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voices-wanビデオニュース一周年記念イベント「いま、福島と東京のはざまで」感想紹介

2012.10.14 Sun

2012年10月6日、早稲田大学戸山キャンパスにて、voices-wanビデオニュース一周年記念イベント「いま、福島と東京のはざまで ~お茶とお菓子をかこんでのビデオ上映会」が開催されました。

 voices-wanでは、昨年の東日本大震災、東電福島第一原発事故以降、「福島と東京の距離」そして「原発と差別」をテーマに据えて、関連取材を継続的に行ってきました。

 当日はその取材成果の一部を上映するとともに、取材を通してメンバーが考えてきたことをお話ししました。

ビデオ上映に際しましては、東京の出版社生活書院代表で福島出身の高橋淳さんと、東京出身で福島在住、福島アウシュヴィッツ平和博物館館長の小渕真理さんにコメントをいただきました。

ビデオにもご出演いただいた敦賀市議の今大地はるみさんも、福井から駆け付けてくださいました。

 参加者がお茶とお菓子を楽しみながら、それぞれの立場から考えてきたことを語りあい、原発立地地域(、またその周辺地域)と都市部、女性と障害者など、さまざまな「距離」、ともすると分断や対立にもつながりうる「距離」についての理解を深め、そのうえで、「脱原発」のあり方を考えるきっかけになれば、との思いで開催したイベントです。

 このたびは第一報として、参加者アンケート、そしてメールでv-wanに寄せられた感想を紹介します。

 ―――――― 「いま、福島と東京のはざまで」 参加者アンケートから

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(埼玉で避難されてきたかたたちと地域住民、支援者との交流の場に、時々参加しています。)
本当に一人ひとり、おもいがちがうということを実感しています。
べき論を基本にした集会ではなく今日のような場での高橋さんや鈴木麻里さんの話が心にしみました。
アウシュヴィッツ平和博物館に原発災害情報センター設立、微力ながら役立ちたいと思います。

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大きな流れの中で別の考え、感じ方、価値観をもったひとりひとりをつないでいくにはどうしたらいいか考えるきっかけになった。

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水俣と福島の構造的な類似性など、自分の問題意識を位置づける手がかりがもらえました。

障害の問題はどう考えたらよいか引き続き考えていきたいです。ありがとうございました。

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デモに行けず(何か違和感があったり。一人では声をあげても…と思って、いったのに帰ってきてしまう、という話に共感します)そうすると私は声をあげず何もしていない一人ということでそれはそれで気になりつつ…という思いでした。今日は本当に あるスタート になりました。

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今回の3.11に関連するビデオのダイジェストをつくられたらどうでしょうか。

大手メディアのフットワークの遅れをおぎなってくれると思います。福島あるいは原発と直接身近に関わっている方々のお話を聞けてよかったと思います。

こうした小規模の対話の場はいくらたくさんあってもいいなと思いました。

 ――――――― 飯田さと子(v-wan/当日司会)から

みなさま

飯田さと子です。お世話になっております。昨日のイベント、皆さまのおかげで無事終えることができました。

つたない司会進行でご迷惑をおかけしてしまいましたが、映像の内容も盛りだくさんで濃く、取材者や視聴者、コメンテーター、参加者それぞれが、自由な雰囲気で発言して多様な意見を共有し、簡単に答えはでない、というところからの新たなスタートをきれるよい機会になったのではないかと思っております。

当日参加されたv-wanのみなさま、準備等ありがとうございました!

