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わたしたちの〈日常〉の行方 鳥集あすか

2011.09.30 Fri

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2011年9月11日、震災が起きてから半年を迎えました。そして、同時多発テロから、10年。

震災当日、いつもと変わらぬ「日常」の中にいた私は、テレビ越しに写る映像を見ても、WEB上で交わされる情報を見ても、私とは関係の無い世界で大変なことが起こっているのだと、他人事のように感じていました。地震から半月ほどたって、戦時中の非国民批判にも似た「不謹慎」という言葉に怯えながらも、東北のお酒をたくさん飲んだことを覚えています(今でもおいしくいただいています)。

3・11の後、確かに私たちの「日常」は変化しました。これまであまりに考えないよう目を背けてきた、もしくは見えなかった、考えなかった問題が浮上してきました。原発の問題、政治の問題、報道の問題などの様々なことが、一気に目の前に突きつけられた気がします。


いち早く「地震」を作中に取り入れて、「これまで隠れていた何か」の出現を描いたのは、荒木飛呂彦の『ジョジョリオン』ではないでしょうか。この作品は『ジョジョの奇妙な冒険』として週間少年ジャンプに掲載されたもの第8部ともいえる作品です。『ジョジョの奇妙な冒険』は、ジョースター家の後継者たちの姿を数世紀にわたって描いた作品で、努力・友情・勝利という少年漫画の基本スタイルを踏まえながらも、その独特な世界観に魅了されるファンは数多くいます。

『ジョジョリオン』は、同作品第4部にも登場した日本のM県S市(M県S市とは、作者の出身地である宮城県仙台市がモデルになっています)にある杜王町という架空の町を舞台にしています。架空の町でありながらも地震の影響を受けた杜王町は、これまで地面に隠れていた「何か」(作中では、「なぞの壁」として描かれています)が、地震によって地上に現われ、今までとは異なる町へと変化します。その町で、自分に関わる記憶を全て失っていた主人公が、自分とはいったい何者何かを探すところから物語が始まります。主人公と関わることで、本作のヒロインは、「日常」から少しずつ「非日常」の世界へと足を踏み入れていくのです。

私たちにとって、「隠れていた何か」とはいったい何なのでしょうか。もしかして、「隠れていた」のではなく、「目を向けないできた何か」なのではないでしょうか。

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実のところ、これまでまじめに「日常」や「非日常」について考える機会なんてほとんど無く、それこそ、目を向けないできました。そして、私にとって「非日常」とはSF世界のことでした(サイエンス・フィクションに限らず、歴史ものなども全てSFだと思っています)。管元首相退陣の際にニューヨーク・タイムズが「回転ドアのように首相が交代する」と批判した文章を読んで、一番初めに思い出したのが『銀河英雄伝説』だった時、自分がいかに空想的な非日常世界の影響を受けているのかに、笑ってしまいました。

銀河英雄伝説は、銀河系を舞台に数多くの英雄たちの姿を、二人の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムと、ヤン・ウェンリーを中心に描いたスペース・オペラです。構成の歴史家の書いたような文体で書かれ、多くの人物の群像劇を描いています。

戦争がメインにあげられるこの作品ですが、他に作品を構成している軸のひとつとしてあげられるのが、政治の問題。政治とは何か、民主政治とはいったいどのようなものなのかを私はこの作品から学びました。定期的にある投票も、マニフェストも、ずっと昔、未成年だった私にとっては遠い世界の関係ないことでした。今は、そうはいかない。目を向けなくてはならない話です。私たちの国は、今後いったいどうなるのか。当たり前のことではありますが、こんなときだからこそ、一人ひとりがしっかりと責任を持って国の運営に参加することも大切なのかもしれません。

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ところで、9月11日の翌日12日は中秋の名月でした。

今年の夏は、友人とともに桂離宮へ足を運び、中秋の名月が一番美しく見える月見台を作った日本人の四季への思いに大変感心したところです。

自然を一番美しく見る目を持っていたのは、やはり千利休ではないかと思います。利休といえば、私の中では彼の花のエピソードがとても印象的です。見事な朝顔を見せるために、床に一輪だけ飾って残りの花を全て摘み取ってしまったり、あえて梅の花を花入れに散らすことでより美しく梅の枝を生けたり・・・花の、ひいては自然の美しさを生かすには一体どうしたらいいのかを一番よく知っていると思われるエピソードがとても多いのです。彼は野の花を愛でる名人でもありました。そして、普段の生活ではふと見落としてしまいがちな些細なことに向き合っていくことの出来た人ではないのでしょうか。

モノを見る目を持つ、これが簡単そうで何かと難しい。普段見られない、美しい月を見る。同じような気持ちで、普段は見ないようにしているたくさんのコトにも向き合っていきたい。

次回「「未来」を見つめるために、眼のレッスンを。」へバトンタッチ・・・・つぎの記事はこちらから








カテゴリー:リレー・エッセイ