金曜日の夜9時頃、お風呂から上がってパジャマに着替えたら急に息が苦しくなり、ソファに倒れ込んで、一瞬、気が遠くなった。「このまま旅立てたら、楽でいいな」と思っていたら、遠くから娘の声が聞こえてきた。同じマンションに住む男友だちが横で血圧計を測っているようだ。

 「血圧と酸素量が、かなり低い。救急車を呼ぼう」という声が聞こえてきた。「いやや、行かへんよ」「あかん。救急車を呼ぶから」と、あれよ、あれよという間に救急車がやってきて、担架に乗せられ、近くの第二日赤に搬送された。

 救急処置室で応急処置がされ、採血、心電図、点滴が施される。なんかゾクゾクと寒い。

 するとカーテン越しに、隣のベッドに刃物で刺されて緊急搬送されてきた人が入ってきた。医者と看護師がバタバタと慌ただしい。後で聞くと、包丁の傷は深くないが、あちこち刺されていて縫合に時間がかかったらしい。その間、私はしばらく放置され、CTやレントゲン撮影、肺の造影CTなど検査が遅れて、全部終わって救急病室に運ばれたのが夜中の3時。

 娘は待合室でハラハラ心配して待っていて、貧血になったとか。家に残った小6の孫娘は、昨年6月、98歳で亡くなった私の母に、天国に向かって「ひぃおばあちゃん、ばあばを、絶対、連れていかないで」と泣きながら眠ったという。ほんとに、ごめんね。

 病名は「急性肺塞栓症」。下肢の静脈瘤から血栓が飛び、心臓を経由して左右の肺に血栓が散らばったのだという。エコノミークラス症候群のようなものだ。

 数年前、下肢の静脈瘤を手術していたが、まだ少々残っていたのかな。数日前から階段の上り下りや長歩きをすると息切れがして、かかりつけ医に薬をもらいにいって尋ねると、「コロナ禍でフレイルになっているんでしょう」とのことだったが。このところ、ちょっと仕事が立て込んでパソコンの前に座りっきりでいたのが、よくなかったようだ。治療は点滴と薬で血液をサラサラにすることと、補助的に酸素ボンベをつけることで対応するらしい。

 一晩たって土曜日の朝、4人部屋の一般病棟へ移る。高齢の女性たちばかり。みなさん、循環器の病気を抱えて家庭の事情もそれぞれにあることが、看護師さんとの会話から聞こえてくる。看護師さんはじめ病院のエッセンシャルワーカーの人たちは、ほんとに大変。夜と昼の交代勤務で医療的ケアのみならず、検査や測定、食事の世話、身体的ケアから、場合によっては患者さんの心のカウンセリングまで引き受けている。ほんとに頭が下がる。

 コロナ禍で家族と面会もできない。娘とスマホのメッセージ機能で連絡をとる。入院前に仕上げた仕事のデータをメールで送れていなかったので娘に頼むと、私のパソコンのキーボードが特殊な富士通の親指シフトなので、娘が「打てない」という。USBにデータを移して、Gmailで娘のパソコンから送ってもらう。病院は医療機器との不具合を避けるためか、どの部屋にもWi-Fiがない。家族と面会ができない長い入院の患者たちにとって「Wi-Fiがあったらいいのにな」と思った。

 日曜日、酸素機器を昼間、外してもらって楽になる。リハビリの理学療法士からも「できるだけ歩くように」と指示される。お食事もおいしくいただく。

 月曜日、採血と心エコーの検査の結果、異常なし。肺の血栓は薬で2、3カ月かけて溶かすという。火曜日の朝、担当医がやってきて「明日、退院しますか?」といわれて、「やったあ。うれしい」と一安心。幸運にも5日で帰れることになった。

 水曜日、朝10時帰宅。日常生活に戻るのがリハビリだといわれ、朝ご飯の準備や食後の後片付け、買い物など軽い外出。パソコン業務も30分ごとに区切って休憩をとり、軽く体操する。パルスオキシメーターと血圧計で酸素と血圧を測り、正常値を確認。内服薬を飲み、1カ月後に検査と診察を受ける予定だ。

    孫が作ったクリスマス・リース


 日常とは、こんなにも大切で、ありがたいものなのだと改めて思う。娘にはいろいろ心配をかけてしまい、ほんとに申し訳ない。別室にいる95歳の叔母は、あまり手がかからなくて、デイの見送りと出迎えと布団の片づけくらい、ご飯もみんなでいっしょに食べるので、娘の負担も少ないのが幸いだった。

 これが一人暮らしだったら、大変だったろうなと思う。私のように一度も健康診断を受けず、覚悟もなく、普段、何も考えずに家族と暮らしている身にとって、自分一人で責任をもって自覚的に暮らす意味でも、今回のことは、いい薬になったのかもしれないと思った。

 そしてもう一人、私と同じ時期、予期せぬ出来事に見舞われた人がいる。33年前に別れた元夫が、1カ月ほど前、家で足の複雑骨折をして手術。リハビリ病院でしばらく訓練をしていたのが、ある日、突然、急に息苦しくなり、第一日赤に急遽、転院したという知らせを、私の退院後に聞いた。

 元夫のパートナーから娘への連絡で、「酸素量が足りなくて、肺が白くなり、人工呼吸器をつけることになった。本人も納得している」という。人工呼吸器をつけると話せなくなるので、その夜、娘が駆けつけて本人と会い、医者とも話ができたらしい。抗生物質が効かず、ステロイド剤を処方しているとか。薬が効けば人工呼吸器を外せるが、効かなければ気管切開になるという。

 私は比較的冷静だったが、娘が大変そうなので、「きっと、よくなると信じて。あとは祈るだけ」と慰める。パートナーの彼女も、よく知っている人だが、私から彼女に直接、声をかけて慰めるわけにもいかない。娘を通して連絡を受けるしかない。元夫本人が、薬で眠っているとはいえ、「一番、しんどいだろうな」と案じた。

 そして挿管後、1週間して「抜管ができた。来週一般病棟に移る」と連絡が届いた。ああ、よかった。娘もホッとしたらしい。娘に、「彼女に、よーく、お礼を言っておいてね」と頼む。

 一般病棟に移って2日目。娘に直接、本人からメールが届いた。看護師長から「よく戻ってこられましたね」と涙を浮かべて話されたそうで、「そんなに大変なことだったんだと再確認した」と書いてあった。ほんとに運に恵まれていたんだと感謝する。

 コロナではないと医者はいうが、その可能性も否定できない。これからは少しずつ体力をつけて、ぼつぼつでいいから「どうぞ元気になりますように」と、みんなで祈るばかり。

 予期せぬできごとは、いつやってくるか、わからない。でも、それをきちんと引き受けていかなければ。きっとその先には道が開けてくる、と信じて。まずは自分を大切に。そして周りの人たちに助けてもらいながら、心からの感謝を忘れずにいたいものと、つくづく思う。

 今回は歳の終わりに、あまりにも個人的なことばかりで、ごめんなさい。そしてみなさまも、くれぐれも、ご自愛のほど。来年は、きっとよい年を迎えられますように、と願いつつ。