個人的には、原発事故以前にたしかにそこにあった日常の幸せが奪われた、という福島の現実と、「脱原発」を叫ぶこととの距離、また、「なぜ原発が可能になってしまったのか」を問いなおすことと、今原発を抱える地域の今後を具体的に考えることの距離をつきつけられた思いです。

その距離を見据えつつ、その距離をあきらめないために、なにができるのかを考えていきたいなと思っております。

 ―――――― 熱田敬子さん(v-wanチーフ)から

 みなさま

 おかげさまで、「福島と東京のはざまで」が終わりました。

妊娠中の体力低下を押して、見事に司会をしてくださった飯田さんをはじめ、みなさん、本当にお疲れさまでした。

ニュースをもう一度見直していて、インタビューを受けてくださった方たちがみな、同じことを言っているとおもいました。

棄民、見捨てられた、切り捨てられる、切り捨てられつづけている。

それが、差別だということ。

思えば、一番最初のデモ取材で取材を受けてくださった長崎の被爆者の方が言った、「放射能の影響というのは、差別の中を生きてしまうということ」という言葉が、原発をwanでとりあげる時の指針をくれた気がします。

 そして、昨日の高橋淳さんの「福島の絶望にもっと寄り添ってからでなければ、脱原発にはいかれない」という言葉も、本当に大事な問題提起だと思いました。

 今大地はるみさんの、官邸前デモに行ってみて、声が出せなかったということも。

官邸前デモの高揚を否定する気は全くないのですが、誰かがあの明るさとv-wanのとってきている重苦しい映像(笑)を、つながなければならないと思います。

 福島を切り捨て、水俣を切り捨て、福井を切り捨て、沖縄を切り捨て、障害者を、女を切り捨て、それで一体最後に何が残るのでしょう。

昨日の会で、v-wanはスクープ狙いは目指さない、落ち穂拾いでいいのだと、再確認しました。

誰かに見えていないことは、自分が言うしかない、というのが市民メディアの心だと思います。

マスメディアとは目指していることが違う。
(マスメディアにはマスメディアでがんばっていただいて!)

たくさんの人の言葉が、体の中で響いています。

この響きを、次につなげたいです。

―――――― 速水葉子さん(w-wan/にこたま勝手連)から

高橋さんの、反原発のデモにすぐに出られないわりきれない気持ち、福島の人たちの絶望的な気持ちをもっとていねいに感じとってほしいという訴えはすごく心に残りました。

小渕さんは、福島でのご自身の活動の紹介にはじまり、現在の福島に住む者としての現状報告そして、情報センターの計画骨子を説明されました。

今大地さんは、原発のある地域で、「反原発」をかかげて選挙を戦う困難さを語りました。
ということは、反対したくても公に反対できない苦しさを住民それぞれがかかえていることであり、それを理解してほしいと。(でも今大地さんは最終的にちゃんと選挙に勝ちました!)

 内容濃く、もっと多くの人とわかちあいたい機会でした。

被災地の人の苦しさにくらべたら、、と思いますが、ああ、わたしたちももっとこのなんともいえないいらだちと不安感を話すことのできるしゃべり場がもっと必用だと実感しました。
にこたま勝手連を始めたのもそういう思いでしたが。

被災地と、それ以外の場に住む我々との間の同じ反原発にむかうにしても存在するどうしようもない温度差。(あるいは、反原発をいいたくても言えない苦しさ)

そのギャップをうめるためにも、ああした、異なる立場の人たちが思いを語る場が必用なんだな、、と実感したのです。

―――――― 上記速水さんの感想への熱田敬子さん(v-wanチーフ)からの返信

 つらさに比較はない、みんなそれぞれはかりしれないつらさをかかえている…とおもいつつも、被災地の人はもっと苦しい、とおもってしまうこと、ありますね。

実際、本当にキツイ思いをされている人が多いわけですから。

でも、首都圏にいる人たちも、それぞれ辛さや苦しさ、不安を抱えていて、官邸前にいくとようやくみんなが明るい表情をしている、それは他の抑圧の裏返しでもあるのだと思います。
だから、官邸前の明るさを否定するのではなく、でもその明るさに違和感を感じる、あるいは、簡単には声に出せない人たちのことも忘れずに取材を続けたいと思っています。

