
シンポジウムでは、レスポンスを通して論者の個人的な経験が示された。自身の研究を通して、また仕事の在り方を通して、その経験が語られた。それらはとても個人的なことであった。科学的に客観的な視座から論文を作り上げる際、その出発点は自身にある。論文は血が通ったものだと知ることができたことは、このシンポジウムでの大きな成果だった。
本書は警鐘を鳴らしていた。様々な領域において女性が置かれた立場に焦点をおき、その現状を詳細に分析し、女性ばかりでなく男性も苦境に立っていることを訴えるものだった。私はその行間から表出される論客たちのあふれんばかりのエネルギーを全身に浴び続けた。これほどまでに訴えられて私には何が出来るのだ、そんな思いがあった。各章で道を照らす灯りの1つに連帯が示されていた。自己責任概念を、なかば格好いいと思いながら疑うことなく受け入れ、大学卒業後就職した私は、案の定、理不尽なノルマ達成を目指しながらキャリアアップを狙った。ノルマを達成できなかった月は、私が「怠けていたから」だと思っていた。
私自身自己責任に帰結するなか、本書での連帯がイメージできない。シンポジウムで尋ねると上野先生から「分野外の人はすぐにだからどうする?と聞く」と言われてしまった。痛いところをつかれた。第2波フェミニストたちは経験から生じる疑問をもとに地道に理論を作り上げてきたのだ。一夜にして出来上がったのではない。数年勉強しただけでは、まだ結論を急いでしまう。一方で、私世代、私の後に続く世代は自己責任を身につけている。だからこそつながることは欠かせない、つながらなくては微力のままだとも自覚していた。個人的なことは政治的なことだと訴えるためにも、連帯することは必要だと思っていた。ネオリベ、グローバリゼーション、明瞭にいえば、「企業、資本家」、これらの波により多様化された女性たちが、実は互いに身近な存在であることを知ることができれば、連帯につながるのではないか。誰とつながれるのか。フェミニストたちはどう考えるのか知りたかった。「主語は誰か」を知りたかった。フェミニズムを行う人々は、私以外に誰なのか、どこまで手を伸ばせばよいのか、伸ばせるのか、伸ばしてよいのか、知りたかった。
それに応えて下さった先生方もいた。身近な存在の人と、自分と同じ経験年数を持つ人とつながっていくこと。その戦争に、自分は関係なくはないことを知ること。それまで曖昧だったイメージに自信を持たせる言葉だった。「女性が育児休暇を獲得したのは、リーンインの成果である」。落合先生の発言にハッとした人は私を含めて多かっただろう。だから今、当たり前の権利として育休を取れているのだ。シンポジウムを通して、私はエリート女性とも手を取り合える可能性があると知った。これもまた、大きな成果だった。
議論では、インターセクショナルフェミニズムがキーワードの1つとして上がった。それらも包摂しながらフェミニズムは進化し、深化していく、さらなる多様性を獲得し、アップデートされていく。そのことにより社会構造で多様化された女性たちが身近な存在であることを知り連帯することにつながる。1冊の書に様々な論者が論考を寄せることは、連帯の在り方の1つであろう。コメンテーターとして全力でコメントすることもまた連帯の在り方の1つだろう。目の前に自らの行動で連帯の在り方を示してくれた大先輩たちがいる。そのバトンを受け取り、仲間と共に次世代の担い手の1人でありたいと思う。
最後に、本書の執筆者とコメンテーターの先生方、次の一歩を踏み出すための大きな手がかりを世に送り出して下さり、深謝いたします。また、シンポジウム企画開催を担ったWAN女性学研究所メンバーに心から感謝いたします。
WAN女性学研究所 岡山県立大学 博士後期課程 西川 由紀
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