との初対面は1971年4月、東京銀座に開設されたばかりのM法律事務所。27歳のN氏は弁護士として、29歳の私は事務員として。どちらも子持ち離婚経験者で、私は実母と子供を育て、N氏はすでに再婚者と暮らしていた。
ある日、N氏から受け取った数枚の手書きビラは、リブ合宿への呼びかけだった。
「女は来い。ガキ連れて来い。踏みしだかれた女の情念、今や、白日のもとに……」。こんなに面白くてノレルビラ、見たことないゾと、8月21~24日、2歳半の娘をつれて長野県飯山市の山奥に向かう。着いて仰天、全国から集まった250余名の女たちで民宿ははち切れんばかり。あの熱気は今も私の心を熱くする。しかし後日の女性週刊誌には、やれ行儀が悪いとか、やれヌードになったとかの面白半分、ヤユ記事ばかり。それが悔しい女たちは、一年後に自分のリブを綴った『女の思想』(サンポウブックス)を出し、やっぱり全国区版にしなきゃあと二年後に、『女・エロス』を誕生させた。
マスコミや世間が流す、かくあれとする女性像に、女(わたし)のリブを主張し、行動して社会を変えるネットワークが必要だった。
1973年の創刊号=「婚姻制度をゆるがす」から1982年の終刊号=「女解放なくして反戦なし」まで、年2回、200頁、各3千部(創刊号は延2万部)全17巻の発行は、編集・執筆・装丁・カット・写真等すべてを、10代~80代、600余名の女たちだけの手弁当で創られている。
2014年2月26日、N氏の逝去日はあの日のように雪は降っていなかったが、奇しくも、1936(昭和11)年は、2・26事件が起き、続く5月18日には阿部定事件も起きた年だった。クーデターを起こした陸軍皇道派の青年将校・兵士ら男たちを凶荒の農村から都会へ送り出し、家族兄弟のために身を売った姉妹たちの女の性と、一方、自身への執着のあまり男を殺した阿部定の性は、時代を通底して今もゆきくれているだろうか。
『女・エロス』8号=「つくられる女像」でも「愛のコリーダと性の解放」をとりあげていたナ……。
こうしてN氏(72歳)の死は、私に41年前の『女・エロス』をつれ戻してくれた。まるでブーメランのように……。
2014・4 吉清 一江
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