 ―――――― M.Sさんから

 生活書院の高橋さんのお話が心に残りました。「脱原発」とひとくくりにできない現実をあらためて実感。

「脱原発」はもちろん大事なことなんだけど、そのために福島の人が取り残される、福島の人のどうしようもない絶望が見えにくくなるようなことが起きているのだと感じました。

「脱原発」と「福島の人が生活を取り戻すこと」、「福島で暮らすという選択を尊重されること」は別に考えなくてはならないことなのだと思いました。

それと同じく、「子どもたちを守ること」と「子孫を守ること」も別だと思いました。

優生思想が垣間見える心ない言動が行き交うことで誰かを傷つけてしまわないために、何かを叫ぶときもそれを忘れてはいけないと思いました。

それぞれの立ち場の人が、さまざまな葛藤や軋轢を抱えているということを「語り合う場」がもっと必要だとも感じました。

私の中にも言葉にできないものが沈殿しており、終わってからも皆さんのお話を反芻しています。

福島アウシュヴィッツ平和博物館の小渕真理さんは「語り合いの場」が必要だと話され、混沌とした中でも何が必要かをしっかり伝えていこうという気概が感じられました。

敦賀市議の今大地はるみさんも参加してくださって、そのパワフルさには圧倒されました。

今大地さんのHerstoryをうかがうことができてパワーをいただきました。

「福島の人はもっとたいへんなんだから、東京で暮らしている私なんて何も言えない」と口をつぐみたくなるのですが、それでもあえて言わなければと思い「福島原発告訴団」の第二次告訴の陳述書を書いてみようと思います。

金曜日のデモで大きな流れが生まれたのは素晴らしいことだと思います。
その流れの渦に一人ひとりの言葉を埋もれさせないために、陳述書を書くことで一人ひとりがつながっていってほしいと感じています。

 ―――――― Ishikawa Keikoさんから

 みなさま

土曜日は大変貴重な時間を過ごさせていただきました。
まだ色々な気持ちが渦巻いていて言葉になりませんが、貴重な情報の中に私の動画も入れて頂けたことにあらためてお礼を申し上げます。

今回は自分自身の行動や発言を見直すいいきっかけになりました。
高橋さんのおっしゃった「反原発、脱原発と福島を思うことは違う」との言葉が胸に残っています。
私たちは脱原発については大きな声をあげる事は出来ますが、福島については大きな声をあげる事だけではいけないデリケートな部分が沢山あるのだということ。

いままで原発のこと、障害のこと、別問題として考えていましたが根は一緒なのだという事をビデオを見てあらためて感じました。

私が先日の会でお話しした福島の友人の娘さんが事故当時東京にいらしたので直後に連絡を取ってお会いしたのですが、彼女が開口一番「私たちはこれから差別される」と言っていた事も思い出しました。まだ事故後10日も経っていないというのに。

正確に言えば福島に原発が作られた時からもう差別は始まっているのですね。

東京にいて自由に物が言える私達ですが、「フクシマ」とひとつの括りで括ってしまって大きな声で叫び言葉だけが突っ走るのではなく、それぞれの抱える繊細な思いをできれば現地まで聞きに行き、気持ちに寄り添い、それから発信するいう順番を踏まねばならないと思いました。

いま誰もがいろんな手段で発信できる世の中ですが、発信することの重要さとともに責任も考えていかなければなりません。自分の行動が誰かを傷つけているのではないか…

そんな事も反省とともに自分に問いたいと思います。

そんな中、相当な困難と絶望的ななかにいながらも、今大地さんのお話には力強さと明るさがあって前向きな姿勢に逆にこちらがパワーを貰うような気持ちです。

いろいろ考えることはあるのですがとりとめもない文で申し訳ありません。
このような会にまた参加することができればと願っています。
ありがとうございました。

カテゴリー:WANの活動

タグ:脱原発 / 原発 / 放射能汚染