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倒れた樹を忘れるな 松葉志穂
2011.07.29 Fri
「しかし不思議なものですね、地震というのは。私たちは足もとの地面というのは堅くて不動のものだと、頭から信じています。『地に足をつける』という言葉もあります。ところがある日突然、そうではないことがわかる。」(村上春樹「タイランド」『神の子どもたちはみな踊る』)
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』は、1995年の阪神淡路大震災が様々な人たちの心にもたらした「共振」の世界を描く短編集である。
阪神淡路大震災は、物心ついてから初めて間接的に体験した震災だったためだろう。荒廃した神戸の街や、死亡者と行方不明者の姓名が延々と流れていくTV画面は、今でも記憶の海底に下ろした錨のように私を繋ぎとめて離さない。「地震・雷・火事・親父」とはよく言ったものである。最下位の親父の威厳は昨今どうなってんの?という疑問はさておき、3月11日の東日本大震災は地震がもたらす脅威を改めて不動のものとした。だからこそ、地震は国境を越えて多くの人たちに今後の生き方や人間関係の考え直しを迫るきっかけとなるのだろう。
前回の田丸さんのエッセイを読み、日々妄想と感傷をお腹いっぱいに食べて生きている私自身、その危険性を肝に銘じたいところだが、感傷的な物語に潜む「暴力」を暴き/暴かれ、批判する/されるのは正直言って辛い。確かに「がんばろう、日本!」のようなナショナリズムを鼓舞するスローガンや、マスメディアの感傷的な報道に抵抗がないわけではない。むしろそのどうしようもない隠蔽体質にはうんざりしている。しかしそれでも、震災が「作品」として語られるとき、現実の出来事がどのようにストーリーに組み込まれ、表象され、言語化されるのかに対する感傷的な好奇心は抑えられないのである。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. 大正時代の東京を舞台にした大和和紀『はいからさんが通る』のクライマックス、1923年の関東大震災は、登場人物たちの「純愛」を盛り上げる舞台装置として描かれている。お転婆娘の紅緒、婚約者の少尉、上司の冬星の三角関係が物語の主軸だが、私は紅緒の親友で華族令嬢の環に注目したい。才色兼備な彼女は、女学校時代から「わたしたちは殿方に選ばれるのではなく、わたしたちが殿方を選ぶのです」と高らかに宣言する女性で、卒業後は新聞記者として働いている。少尉の元部下で大陸浪人の鬼島とは犬猿の仲だが、次第に階級差を越えて惹かれ合っていく。震災後、環は妥協しかけていた家同士の縁談を蹴り、満州に渡った鬼島の後を追う決意をする。動揺する紅緒に「結婚?そんなもの家出しちゃえばむこうだってあきらめるわよ」とさらりと言ってしまう彼女の笑顔が眩しい。
田丸さんのエッセイに、3.11の震災をきっかけに結婚を望む人が増えているとのお話があったが、この文章を考えている間、反対に離婚を望む人も増えているという話を聞いた。どうやら危機に直面して相手(主に男)の不甲斐なさに失望した結果だという。この結婚・離婚の増加、関東大震災の直後にも似たような現象が起きていたらしい。環に捨てられた婚約者には気の毒だが、誰かを不幸にすることもいとわない環の覚悟に、私は心から喝采を送りたい。
アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください. しかし、人が自分の力で物事を選択することは簡単ではない。むしろ選びようもない「現実」によって否応なく前に押し出されているのが実情だろう。時代は遡るが、幕末期の日本を舞台にした手塚治虫『陽だまりの樹』の前半部、1855年の安政大地震は、その後の展開を暗示するかのような不吉な前兆として描かれている。水戸藩の碩学・藤田東湖の屋敷に立つ樹齢300年の「陽だまりの樹」。いつの頃からか白蟻や木喰い虫の巣となり、ただ朽ち果てるときを待つだけのこの老木を、作中で東湖は当時の幕府の姿になぞらえている。地震の際に彼は母親を庇って横死し、「陽だまりの樹」も倒壊した。
主役の1人、伊武谷万二郎は被災者の避難に並外れた統率力を発揮したことで幕府に認められ、関東小藩の下級武士としては異例の出世を遂げることになる。しかし武骨で生真面目な彼は倒れいく幕府と命運をともにし、彰義隊に参加して生死不明のまま物語から姿を消す。
3.11の震災では津波に耐えた松の樹が「復興」の象徴とされたが、私はこれにも「がんばろう、日本!」と同じ胡散臭さを感じてしまう。「復興」の象徴の傍らには、地震と津波によって根こそぎ薙ぎ倒され、おそらくこの先永遠に芽吹くこともないまま埋もれていった松の樹がたくさんあることだろう。倒れた樹を忘れてはいけない。樹を生命力の象徴とするのであれば、「彼ら」が何を象徴し、何を暗示しているのか、深く考えてみるべきではないだろうか。
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